蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「江戸城再建を目指す会」の発足-夢ある話では!?-

2006-05-19 01:37:42 | 日常雑感
 5月18日(日)雨のち曇り。終日肌寒し。

 今日、夕方NHKラジオを聴いていたら、「江戸城再建を目指す会」が、発足したとかでその会長の小竹(おたけ)氏と、担当アナウンサーとのやりとりを何気に耳にした。
 21世紀は、世界中が文化の魅力の時代とかで、新しい東京のシンボルとして、昔のままの木造五層の天守閣として再建したいとか…。

 一瞬「へえー?」と思った。実は、私ももう何年も前から、皇居東御苑内の天守台跡に昇るたびに、ここに明暦(1657年1月)の大火・振袖火事(江戸の市街の約6割が焼失したという)の延焼で焼け落ちた、往時の天守閣が復元されたらどんなに好いだろうなといつも思っていたからだ。
 
 鈴木知事の時代、当時、都庁を今の新宿に移転させることに、東部地区住民から強い反対があり、それへの見返りとして現在の両国に江戸東京博物館が造られたやに聞く。その江戸東京博物館建設の話を聞いたときにも、徳川幕府、江戸時代の象徴そのものである皇居があるのに、何故そこに建てず、隅田川の向こうの両国くんだりに建てるのかと疑問に思った。

 今頃、皇居に江戸城天守閣復元なんて、時代遅れの歴史かぶれの私のような物好きだけかと、密かに胸の奥深くに暖めていたところ、広い世間にはやはり同じことを考える人がいるものと、急にうれしくなった。

 是非、実現させたいものだ。その天守閣の中に、徳川幕府関係の資料を展示し、徳川時代歴史博物館とすれば、実に有意義なことではないか?。

 ただ、唯一の難点は皇居に隣接しすぎていることだろう。今でさえ周囲のビルの建替えに際し、天皇様のお住まいが見えるとか見えないとかで、大騒ぎしているというのに、そこに地上5階の天守閣となると、宮内庁あたりが何と言い出すことやらと、案じられる。

 尤も、以前、東京の光化学スモッグがひどかった時期には、あのような廃気ガスの坩堝のような所に、賢きお方を御住まいいただくのはいかがなものか、多摩丘陵の方へ皇居を移転してはとの話が出たようにも記憶する。
 確かに、今の皇居は徳川家の跡であり、いわば臣下の家に引越しされたような具合であり、機会がれば、多摩丘陵の方が皇居の地に相応しいのではないかとも思える。

 まあしかし、それはそれとして、現在、江戸文化が関心を集めつつあるが、今後は日本人のみならず世界中の関心が高まると確信する。
 さすれば、東京駅の目の前で緑豊かな森とお堀と苔むす石垣、その上に巡らされた白い瓦葺の塀(これも是非一体として復元してもらいたいと願うのである)に囲まれて、その中にすっくと立つ白亜の天守閣は、正にワンダフル!、ビュティフル!ではないか?。

 これに反して、現在の、江戸東京博物館では、展示内容、建物ともに、何か今一つ焦点、視点が明確でなく中途半端な物足りなさを拭えない。
 やたらと長大かつ無駄なエスカレータのある吹き抜けばかりが目立つ、建物自体が江戸時代のイメージとは程遠く、どんな著名な建築家の設計になるものかは、忘却してしまったが(たしか磯崎新氏ではなかったか?)、私には違和感がある。
 もっともだからこそ江戸・東京となっているのだと云われればそれまでである。

 そこで、新設の江戸城天守閣博物館は、徳川時代ミュージアムに限定してもらいたいものである。
 とにかく、姫路城をはじめ日本の城ほど、簡潔で、凛々しく美しい建築物は、お堀、石垣、松の緑と一体となって世界中に類が無いと思う。

 そして、ついでと云っては軽々しいが、織田信長の安土城も、どなたか音頭を取られて、是非復元していただきたいものだ。
 これほど、日本人に人気のある織田信長、その信長が精魂込めて、いわば自身の生涯の集大成として建てた安土城、ルイス・フロイスがその華麗さを絶賛し、遠くローマ法王にまで屏風絵にして贈ったという名城。安土桃山文化、日本のルネッサンスとも言うべき時代の象徴として、こちらは安土桃山文化歴史博物館に特化してほしい。
 琵琶湖湖畔に、黒漆に金箔瓦葺きの安土城が再建されれば、これまた何と美しい景観が創出されることだろうか?

 こちらの方は、来る九月に、「総理大臣なんてそんなにいいもんじゃあないよ」と本音か韜晦か、嘯かれる、信長信徒の小泉大宰相閣下に、是非とも「安土城再建推進委員長」にご就任いただきたいものである。

 さすれば、小泉政権五年の新自由主義経済政策の恩恵沢に享受されている何とかファンド、何とかヒルズ族からたちまち巨億の寄付金集まって、秀吉の墨俣三日普請で完成すること疑いなしではないか?。

 いや、いや、世の中そんなに甘くは無くて、宰相降りた、唯の老ライオンなんかに、洟もひっかけてはくれないだろうか?。

 それは、ともかく江戸城再建には、この山家の隠居にも一万円ぐらいなら、一ヶ月好きなキリン本生を我慢して、何とか寄付できそうなので、是非とも我が目の黒いうちに完成していただいて、冥途の土産にしたいものだ。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?



