蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

社会保険庁の不祥事―組織の腐敗堕落―は何故起きる?

2006-05-27 02:06:08 | 時事所感
5月26日(金) 曇り。肌寒い一日。

  先日の23日、私のブログにコメントをいただいた「さくら」様から、「社会保険事務所の不祥事もご意見を聞かせていただけたら」という宿題(?)をいただいた。
  私ごとき山家の隠居に「ご意見を…」と言われると、おこがましくて、何だか落ち着かない気分になってしまう。実は、まだこの時、社会保険事務所の不祥事とは何のことか知らなかったのである。

  そこで慌ててニュースを検索してみたら、大阪の社会保険事務所で徴収率を上げるため、納付義務のある未納者のところにせっせと汗水垂らして、説得して納めてもらうようにするのが本来の職務と思ったら、豈はからんや
面倒くさいから、納めなくてもいいことにしちゃえとばかりに、おまけに本人には無断で、せっせこほいさ組織ぐるみで、国民年金の保険料を免除したり納付を猶予したりしていたことが判明した、と云うことだった。

  そして、今朝のスーパーモーニングを見ていたら、これは大阪だけにかぎったことではなく、遠く離れた長崎をはじめ全国各地でだそうな。これは鳥インフルエンザではあるまいし、大阪のウイルスが特別長崎に飛び火したわけではなく、昨年末、鳴り物入りで小泉大宰相閣下の懇望もだしがたく、どこかの損保会社の副社長から天上がりされた村瀬長官様の特別なご指示によるものだそうな。「何が何でも徴収率をアップしろ!と。でないとお前(社会保険庁)らに明日はないぞ!」と、怒鳴り上げたそうな。
  この檄で、局長以下奮起、雀躍の結果が今回の体たらくという仕儀らしい。

  社会保険庁といえば、徴収した保険料のなかから、全国各地に、国民皆のリゾート施設をと絢爛豪華な何とかピアを建てまくり、保険庁OB天下りウハウハ送り込み、バブルはじけりゃ、たちまち閑古鳥が高鳴きの大赤字、今じゃ引き受けてもちょっとやそっとみつからない有様とか。
  かてて加えて、年金未納の個人情報垂れ流し。その結果、一時は社会保険庁の解体論も賑やかだったのに、今朝、聞いてみりゃ看板ちょっと書き直すだけの「チャラチャラ流れるお茶の水」ってことらしい。

  一体全体、これを決める政府与党の自民・公明党は、どこを向いて誰のために高い歳費を懐にして、政治をやってるつもりなんだ?と、無駄と知りつつ聞いてみたくもなる。
  しかし、困ったことに、その与党に気前良く票を貢いだのは我等一人ひとりの国民だったのではないか?。
  と、言ってしまうと、我等庶民は袋小路のどぶの中である。これではちょっと救いがない。

  そこで、一転、視点を変えてみる。
  社会保険庁だって、昔かられっきとした国家機関であり、その職員は国家公務員である。

  公務員は、採用されると、宣誓書に署名捺印をしなければならない。曰く「わたくしは、全体の奉仕者として職務に専念することを誓います。」と。そして新任研修においては、それが具体的にどういうことか、懇切に指導されるのである。もし、このとおり一人ひとりの公務員が、生涯この精神を金科玉条と奉じて職務に専念してくれれば、とっくの昔にこの日本は世界一のユートピアになっているだろう。

  ところがどっこい玉手箱で、現実のあらゆる分野で官僚組織の腐敗堕落振りは、日々枚挙にいとまない。

  これは、国家公務員、あるいは地方公務員(でも自治体によって制度に違いがある)でも採用試験、昇任試験、昇任システムに大きな問題があるからではないか。
  所謂、エリート優遇のキャリアシステムの問題性である。公務員改革が言われるたびに俎上には上るが、その抜本的見直しは、何故かいつの間にか、うやむやにされもとの木阿弥である。

  人は誰でも、最初の一回だけの採用試験で、それが上級・中級・初級職かによって、一度中に入ってしまえば出直して受験しなおさないかぎり、それも年齢制限がある中で、職業人生の生涯が不動のものとして決定されてしまうようなシステムの中で、誠意と熱意と向上心を持続しえるだろうか?。

