蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その2)

2006-05-18 22:41:08 | 時事所感
5月16日(火)雨後曇り。気温、13~18度、肌寒い一日。

 昨日の記事で、日本が国連の常任理事国に立候補するのであれば、日本国憲法前文及び第九条に規定する理念を、国連の場で普遍化すべく高く掲げるべきであること。
 さらには、この理念を実効あるものとするためには、強力な国連警察軍を常設し、国連加盟各国が自国の防衛力によらずとも、他国の侵略や不当な暴力行為から回避できるように、併せて提言することを、もう少し詳細に考察してみようと試みた。

 私の考えるラフスケッチでは、国連加盟各国が現在保有している軍事力の何分の1かを、国連に提供することとすれば、国連の紛争抑止能力は、格段に実効性のあるものになること。
  反面、加盟各国にすれば、いつ起こるか分からない、いわば掛け捨てに均しい国家安全保障保険というべき負の性質の国防予算を削減でき、他のより緊急性の高い国民福祉増進分野に国家資源を回せることになること。
 さらには、国連機能の強化により、強大アメリカ一国主義による独善と横暴を、現状よりはいささかなりとも抑制でき、国際関係が加盟各国の理性的な合意によって、対応される機運が醸成できるのではないかと、いうことである。

 このため、現在、世界全体で凡そどのくらいの金額が、軍事予算として計上されているかを調べるため、Googleで検索してみた。

 何と、その額は、2003年の統計で、約6300億ドル、日本円して70兆円というところであった。日本の1年分の国家予算を少しオーバーした額である。しかし、この半分はアメリカ一国の支出額である。

  ちなみに、わが国は、今やこれも驚く無かれ、堂々の世界第4位、395億ドル。これを見て、世界の人々は何と思うだろう。憲法で言ってることと、実際は、月とスッポンポンではないかと?。一体、日本の言ってることと、やってることはどうなってんだい?と頭くりくり考え込んでしまうのではないか?。そして、そんな国信用できるのかい?と。
   
  それはさておいて、こうしてみると、アメリカの強大ぶりに今更ながら驚かされるではないか。
  しかし、いかなアメリカといえどもいつまでこんな莫大な負担に耐えていけるだろうか?。
  今、そのアメリカ国内では、不動産バブルが頂点に達しつつある一方で、医療保険もなく医者にもかかれず、ホームレスも増えていると聞く。
  そのような社会的病巣を放置したままの中で、突出した軍事予算支出は、早晩、何らかの形で、アメリカの国家財政の破状、ドルの暴落、世界恐慌という恐ろしい連鎖への破局を招くのではないか?、と予見するのは、単なる山家の隠居の白昼夢にすぎないであろうか?。

  こんなことを、あれこれ考えながら、さらにクリックしていくと、私の懸念を吹き飛ばしてくれるようなページに出会った。
    (※ 以下、次回に続く)


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