「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その3)

2006-05-18 22:43:22 | 時事所感
5月18日(木) 雨後曇り。気温13~16度、肌寒し。

 前回、(その2)で、「私の懸念を吹き飛ばしてくれるようなページに出会った。」とは、

“戦争防止グローバルアクションー戦争、集団殺戮、国内武力紛争を止めるための連合構築に向けてープログラム文書 2003 (翻訳):ピースボート)”
 www.globalactionpw.org/prev/GAPW_Japanese.pdf-

という文書(全64頁)である。

  これを読むと、前回、私がおこがましくも記した国連警察機能の強化策について、とっくに、その道の世界の専門家が詳細に検討し提言されていたのである。

すなわち、世界各国の平和問題に係わられている専門家が、戦争や武力紛争、テロの防止・抑制策について、現行の国連機構、国際条約等に即して、実現可能な諸方策について、段階を分けて実現にいたる長期展望の下に、詳細に検討され提言されていた。

  ところで、この提言がなされて、早3年も経とうというのに、今まで各種メディアで報道されたり、紹介されることがなかったことに、大きな驚きを感じているところである。
 
  そこで、私同様、未だご存知なかった方へ、以下、その概要について、私の理解の範囲内で紹介させていただく。

  
■ 本プログラムの要旨

  20世紀は、人類史上もっとも破壊的な世紀であった。250回の戦争と集団殺戮攻によって、2億人以上の命が奪われた。米ソの冷戦終結以降でも600万人以上が死んでいる。

  世界の社会および政府は、殺戮を止める手段をすでに知っているのだ。足りないのは、それらの資源及び知識を、持続的、統合的かつ世界規模で実行に移すためのプログラムである。

  戦争防止グローバルアクションは、武力紛争を段階的に希少なものとしていくための包括的なプロジェクトである。

  本プログラムは三本の柱から構成されている。

第一は、現在進行中の紛争予防及び紛争解決措置の包括プログラムである。
  そのためには、主として以下の措置の実現を目指す。
● 国連事務総長等の自由裁量で活動する50人の専門調停者部隊を設置する。
● 国連総会に紛争予防委員会を設置する。
● 国連に常備志願制警察隊を設置する。
● 重大な人権侵害の首謀者個人を裁く国際刑事裁判所(ICC)を支援する。
● 国際司法裁判所(ICJ)の活用を拡大する。

第二には、通常兵器及び核兵器の地球規模での軍備撤廃を段階的に進め、同時    に、国際機関の平和維持能力を計画的に増強させるプログラムである。
   そのためには、主として以下の方策の実現を目指す。
● 国家の軍隊、軍事予算及び武器生産と貿易の削減
  軍隊、軍事費、主要兵器システム及び小型武器の世界的削減に関する条約を締  結する。超大国、33%、大国25%、小国15%を削減する。
● 核兵器廃絶への前進
  核弾頭および運搬手段の残存備蓄を、保有領土内において国際監視下に置くこ  とによって移動不能とする。
  不遵守に対する厳しい検証システムおよび不測事態対応計画に合意した後に、  残存するすべての核兵器を廃棄する。
● 国連および地域安全保障機関による平和維持および執行能力への依存拡大。
  国連に新たな可動的本部部隊を創設し、平和維持活動の迅速展開のため臨時資  金5億ドルを拠出する。
  国家の軍隊を、国連による平和維持及び平和執行のために割り当てる。
  迅速対応可能な平和維持旅団をすべての大陸に創設する。
  常時志願制国連平和維持隊を創設するための初期的措置を講じる。
  武力紛争予防の責任を、個別国家から国連および地域的安全保障機関によって  運営される地球的安全保障システムへと永久的に移行する。

第三には、平和と軍備撤廃のための国家施策に対する支持を育むために、平和の文  化を醸成し、軍備撤廃及び紛争削減のための個別プログラムを推進することで  ある。
  そのためには、主として以下の施策に取り組む。
● 非暴力的な紛争予防と紛争解決のための、あらゆるレベルにおける普遍的教育。
● 国内における民族的・文化的・宗教的グループ間の多様性に対する寛容と尊重  をきょうかし、また、政治的・宗教的過激主義に反対するプログラムである。
● 暴力を削減するため、人道支援、難民救済、経済開発、経済的正義、人権、女  性と子供の権利、ドメスティック・バイオレンスおよび青少年の暴力の防止、  環境保護などのプログラムの推進。
● 中近東、インド、パキスタン、スーダン、スリランカといった特定状況下での  信頼醸成、紛争予防、紛争解決及び紛争後復興。

