蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その3)

2006-05-18 22:43:22 | 時事所感
5月18日(木) 雨後曇り。気温13~16度、肌寒し。

 前回、(その2)で、「私の懸念を吹き飛ばしてくれるようなページに出会った。」とは、

“戦争防止グローバルアクションー戦争、集団殺戮、国内武力紛争を止めるための連合構築に向けてープログラム文書 2003 (翻訳):ピースボート)”
 www.globalactionpw.org/prev/GAPW_Japanese.pdf-

という文書(全64頁)である。

  これを読むと、前回、私がおこがましくも記した国連警察機能の強化策について、とっくに、その道の世界の専門家が詳細に検討し提言されていたのである。

すなわち、世界各国の平和問題に係わられている専門家が、戦争や武力紛争、テロの防止・抑制策について、現行の国連機構、国際条約等に即して、実現可能な諸方策について、段階を分けて実現にいたる長期展望の下に、詳細に検討され提言されていた。

  ところで、この提言がなされて、早3年も経とうというのに、今まで各種メディアで報道されたり、紹介されることがなかったことに、大きな驚きを感じているところである。
 
  そこで、私同様、未だご存知なかった方へ、以下、その概要について、私の理解の範囲内で紹介させていただく。

  
■ 本プログラムの要旨

  20世紀は、人類史上もっとも破壊的な世紀であった。250回の戦争と集団殺戮攻によって、2億人以上の命が奪われた。米ソの冷戦終結以降でも600万人以上が死んでいる。

  世界の社会および政府は、殺戮を止める手段をすでに知っているのだ。足りないのは、それらの資源及び知識を、持続的、統合的かつ世界規模で実行に移すためのプログラムである。

  戦争防止グローバルアクションは、武力紛争を段階的に希少なものとしていくための包括的なプロジェクトである。

  本プログラムは三本の柱から構成されている。

第一は、現在進行中の紛争予防及び紛争解決措置の包括プログラムである。
  そのためには、主として以下の措置の実現を目指す。
● 国連事務総長等の自由裁量で活動する50人の専門調停者部隊を設置する。
● 国連総会に紛争予防委員会を設置する。
● 国連に常備志願制警察隊を設置する。
● 重大な人権侵害の首謀者個人を裁く国際刑事裁判所(ICC)を支援する。
● 国際司法裁判所(ICJ)の活用を拡大する。

第二には、通常兵器及び核兵器の地球規模での軍備撤廃を段階的に進め、同時    に、国際機関の平和維持能力を計画的に増強させるプログラムである。
   そのためには、主として以下の方策の実現を目指す。
● 国家の軍隊、軍事予算及び武器生産と貿易の削減
  軍隊、軍事費、主要兵器システム及び小型武器の世界的削減に関する条約を締  結する。超大国、33%、大国25%、小国15%を削減する。
● 核兵器廃絶への前進
  核弾頭および運搬手段の残存備蓄を、保有領土内において国際監視下に置くこ  とによって移動不能とする。
  不遵守に対する厳しい検証システムおよび不測事態対応計画に合意した後に、  残存するすべての核兵器を廃棄する。
● 国連および地域安全保障機関による平和維持および執行能力への依存拡大。
  国連に新たな可動的本部部隊を創設し、平和維持活動の迅速展開のため臨時資  金5億ドルを拠出する。
  国家の軍隊を、国連による平和維持及び平和執行のために割り当てる。
  迅速対応可能な平和維持旅団をすべての大陸に創設する。
  常時志願制国連平和維持隊を創設するための初期的措置を講じる。
  武力紛争予防の責任を、個別国家から国連および地域的安全保障機関によって  運営される地球的安全保障システムへと永久的に移行する。

第三には、平和と軍備撤廃のための国家施策に対する支持を育むために、平和の文  化を醸成し、軍備撤廃及び紛争削減のための個別プログラムを推進することで  ある。
  そのためには、主として以下の施策に取り組む。
● 非暴力的な紛争予防と紛争解決のための、あらゆるレベルにおける普遍的教育。
● 国内における民族的・文化的・宗教的グループ間の多様性に対する寛容と尊重  をきょうかし、また、政治的・宗教的過激主義に反対するプログラムである。
● 暴力を削減するため、人道支援、難民救済、経済開発、経済的正義、人権、女  性と子供の権利、ドメスティック・バイオレンスおよび青少年の暴力の防止、  環境保護などのプログラムの推進。
● 中近東、インド、パキスタン、スーダン、スリランカといった特定状況下での  信頼醸成、紛争予防、紛争解決及び紛争後復興。

  以上の、プログラムを下記目次にある第一から第五の段階に分けて今後4、50年の時間をかけて合意形成しつつ実現していこうとの主旨である。
                         (以下、次回に続く。)