  即ち、上級職で入った者は、入って数年で、自分の父親ほどの年齢の部下の長となり、ろくに一つの分野に精通することもなく唯ひたすら出世の階段駆け上り、棺おけに足突っ込むまでの身分と報酬が保障される中で、一体幾人が、わざわざ国民公益増進のために日夜、精励勉強につとめるようになるであろうか?。

一方、初級職で入った者は、いくら奮励努力したところで、行き着く先はたかがしれているのである。だから少しばかり狡知に長けたものは、面倒なことは何でも部下任せのキャリアの上司に、ゴマすって裏金づくりの知恵でも磨くほかには、憂さのはらしようのない閉塞職場となってしまうのでないだろうか?。
  社会保険庁の職員は、上級職は一握りと聞く。

  こんなことは、これまでさんざんあちこちで語られつくされてきたことだ。みなさんとっくに承知の助左衛門であるはずだ。だが、いつまでたっても誰も直そうとしない。水槽の水は酸欠でますます腐るばかりである。

  私は、高卒で、国とある大都市自治体の両方の初級試験に合格した。国のほうは大蔵省の面接も受けた。しかし、そのときの大蔵省の三人ほどいた面接官の猫がネズミをもてあそぶような、横柄な人を見下した態度に、心底はらが立ったのを今も忘れない。
  高卒でこんなところに入ったところで、こんな奴らに一生こき使われたのではたまらないと思った。幸か不幸か大蔵省からの採用通知はこなかった。
  国のほうは自治省からは採用通知をもらったが、結局、入ってからの身分差別がなく、内部での昇任試験にさえ合格してしまえば、後は実力次第と聞いた大都市自治体の方を選んだ。

  結果は正解であったと思っている。そこでは、学歴はそれほどものをいう世界ではなかった。何しろ東大出ようがどこを出ようが、先ず主任試験、管理職試験とクリアしていかなければ、係長にも課長にもなれないのだ。
  高卒採用でも、先輩、同期で副知事、局長になったひともあり、採用当時の人事部長だったかが「私は給仕で入ってここまできた。あなた方も勉強次第でどこまででもいける。ここはそういうところだ。希望を持って仕事に励むように」という訓示に嘘はなかった。

  しかし、それでも人間は、くつわを外されると難しいものである。一旦管理職試験に合格してしまうと、昨日までとは仕事への姿勢、仲間への態度等が、がらっと変わってしまうものが結構多いことである。
  昇任試験の面接では、「私が合格いたしましたら、市民のために職員の先頭にたって、セクショナリズムに陥らず、市民の皆様や職員の声に謙虚に耳を傾け、どんな困難な局面にも全力をもって尽くします。」との、決まりセリフを臆面もなく述べて合格したはずなのに、いざ管理職なって三ヶ月もしたら、そんなこと誰がいつ言ったという態度に変貌するのである。懸案事項は後回し、三人寄れば、次の異動ポストの下馬評、願望、嫉妬渦巻く噂話しの花盛りである。

  だからといって在職中は、最後までくつわをはめっぱなしにせよ、というのも酷な話だし。
と、思う今日この頃、さて皆さんはいかがお思いでしょうか?。

ー追記ー

 高校の漢文の時間に論語の「先憂後楽」という言葉を学んだ。政治に携わるものすべからく「民に先んじて、憂い(汗水を流し)、民がおなかを満腹にして満足した後、はじめて自分も楽しませていただく」心構えでなければならないの意だっただろうか。
 昔の人は、随分いいことを言うなと思った記憶がある。

 この言葉、一寸前は政治家でも官僚でも不祥事が報じられる際その姿勢を歎ずることばとして紙上よく見聞きしたが最近はとんと聞かなくなったような気がする。

 公務員の採用試験にせよ、昇任試験にせよ、この覚悟が少しでも多くある者を選考する試験制度は考えられないだろうか?。
 いわゆる知識・知能の一定レベルは必須としても、何よりも肝要なのは、人格、人柄ではないだろうか。人の痛みが想像できる感受性豊かな人間性を把握できる方法である。
 それには、現行の試用期間を1~2年と長くし、評価を多面的に厳しくすることも一考ではないかと愚考するのだが。

  そして、今度こそ、公務員改革の要としてキャリア制度を廃止し、先進的な大都市自治体の採用・昇任制度を見習うべきではなかろうか?
  少なくとも、努力するもが夢を持てる職場とすることである。先行きの希望を断たれている職員に、よき公的サービスを期待するのは、ないものねだりというべきではなかろうか?。