  以上の、プログラムを下記目次にある第一から第五の段階に分けて今後4、50年の時間をかけて合意形成しつつ実現していこうとの主旨である。
                         (以下、次回に続く。)

ー追記ー参考までに本文書の目次をコピーしておきます。

目次
暴力を防止する:グローバルアクション・プロジェクト     ・・・・・ 5
2003~2007年の優先課題               ・・・・・ 8
変革へ――その必要性、状況、そして好機           ・・・・・11
グローバルアクション・プログラム
Ⅰ.内戦、集団殺戮、テロを防止するために、多国間の紛争解決、人権保護、武力紛争予防
の手段を強化しなくてはならない                                                    ・・・・・17
潜在的紛争の監視方法を強化し、危機拡大に対して警報を発し、武力紛争勃発
を防止し、紛争解決を促進する                                                     ・・・・・17
人権および地球的な法の支配に対する支持を強化する                                           ・・・・・21
多国間の平和維持能力を強化する                                                    ・・・・・23
国連システムの対対応能力と説明責任を拡大する                                             ・・・・・25
II.国際的な戦争を防止するために、国家の軍事力を削減し抑制的な国連兵力に置き換
えるという段段階的な軍備撤廃を進めるべきである                                           ・・・・・28
第1段階:大規模な国家間戦争の危険を低減させるための初期的措置を講じ
る                             ・・・・・29
第2段階:軍隊および軍事費の最大3分の1を削減し、主要兵器および小型武器
の生産と貿易をさらに大幅削減する              ・・・・・34
第3段階:一方的なな軍事介入を試行的に禁止する       ・・・・・37
第4段階:地球的安全保障への責任を国家から国際機関へと移行する                                   ・・・・・38
第5段階:国家の軍隊を短距離の国土防衛に限定する     ・・・・・40
Ⅲ.平和と軍備撤廃のための国家政策に対する支持を育むために、平和の文化を醸成し、
軍備撤廃および紛争削減のための個別プログラムを推進しなくてはならない                                ・・・・・42
グローバルアクションと戦争の根源的要因          ・・・・・43
行動計計画:地球的ムーブメントの目標           ・・・・・45
グローバルアクション・プログラムの概要          ・・・・・52
グローバルアクション国際運営委員会・米国運営委員会メンバー・・・・・57
訳注                           ・・・・・64

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その2)

2006-05-18 22:41:08 | 時事所感
5月16日(火)雨後曇り。気温、13~18度、肌寒い一日。

 昨日の記事で、日本が国連の常任理事国に立候補するのであれば、日本国憲法前文及び第九条に規定する理念を、国連の場で普遍化すべく高く掲げるべきであること。
 さらには、この理念を実効あるものとするためには、強力な国連警察軍を常設し、国連加盟各国が自国の防衛力によらずとも、他国の侵略や不当な暴力行為から回避できるように、併せて提言することを、もう少し詳細に考察してみようと試みた。

 私の考えるラフスケッチでは、国連加盟各国が現在保有している軍事力の何分の1かを、国連に提供することとすれば、国連の紛争抑止能力は、格段に実効性のあるものになること。
  反面、加盟各国にすれば、いつ起こるか分からない、いわば掛け捨てに均しい国家安全保障保険というべき負の性質の国防予算を削減でき、他のより緊急性の高い国民福祉増進分野に国家資源を回せることになること。
 さらには、国連機能の強化により、強大アメリカ一国主義による独善と横暴を、現状よりはいささかなりとも抑制でき、国際関係が加盟各国の理性的な合意によって、対応される機運が醸成できるのではないかと、いうことである。

 このため、現在、世界全体で凡そどのくらいの金額が、軍事予算として計上されているかを調べるため、Googleで検索してみた。

 何と、その額は、2003年の統計で、約6300億ドル、日本円して70兆円というところであった。日本の1年分の国家予算を少しオーバーした額である。しかし、この半分はアメリカ一国の支出額である。

  ちなみに、わが国は、今やこれも驚く無かれ、堂々の世界第4位、395億ドル。これを見て、世界の人々は何と思うだろう。憲法で言ってることと、実際は、月とスッポンポンではないかと?。一体、日本の言ってることと、やってることはどうなってんだい?と頭くりくり考え込んでしまうのではないか?。そして、そんな国信用できるのかい?と。
   
  それはさておいて、こうしてみると、アメリカの強大ぶりに今更ながら驚かされるではないか。
  しかし、いかなアメリカといえどもいつまでこんな莫大な負担に耐えていけるだろうか?。
  今、そのアメリカ国内では、不動産バブルが頂点に達しつつある一方で、医療保険もなく医者にもかかれず、ホームレスも増えていると聞く。
  そのような社会的病巣を放置したままの中で、突出した軍事予算支出は、早晩、何らかの形で、アメリカの国家財政の破状、ドルの暴落、世界恐慌という恐ろしい連鎖への破局を招くのではないか?、と予見するのは、単なる山家の隠居の白昼夢にすぎないであろうか?。