ー追記ー参考までに本文書の目次をコピーしておきます。

目次
暴力を防止する:グローバルアクション・プロジェクト     ・・・・・ 5
2003~2007年の優先課題               ・・・・・ 8
変革へ――その必要性、状況、そして好機           ・・・・・11
グローバルアクション・プログラム
Ⅰ.内戦、集団殺戮、テロを防止するために、多国間の紛争解決、人権保護、武力紛争予防
の手段を強化しなくてはならない                                                    ・・・・・17
潜在的紛争の監視方法を強化し、危機拡大に対して警報を発し、武力紛争勃発
を防止し、紛争解決を促進する                                                     ・・・・・17
人権および地球的な法の支配に対する支持を強化する                                           ・・・・・21
多国間の平和維持能力を強化する                                                    ・・・・・23
国連システムの対対応能力と説明責任を拡大する                                             ・・・・・25
II.国際的な戦争を防止するために、国家の軍事力を削減し抑制的な国連兵力に置き換
えるという段段階的な軍備撤廃を進めるべきである                                           ・・・・・28
第1段階:大規模な国家間戦争の危険を低減させるための初期的措置を講じ
る                             ・・・・・29
第2段階:軍隊および軍事費の最大3分の1を削減し、主要兵器および小型武器
の生産と貿易をさらに大幅削減する              ・・・・・34
第3段階:一方的なな軍事介入を試行的に禁止する       ・・・・・37
第4段階:地球的安全保障への責任を国家から国際機関へと移行する                                   ・・・・・38
第5段階:国家の軍隊を短距離の国土防衛に限定する     ・・・・・40
Ⅲ.平和と軍備撤廃のための国家政策に対する支持を育むために、平和の文化を醸成し、
軍備撤廃および紛争削減のための個別プログラムを推進しなくてはならない                                ・・・・・42
グローバルアクションと戦争の根源的要因          ・・・・・43
行動計計画:地球的ムーブメントの目標           ・・・・・45
グローバルアクション・プログラムの概要          ・・・・・52
グローバルアクション国際運営委員会・米国運営委員会メンバー・・・・・57
訳注                           ・・・・・64

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その2)

2006-05-18 22:41:08 | 時事所感
5月16日(火)雨後曇り。気温、13~18度、肌寒い一日。

 昨日の記事で、日本が国連の常任理事国に立候補するのであれば、日本国憲法前文及び第九条に規定する理念を、国連の場で普遍化すべく高く掲げるべきであること。
 さらには、この理念を実効あるものとするためには、強力な国連警察軍を常設し、国連加盟各国が自国の防衛力によらずとも、他国の侵略や不当な暴力行為から回避できるように、併せて提言することを、もう少し詳細に考察してみようと試みた。

 私の考えるラフスケッチでは、国連加盟各国が現在保有している軍事力の何分の1かを、国連に提供することとすれば、国連の紛争抑止能力は、格段に実効性のあるものになること。
  反面、加盟各国にすれば、いつ起こるか分からない、いわば掛け捨てに均しい国家安全保障保険というべき負の性質の国防予算を削減でき、他のより緊急性の高い国民福祉増進分野に国家資源を回せることになること。
 さらには、国連機能の強化により、強大アメリカ一国主義による独善と横暴を、現状よりはいささかなりとも抑制でき、国際関係が加盟各国の理性的な合意によって、対応される機運が醸成できるのではないかと、いうことである。

 このため、現在、世界全体で凡そどのくらいの金額が、軍事予算として計上されているかを調べるため、Googleで検索してみた。

 何と、その額は、2003年の統計で、約6300億ドル、日本円して70兆円というところであった。日本の1年分の国家予算を少しオーバーした額である。しかし、この半分はアメリカ一国の支出額である。

  ちなみに、わが国は、今やこれも驚く無かれ、堂々の世界第4位、395億ドル。これを見て、世界の人々は何と思うだろう。憲法で言ってることと、実際は、月とスッポンポンではないかと?。一体、日本の言ってることと、やってることはどうなってんだい?と頭くりくり考え込んでしまうのではないか?。そして、そんな国信用できるのかい?と。
   
  それはさておいて、こうしてみると、アメリカの強大ぶりに今更ながら驚かされるではないか。
  しかし、いかなアメリカといえどもいつまでこんな莫大な負担に耐えていけるだろうか?。
  今、そのアメリカ国内では、不動産バブルが頂点に達しつつある一方で、医療保険もなく医者にもかかれず、ホームレスも増えていると聞く。
  そのような社会的病巣を放置したままの中で、突出した軍事予算支出は、早晩、何らかの形で、アメリカの国家財政の破状、ドルの暴落、世界恐慌という恐ろしい連鎖への破局を招くのではないか?、と予見するのは、単なる山家の隠居の白昼夢にすぎないであろうか?。

  こんなことを、あれこれ考えながら、さらにクリックしていくと、私の懸念を吹き飛ばしてくれるようなページに出会った。
    (※ 以下、次回に続く)

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」

2006-05-18 22:39:38 | 時事所感
 5月15日(月)晴れ、やや雲多し。暖。

 15日付けのブログ「世に倦む日日」“九条とEUと米軍―国民国家の主権制限と軍事力の一極集中”を読み出してびっくりした。そこに、ある読者からとして、私の、同ブログへのコメントの一部が、原文のまま引用、紹介されていたからだ。

