蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

高遠城址の桜哀感

2006-05-01 08:13:09 | フォート・エッセイ
4月30日(日) 晴れ。日中20度。

 あっという間に4月も終わった。四月といえば桜の花に入園・入学・入社式。その桜の花もぱっと咲いたと思ったら、今はもう葉桜だ。

 今年は、いつになく桜をよく見に出かけた。塩山市郊外の慈雲寺の大糸桜、小淵沢の神田の大糸桜(これは少し早くてまだ蕾しかみられなかった)、そして高遠の桜と。

 塩山と小淵沢の桜は、一木の大きさと古さが見ものといったところだが、高遠は違う。

 桜の花そのもが小彼岸桜という種類。花の色が淡い。花が一杯で空がみれないほどである。
 そして何よりも城址ということ。しかも織田信長に攻め滅ぼされているのだ。武田勝頼の弟、仁科五郎信盛、勇敢に戦ったが衆寡敵せず敢え無く討ち死にしている。

 そして、もう一つの哀話は、時代は下って江戸時代、大奥女性の政争に負けて配流されこの城址の直ぐ側で三十年間も幽閉されたまま亡くなった大奥女中絵島の悲劇だ。

 これについては、偶然、NHKの「その時歴史が動いた」で6代将軍家宣の正室天英院が8代将軍吉宗を指名し、側室月光院との苛烈な政争に勝った経過が語られていた。絵島はその月光院の寵愛を受け妬まれ失脚したのである。

 今は、城址公園の一部に移設復元されている絵島囲い屋敷というのを見ると、そそぞろに哀れを誘われる。たかが、少しばかりはめを外したからといって、今ならどうということもないゴシップで終わる話が関係者1500人を巻き込んだ、大事件だったとか。
 それなのに女性の身で終身禁固刑とは、あまりにも酷過ぎる話ではないか。

 いつの時代も同じことをやっても背景次第で罪になったりならなかったり、人の運なんてものはまさに花のように儚いものかと…思わせられる。

 高遠の桜は、そんな人間ドラマに纏わるゆえか一際哀切である。人出が多いだけに余計往時の寂しく厳しい情景がオオバーラップするからである。

     

     

 花の下では、人が多くとても飲み食いできる雰囲気ではない。そこで城址を出た少し離れたところに小さな蕎麦屋さんを見つけて入った。とてもよかった。
 盛り付けが涼しげで楽しい。店主夫人の工夫とか。味もよかった。

      

 ー追記ー
 懐は隙間風が吹いているというのに、こんなに暢気に桜見物に出かけられたのも、ライブドアショックの余慶かと思う。
 今、ささやかな持ち株の含み損で嫌気がさして休止状態だからだ。
 とはいえ、果報は寝て待てとか…、いや、いくら待っても来るのは督促状ぐらいでしょうか?
 さて、来年はどんな花見となることやら…

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?