  こんなことを、あれこれ考えながら、さらにクリックしていくと、私の懸念を吹き飛ばしてくれるようなページに出会った。
    (※ 以下、次回に続く)

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」

2006-05-18 22:39:38 | 時事所感
 5月15日(月)晴れ、やや雲多し。暖。

 15日付けのブログ「世に倦む日日」“九条とEUと米軍―国民国家の主権制限と軍事力の一極集中”を読み出してびっくりした。そこに、ある読者からとして、私の、同ブログへのコメントの一部が、原文のまま引用、紹介されていたからだ。

 それは、5月8日アップの同ブログ“ネット企画としての5.3憲法ディー平和憲法のエバンジェリズム”を拝見して、護憲を金科玉条に叫ぶ方々のウン十年一日ごときあり方について、日ごろ、私が感じていた胡散臭さというか、展望のなさというか、歯がゆさというか、そのジリ貧的な無力さ加減について、実に見事にその病態が摘出されていて、思わずそうだ!と心の中で喝采し、一筆コメントを送られずにいられなかったからだ。
 そして、「護憲派は、国連改革と国連警察機能強化の方策をもっと積極的に提言せよというのが、この投稿者のご意見だった。全く同感である」と結ばれていた。

 このような高名なブログに、たまたま投じた自分の文章が取り上げられようなどとは、夢にも思ってみなかったので、正直嬉しかった。何よりも、私の拙い提案にご同意を得たことが、満更的外れでも無さそうなことに、いささかの自信が湧いた

 そこで改めて、わが国の今後の国連へのあり方について、一言提言してみたい。

 わが国は、皆様ご承知のとおり、国連分担金について、加盟国中、米国に次いで19.3%を負担している。謂わば、国連の大スポンサーというわけである。
にも、関らず戦後、独立後加盟を認められて半世紀近くになるというのに、未だに非常任理事国の扱いのまま、蚊帳の外に置かれた状況に放置されている。「金は出しても、口だすな」という、ひとを馬鹿にした扱いである。

  政府は、これではならじと、ようやく本気で常任理事国入りを目指すべく、先般の国連総会での立候補提案を始め、つい先ごろも、小泉首相が何を思ってか、ご近所の中国、韓国ではなく、見当違いのアフリカ諸国へ支持を求めに行った。(歴史好きな大宰相閣下が、古代中国の戦国策、遠交近攻策にならったのか?)

 しかし、日本は、一体、どんな理念をもって、常任理事国入りを目指すのか、今一つ定かではない。
  ただ、「こんなに沢山、金出しているんだから、俺にも好い席よこせよ」と言っても、それだけでは誰もどうぞとは言ってくれまい。

  そこで、今こそ世界各国に向けて、声を大にして持ち出せるのが、「日本国憲法前文の精神と第九条」ではないだろうか?。

  私は、この年になっていささかの時間の余裕もでき、ご近所の「九条の会」の熱心な勧誘もあり、改めて、昔、読みかじった、今はもう黄変してしまった「憲法Ⅰ」清宮四郎著(有斐閣法律学全集3)を取り出し、再読してみた。

  そのP.76に中ほど以降に
 『第一段の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、本文第二章第九条に規定するように、この憲法で、きわめて徹底した戦争の放棄・軍備の撤廃という、世界史上画期的なくわだてをあえてしたが、それは、単に国をあげての大戦争に敗れ、ポツダム宣言を受諾した結果、やむをえないものと認めたからではない。冷静に過去の行為を反省するとともに、国家・人類の将来進むべき道を考察してみた場合、そこにおのずから恒久平和の念願が湧きいで、また、人間相互の関係を支配する崇高な理想―友愛・協和―を深く自覚するにいたったからである。そうして、このような自覚と念願にもとづき、みずからさきがけて、非常な決意のもとに、あらゆる戦争を放棄し、いっさいの戦力を保持しないこととした。その結果、自国の安全と生存を諸外国民の公正と信義にゆだねることになるが、それは覚悟のうえである、というのである。この立言の背後には、おそらく、目前には国際連合による安全保障、遠い将来には世界連邦の構想があったであろう。…』

  また、同書P.77には、
 『第二段の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とは、世界各国とも、やがては、わが国とおなじように、平和主義と民主主義に専念するにいたるであろうことを信じて、すでに徹底的な平和国家となった日本は、そのような国際社会で、模範となるような、名誉ある地位を占めたいと希望しているというのである。…』

 『第三段の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とは、みずから、世界にさきがけて平和国家となるが、世界各国も同じように、戦争の恐怖と経済的欠乏からまぬかれて、平和のうちに生存する権利があるのだといい、平和国家の生存権を自他について確認し、主張するものであって、平和国の理念の普遍性を強調すると同時に、各国に対して、わが平和主義にならうことをすすめているのである。』

 とある。

  何と、立派な、高邁な誇るべき理念ではなかろうか?

