蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「麗しの我が山河ーお田植えが終わった!ー」

2006-05-26 01:07:10 | フォート・エッセイ
5月25日(木)晴れ。日中は暖。
 
  何時だろう。カーテンの隙間が明るい。窓を開けると、赤松の梢越しに陽光が燦燦と周囲の雑木の若葉に、見下ろす芝生の上に降り注いでいる。右手遠くの鳳凰三山の高嶺に目をやる。今日は青々と一片の雲もかからずよく見えている。
 こうしちゃあいられない。朝食もそこそこに、慌ててカメラバッグ、スケチッチ道具を、我が愛する軽トラ・ロシナンテに放り込み、飛び乗って出かけた。

 どこを見ても美しい。最初にロシナンテを停めたのがこの場所だ。つい先日までは、茶色い底土がむき出しでカラカラに干上がっていた田んぼが、まるで手品のように今日見れば、水が満々と張られ、5、6cmほどのか細い早苗がきれいに櫛の目条に植えられ、かすかに風にそよいでいる。
 その水面に、鳳凰三山が美しい投影を落とす。山嶺の雪筋もあっというまに切れ切れとなってしまった。

                

  少し行くと今度は、甲斐駒が見えた。この山も、いろいろの視点から何度も描いてみるのだが、いまだに満足な作品にならない。

    

  おなじみの八ヶ岳である。この山は比較的描き易い。しかし、八ヶ岳の投影を見られるのは、この時期の僅かの間だけである。稲の苗が直ぐにすくすくと育つと、たちまち水面が掻き消えてしまうのである。

                  

 北杜市長坂の七里が岩ライン周辺は起伏に富んだ地形である。車を走らせているとくねくねとした道を曲がるつどに、次はどんな風景が目に飛び込んでくるか全く予想がつかない。そこが魅力である。今日も、こっちへ一寸曲がってみるかと、狭い道を抜けたらぱーっと美しい集落の一角に出た。
 集落の、中心に若宮八幡宮という小社(やしろ)があり、境内に入ってみると見事な架かり舞台があった。八ヶ岳と甲斐駒という二大名山が借景なんて能舞台はざらにはないではないか。

      

  神社の境内から、車に戻る途中で、野良仕事のおばあさんと目があった。「こんにちは」と声をかけると、丁寧な挨拶が返ってきた。
  気がついたら、道端にしゃがみこんで小一時間も話し込んでしまった。

  楽しかった。先ほどの舞台では、毎年8月14日の夜、稚児舞の奉納祭りが行われるそうだ。集落の10歳を迎えた女の子が美しい衣装を着て、三番の舞を奉納するという。もう200年も続くという。男の子は、境内の屋根無の土俵で相撲をとるのだそうな。
  子供の成長を地域全体で見守り寿ぐ江戸時代からの日本の美しい習俗が、まだこのへんでは脈々と生きているのだ。

  昨今の子殺し殺人は、このような習俗の廃絶に反比例するようにして増えてきたのではないか?。おばあさんの越し方を聞き、我が当地に越してきた思いを語り、共に、こんなにも美しい所で暮らす幸せを語り合い、8月14日には是非来るようににとの、お誘いの言葉を背に分かれた。

                 

  帰途、我が母なる茅が岳が映る田んぼに出た。いつ見ても優しい表情のいい山だ。

  

  我が家が近くなった。すぐ傍にこんな美しい風景があったのだと改めて気づく。人間て、何で、すぐ傍にある良いものには気づかず、絶えず遠くにあるものばかりを追い求めるのだろうか?。
  この情念のぶつかり合いが、世の中を複雑にし、住み辛くしているのだろうか?。

                

 早苗、このか細い華奢な水草がたちまち大きくなって黄金の米粒をいっぱい着けて、私たちの命をささえてくれるのだ。なんと有り難いことではないか。

    
  
    日本の田園の日暮れである。ミレーの名画「晩鐘」とは、また違う日本人の祈りの気配が漂ってはいないだろうか。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

                 

 -追記ー
  この辺りでは、「田植え」なんて無造作な言い方はしない。「お田植え」というのである。一家、親類縁者総出で「お田植え」が終わると、皆して近くの公共温泉へ行き、持ち寄りのご馳走でこころゆくまでくつろぐのだそうな。これも、上記のおばあさんんから聞いた話である。