 それは、5月8日アップの同ブログ“ネット企画としての5.3憲法ディー平和憲法のエバンジェリズム”を拝見して、護憲を金科玉条に叫ぶ方々のウン十年一日ごときあり方について、日ごろ、私が感じていた胡散臭さというか、展望のなさというか、歯がゆさというか、そのジリ貧的な無力さ加減について、実に見事にその病態が摘出されていて、思わずそうだ!と心の中で喝采し、一筆コメントを送られずにいられなかったからだ。
 そして、「護憲派は、国連改革と国連警察機能強化の方策をもっと積極的に提言せよというのが、この投稿者のご意見だった。全く同感である」と結ばれていた。

 このような高名なブログに、たまたま投じた自分の文章が取り上げられようなどとは、夢にも思ってみなかったので、正直嬉しかった。何よりも、私の拙い提案にご同意を得たことが、満更的外れでも無さそうなことに、いささかの自信が湧いた

 そこで改めて、わが国の今後の国連へのあり方について、一言提言してみたい。

 わが国は、皆様ご承知のとおり、国連分担金について、加盟国中、米国に次いで19.3%を負担している。謂わば、国連の大スポンサーというわけである。
にも、関らず戦後、独立後加盟を認められて半世紀近くになるというのに、未だに非常任理事国の扱いのまま、蚊帳の外に置かれた状況に放置されている。「金は出しても、口だすな」という、ひとを馬鹿にした扱いである。

  政府は、これではならじと、ようやく本気で常任理事国入りを目指すべく、先般の国連総会での立候補提案を始め、つい先ごろも、小泉首相が何を思ってか、ご近所の中国、韓国ではなく、見当違いのアフリカ諸国へ支持を求めに行った。(歴史好きな大宰相閣下が、古代中国の戦国策、遠交近攻策にならったのか?)

 しかし、日本は、一体、どんな理念をもって、常任理事国入りを目指すのか、今一つ定かではない。
  ただ、「こんなに沢山、金出しているんだから、俺にも好い席よこせよ」と言っても、それだけでは誰もどうぞとは言ってくれまい。

  そこで、今こそ世界各国に向けて、声を大にして持ち出せるのが、「日本国憲法前文の精神と第九条」ではないだろうか?。

  私は、この年になっていささかの時間の余裕もでき、ご近所の「九条の会」の熱心な勧誘もあり、改めて、昔、読みかじった、今はもう黄変してしまった「憲法Ⅰ」清宮四郎著(有斐閣法律学全集3)を取り出し、再読してみた。

  そのP.76に中ほど以降に
 『第一段の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、本文第二章第九条に規定するように、この憲法で、きわめて徹底した戦争の放棄・軍備の撤廃という、世界史上画期的なくわだてをあえてしたが、それは、単に国をあげての大戦争に敗れ、ポツダム宣言を受諾した結果、やむをえないものと認めたからではない。冷静に過去の行為を反省するとともに、国家・人類の将来進むべき道を考察してみた場合、そこにおのずから恒久平和の念願が湧きいで、また、人間相互の関係を支配する崇高な理想―友愛・協和―を深く自覚するにいたったからである。そうして、このような自覚と念願にもとづき、みずからさきがけて、非常な決意のもとに、あらゆる戦争を放棄し、いっさいの戦力を保持しないこととした。その結果、自国の安全と生存を諸外国民の公正と信義にゆだねることになるが、それは覚悟のうえである、というのである。この立言の背後には、おそらく、目前には国際連合による安全保障、遠い将来には世界連邦の構想があったであろう。…』

  また、同書P.77には、
 『第二段の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とは、世界各国とも、やがては、わが国とおなじように、平和主義と民主主義に専念するにいたるであろうことを信じて、すでに徹底的な平和国家となった日本は、そのような国際社会で、模範となるような、名誉ある地位を占めたいと希望しているというのである。…』

 『第三段の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とは、みずから、世界にさきがけて平和国家となるが、世界各国も同じように、戦争の恐怖と経済的欠乏からまぬかれて、平和のうちに生存する権利があるのだといい、平和国家の生存権を自他について確認し、主張するものであって、平和国の理念の普遍性を強調すると同時に、各国に対して、わが平和主義にならうことをすすめているのである。』

 とある。

  何と、立派な、高邁な誇るべき理念ではなかろうか?

  翻って、わが国は、これまで、これほど高邁なわが国の憲法のこの文言を、世界に向けてどれだけ発信してきただろうか?。
  否、むしろ、これまで第一次湾岸戦争時でも、武力出動を求められた際の、お断りの言い訳にごく控えめに、肩身の狭い思いをしながら、ぼそぼそと呟いてきたにすぎないのではなかったか?

  今こそ、わが国が、国連安全保障理事国を目指すのは、この理念を実現するためだと強く主張すべき絶好の好機ではないのか?

  しかし、理念の提示だけではどこの国も本気で相手にはしてくれまい。

  そのためには、この理念を実現し、実効あるものすべく国際警察軍の常備を併せて提案すべきではないだろうか。(以下、次回に続く。)