  翻って、わが国は、これまで、これほど高邁なわが国の憲法のこの文言を、世界に向けてどれだけ発信してきただろうか?。
  否、むしろ、これまで第一次湾岸戦争時でも、武力出動を求められた際の、お断りの言い訳にごく控えめに、肩身の狭い思いをしながら、ぼそぼそと呟いてきたにすぎないのではなかったか?

  今こそ、わが国が、国連安全保障理事国を目指すのは、この理念を実現するためだと強く主張すべき絶好の好機ではないのか?

  しかし、理念の提示だけではどこの国も本気で相手にはしてくれまい。

  そのためには、この理念を実現し、実効あるものすべく国際警察軍の常備を併せて提案すべきではないだろうか。(以下、次回に続く。)

夏場所中日八日目<蛾遊庵ピックアップ>ー把瑠都恐るべし!-

2006-05-15 01:19:31 | フォート・エッセイ
 5月14日(日)曇り後晴れ。日中暖、12~23度。

■ 夏場所中日八日目、把瑠都対嘉風。
 新入幕、把瑠都がまたまた凄い相撲をとった。立会い、嘉風を鎧袖一触(がいしゅういっしょく)弾き飛ばしてしまった。一昨日は白露山を吊り気味に寄り切った。この先、恐るべし!

     

■ 高見盛対栃の花。今日はどうか?。高見盛、毎日、人気力士、高見盛に懸かる懸賞目当てに相手は全力でぶつかってくるとのこと。これじゃ身も心ももたないとか。
 しかし、今日は、危うく、土俵際、逆転送り出して勝った。懸賞も無事手にした。天を仰いで意気揚々と花道を引き上げていった。
 よかった、よかった。一生懸命なのが勝つのは見ているほうも嬉しくなる。

            

■ 稀勢の里対雅山、 茨城県出身同士の対決。新鋭、19歳、稀勢の里、恐いもの知らずの面構えが好い。今日も巨漢(182k)、元大関に臆することなくぶつかっていったが、惜しくも寄り切られた。しかし、雅山も今場所は好調そのもだ。

              

■ 琴欧州対安美錦、今日は大丈夫だろうと安心して見られた。早く膝が治るといいのだが。心なしか腹の筋肉が、少し落ちたような気がする。
              

■ 白鵬対垣添、垣添、昨日は小兵ながら憎らしいくらいの巧さで、琴欧州を料理してくれた。しかし、その巧さを警戒した白鳳が突き放した。

      

■ 魁皇対若の里、魁皇が見違えるように蘇ってきた。面白くなるぞ!

               

■ 千代大海対朝赤龍、本日、結び一番。何と懸賞が20本以上も懸かった。これじゃあ、朝赤龍も力が入るわけだ。案の定、巧く千代大海の突きを交わして堂々の寄り切りに破った。土俵上に珍しく座布団が舞った。

       

 そして、今日の結果、一敗が3人、二敗が4人と、これからの後半戦が俄然目が離せなくなった。

                

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

「晩春点描ー緑雨の譜ー」

2006-05-14 00:31:45 | フォート・拙句(俳句)
 5月13日(日)終日雨。気温10度前後。
 
  今、緑が一際美しい。晴れた日の、陽光に煌く青葉も生命感に溢れていていいが、今日のような走り梅雨と呼ばれる雨に濡れて、しっとりとした木々の緑も、またそれはそれで瑞々しく美しい。
  傘をさして、デジカメ片手にちょっと外へ出てみた。

  庭先の雑木林の赤松の一本が、枯れて隣の松に寄りかかってかろうじて立っている。その松に絡みついた山藤が、高い梢で淡い花房をつけている。

            

          「松ヶ枝に 咲く山藤の 淡きかな」ー蛾遊庵山人 駄句ー

  その山藤が、路傍の背の届きそうな高さに、美しい花房をつけていた。

             

    


  こちらは、この辺の雑木林のそこここに、今を盛りと咲く山つつじである。桜が空に咲く花なら、こちらは地に咲く花というところか。
  桜の花がお姫さまなら、こちらは地味だが健康で、溌剌とした、今では滅多にお目にかかれそうにない村娘と言った風情か。

              

              「藪陰に 誰をか待つや 山つつじ」 - 同上 -

 
  雨に濡れそぼれて、青々とした葉の重なり、それもまた生命の潤いそのものである。

               

               「走り梅雨 濡れし青葉の 静もりて」- 同上 -

「どこにいるのかい?-芝生の下のモグラ君!ー」

2006-05-13 17:10:59 | 田舎暮らし賛歌
 5月12日(金)曇り時々薄日射す。

 この前から気になっていた。そろそろ芝生に新芽が出ようかというのに、モグラ奴がその直ぐ下を、縦横無尽に、まるで芝生を剥がしてやろうとばかりに走り廻るのだ。
 お陰で、芝生の表面は今やボコボコの無惨な有様。
 実に憎っくき奴輩である!。この芝生、私(山家の隠居)が、営々数百枚を何日もかかって植えたのである。
 最初の頃は、土壌が痩せていたためか何の支障もなかったのが、芝生に撒いた肥料がきいてか、モグラにとっては大好物のミミズがたくさん住み着くようになったらしい。そのごちそう狙っての悪さらしい。

 そこで、モグラの生態についてGooleで検索したのだが、いい資料が見つからなかった。しかし、”モグラガード”なる商品が通販されていることが分かった。

 これは、モグラが嫌がる地中振動を発生させ、それでもってモグラ君を退散させる仕組みとか。

 早速、取り寄せて、今日の午後、小一時間かかって、設置に及んだのが以下の過程である。

 <写真1:無惨なモグラの仕業。ボコボコの芝生。>

               

 <写真2:モグラガード、直径4.5㎝、長さ12㎝、円筒形状、重さ158g、電池(約半年間の寿命)で振動発生、>
                

 <写真3:芝生を剥がし深さ30㎝ほどの穴を掘る>
                

 <写真4:モグラガードを仕様書どおりにセットし袋詰めしたところ。>

                

 <掘った穴に入れるところ。これ1個で直径10mの範囲をカバーできるとか。しかし、1個では、心許ないので、5m間隔で▽形に設置してみた。>
                

 <埋め戻して、半年後の電池交換に備え、目印の杭を立て、レンガを埋め込んだ。>

                

 さてと、効果はいかに!。楽しみなことである。地下のモグラ君、どんな顔をしているのだろう?。まだモグラの実物にお目にかかったことの無い身としては、目をつぶったネズミでも想像してみるしかないか。

  ■ せっかくカメラを持ち出したついでに、庭隅に咲いた”もっこうバラ”を撮ってみた。離れ住む娘からのリクエストでもある。
                   

 ー追記ーモグラ退治には、これといったものがなかなか無いようです。
  このモグラガードも土質によっては、効果が今一とか。
  
  もし、このモグラガードに興味のある方は、進栄電子株式会社℡0598-56-7447へお問い合わせ下さい。価格は1個1,980円でした。

「共謀罪法案は、どこへいった?」-平塚殺害事件報道の影でー

2006-05-12 00:52:41 | 時事所感
 5月11日(木)雨のち曇り、夕方近く薄日射す。気温16~20度。

 このところ、朝の「スーパーモーニング」、チャンネル回せば平塚事件一色である。毎日毎日、飽きもせず同じ事件を針でつつくように、何を食べたとか、買ったとか、タクシー乗り放題とかを追っかけ取材でやっている。

 まるで他に重要なニュースが、何も無いとばかりに。何故なんだ?。

 こんな事件、猟奇的というか、それこそ何千万人に1人の性格異常者の特殊犯罪と見るべきで、被害者も親族の範囲であり、今のところ赤の他人にまでは及んでおらず、近頃の青少年による無軌道・無差別殺人事件ほどの一般性は極めて薄いとみるべきではないか?

 ならばそんなものをいくら突っついたって、今後の犯罪抑止のためにいったい何がでてくるというのだろう。

 それよりも、性懲りも無く今になってもいたちの最後っ屁のごとく、まるで親の敵を打たん執念で、今年こそは8月15日の終戦記念日に靖国参拝を果たさんとの大宰相閣下の目論見の如何。

 耐震偽装の捜査の動向?。或いは、今国会ででこそと、二年がかりの「共謀罪法案」を成立させようとの動きについて、またその法案の中身や多くの各界の人々の懸念について、一言も取り上げようとしないのは何故なのか?。

 この法案が通ると、ある人々は「日本が北朝鮮のような暗黒独裁国家になる」とおっしゃる。電話や、メール通信のやりとりが盗聴、検索されるようになるという。
 どこまで真実何だ?。それが知りたい!。日本弁護士会では反対のパンフレットまで作っている。自民党と今やどっちがどっちだかわからない民主党も反対している。

 その疑問に、法務省はQ&Aのホームページまで開設して、燃え上がる国民の疑念の炎の消火に躍起の有様。どうも怪しい?。その真意は?

 私(山家の隠居)のにわか勉強では、よく理解できないが、この法案の骨子を読んでみると、犯罪が現実に実行される以前に、二人以上で「あいつ、気に食わないから殺っちゃおうか?」という段階で、捜査機関の知るところとなれば、即逮捕できる、ことになる恐れのある法案らしい。

 まあ、そんな法律できたところで、今でさえ、栃木のリンチ殺人事件に見られるように、現実に拉致されて引きづり回されて、両親が必死に何とか捜査してくれと頼み込んでも、のらりくらりと動かなかった警察が、とても法律の意図する通りなんか動きっこないと見るのは、楽観すぎようか?

 こんな法律無くったって、国家権力は今でさえ、鈴木宗夫氏や佐藤優氏を、そしてライブドアのホリエモン氏と、いくらでも思いのままに、微罪をもっともらしく厚化粧させての国策捜査という手があるではないか?。

 そんな怪しげ訳の分からない猛犬ブッシュに尻尾振っての、「共謀罪法案」成立にうつつをぬかすより、何より現下の急務は、子供だろうと大人だろうと、精神障害者だろうと何だろうと、「一度殺意を持って故意に人を死に至らしめたら、原則、死刑の刑法改正」が真っ先ではないのか?。

 超大国・先進国(?)中国では、年間8000人も処刑されるとか。
 これによって少しは殺人罪が抑止されれば、警察官や刑務官も減らせ、今やすし詰めと聞く刑務所の過密も少しは緩和されるのでは?。
 そして、可愛い子供たちだって少しは安心して、登下校でき、昔のように道草を楽しむことだってできる世の中になるのでは?。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

大相撲夏場所4日目ー混戦、はたまた白鳳の独走か?-

2006-05-11 01:06:43 | フォート・エッセイ
 5月10日(水)曇り。16~24度。

 大相撲4日目、今日の我がお目当て、把瑠都対北桜戦、34歳最古参に対する新鋭19歳、結果は?
        

 「お若いの、まだ、まだだ!そう簡単にいかせやしねえぜ!」と、言ったところか。寄り切って、北桜の勝。よくやった!

        

 取り組み進んで、新小結、安馬対千代大海。安馬は痩身、小兵ながら果敢に何者も恐れずにかかっていく。往年の貴乃花を髣髴とさせないか?。今日も突きの本家の千代大海に向かって突きで立ち向かい、敢え無く玉砕した。

        

 膝を痛めて低迷する大器、琴欧州。対するは旭天鵬。今日は危なげなく勝った。

         
 
 昨日、連敗してまた振り出しに戻ってしまったかの栃東、今日の相手は今場所好調の若の里だ。何を考えているのだろうか?可愛いゴリラ君。お母さんに「何故、横綱、横綱って言うの?大関を維持するだけで大変なの知っているでしょう」と言ったとか。これじゃとても勝負師にも、横綱にもなれそうにないなあ…と思ってしまうのだが。
       
 それでも、今日は、気を取り直しての一番、何とかはたきこんで勝利した。       
       
  勝って、ほっと一息のゴリラ君である。
              

 今場所、絶好調の白鳳。出を待つ姿も泰然自若、もう横綱の貫禄さえ漂いはしないか?

         

 今日の対戦相手は、気鋭の稀勢里(19歳)闘志満々での仕切りだ。
         
 稀勢里、立会い鋭く白鳳を俵に詰め寄せたが?

          
 やはり、敵は一枚も二枚も上だった。見事に逆転、下手投げをくってしまった。

           

  そして、きょうの打ち止めは、今や満身創痍の土俵際大関、魁皇対垣添。今日は簡単に仕留めた。
         

 締めくくりは新十両皇牙の弓取り。関取の弓取りは珍しいとか。見事である。

            

 それにしても、朝青竜は2日の若の里戦で、土俵下へ転落し右ひじを痛めての欠場。
 何か、泡の消えたビールの味け無さ、臍のない饅頭を見るような寂しさを感じる。
 これで、今場所は、このまま白鳳が独走するか?意外に途中調子くるわせたところを、好調の雅山、若手の把瑠都、稀勢里あたりがからんでくるか、それなりに楽しみなことである。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 (※ 上の写真は、テレビ画面をデジカメで撮影してアップしてみました。写真が横に空いたスペースに収まるといいのですが、うまくいきません。それでも、テレビ画面をこうすれば結構、取り込めることができたのは収穫でした。)

ブラジル映画「セントラル・ステーション」を視る。-すさまじいもう一つの現実!―

2006-05-10 01:20:34 | 日常雑感
5月9日(火)快晴。暖、朝16度、日中は真夏日。

  昨晩、NHK衛星第2で、偶々、ブラジル映画「セントラル・ステーション」(1999年製作)を視た。この映画、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、主演の代書屋ドーラを演じたフェルナンダ・モンテネグロは主演女優賞を受賞したとか。それで、今頃、遅まきながらNHK様が、高いか安いかは人によって受け止め方が違う視聴料の見返りに放映してくれたわけだ。

 まあ、こんな悪態はともかく、視た後味は悪くなかった。

 ブラジルの首都リオデジャネイロの中央駅の通路で、代書屋を営む老女ドーラ、彼女は人生にもう何の期待も希望も持ってはいない。その日その日の糧を稼ぐために、文字の読み書きができない通りがかりの通行人相手に、代書してやるのである。(昔の渋谷の恋文横丁を思い出した。といっても聞きかじりだが)1件1ヘリアル。日本円の感じでは100円ぐらいか。投函までを依頼すると2ヘリアル。しかし、彼女は頼まれた手紙を態々切手をはってまでは出してなんかやらない。持って帰って大概は、自分の部屋のゴミ箱に捨ててしまうのだ。届かないのは不確かなブラジル政府(?、民営化されているのかどうか)郵便制度の所為(せい)にするのだ。

 そんなしたたかな彼女が、ある日一人の少年(10歳ぐらいか)を連れた母親から、別れた夫にこの子が父親に会いたがっているから連絡がほしいという手紙を書いてくれと頼まれる。
 ところが、その直後母親はバスに轢かれて病院に運ばれてしまい、子供だけがその場に残されて途方にくれている。

 それを見たドーラが珍しく仏心を起こして自宅に連れ帰る。しかしその後どうしていいか分からない。やむなく人に聞いた里親斡旋業者のところへ連れていく。子供を引き渡した謝礼に業者から1000ドルを受け取る。彼女はそれで帰途、前から欲しかったTVを買い換えて悦にいっている。

 そこへ、唯一らしい隣室の友達の女(娼婦か何からしい)が帰ってきて、夕べの坊やはどうしたのと詰問する。ドーラは答える。「里親紹介所へ連れて行った。あの子はお金持ちのところへ行って幸せになれるのよ。この国の教護院へ連れていくよりも幸せになるのよ」と答える。

 友人の女が言う。「あんた、何言ってるのよ。その子達、臓器移植業者に売り渡されるのよ。そのTVどうしたのよ。その子を売り渡したお金で買ったんでしょう!。あんた、そんなことすると後できっと後悔するわよ」と。
 
 翌日、ドーラは業者を訪ね、うまく騙して、いぶかり、あんたなんか大嫌いと叫ぶ男の子の口をふさぐようにして連れ戻しに成功する。

 それから、ドーラと少年の、母親から預かった手紙の父親の住所を頼りに、長いバスの旅が始まるのだ。
 
 しかし、ようやく尋ねあてた住所には、他人の家族が住み、父親らしき男はとっくにほかへ移って行ったと聞かされる。

 そこから、また僅かな噂話を頼りに、新たな旅が始まる。ドーラの持金も尽きる。無一文になる。雑貨屋で食べ物の万引きする。店主に鋭く問い詰められる。しかし、運良くヒッチハイクの二人を拾ってくれた、親切なトラック運転手の機転で救われる。しかし、その運転手の優しさについ女心を目覚めさせたドーラが擦り寄ろうとしたため、運転手からもおいてきぼりをくう。

 またまた、ピンチである。しかし、いい塩梅に、ある村で巡礼の大群衆に会う。そこで、少年の発案でにわか代書屋を始める。大当たりする。危機を脱した二人。

 最後に、もうあきらめて、二人で明日のバスでリオに帰ろうかというとき、偶然通りかかった若者が異母兄弟と分かる。しかし、父親は、少年の母親を尋ねてリオへいったきりだという。
 その晩は、兄弟の家に泊まる。少年は異母兄弟に挟まれて仲良く寝ている。

 それを見届けて、ドーラは、少年が買ってくれた(代書屋の成功でドーラが少年に渡した小遣い銭)ドレスを着て明け方のバス停に向かう。バスが発車する。ドーラの居ないことに気づいた少年が飛び出してきて必死にバスを追っかける。

 バスの中で、ドーラが呟き涙を拭う。「ジョゼエ(少年の名)は、いつか自分のことを思い出してくれるだろうか?いや、大きくなったらすぐに忘れしまうだろう」と。

 渇ききった筈の人生に絶望していた老女の心に、つかの間の少年との触れ合いが、みずみずしい人間の愛の心を取り戻したというお話である。

 この映画、現在のブラジルのありのままの姿を描写しているという。これが、そうならすさまじい現実の社会が、この地球の反対側の世界にあるのだ。
 ストリートチルドレンをまさに攫ってきて、臓器移植業者に売り渡す商売があるのだ。
 サンドイッチを万引きして逃げた若者が追い詰められて「どうか殺さないでくれ!」と哀願するのも聞かずに、その場で追っ手らしき男たちにたちまち射殺されてしまっても当たり前とされるような社会。
 まさに、日本の人権尊重主義者が見たらその場で悶絶死するのではないかと思ってしまう。

 しかし、だからこそ、子供たちでさえもがたくましく、したたかに生き抜いていこうとする人間としてのエネルーギーに満ち満ちているようにも思える。10歳の男の子がドーラと同じベットの中でセックスがどうとか大人の会話をさらーとするのである。

 それに、反して、小学校はおろか中学生にもなっても、親が付き添わなくては、スクールバスが無くては、目と鼻の先の学校にも登下校できないほど、過保護な日本の今日この頃とは。
 そして、すぐに切れたとか何とか言って、他人だろうと肉親だろうと、一人や二人殺しても、死刑にするどころか、きっといい子に成る筈だからと、数年したら元の娑婆に熨斗つけてお返してくれる大甘づっこけ社会とは、一体何なんだろう?

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。