いつの時代も、贅沢品がいつの間にか、あって当たり前の品物になっています。
現代においても、50年前は、家電製品や自動車も庶民の手に届かないものであったのが、今ではあって当たり前になっています。
その分、生活が快適になっているかと言えば必ずしもそうでない面もありますが・・・
江戸時代においても同じ事が言えます。
例えば、当時としては超高級品であった絹物を着られた身分の高い人や大金持ちはともかく、一般庶民は麻の着物が着られれば上等で、葛、籐、科のような丈夫な木の皮の靱皮繊維を精製した糸で織った布で衣類を作るのが普通であったようです。
ところが、戦争という無駄なものがなくなった太平の世になり、農業製品が一応満足になると、茶、桑、漆、藍、地方によってはタバコ、菜種などの儲かるものが造られるようになりました。
”コスモス”F8号
その中でも、特に摂津国、河内国では、最盛期には全耕地の70%も綿の栽培をしていてそうです。
そして、綿布は次第に普及し、質素な普通の着物になっていきました。
木綿ばかりか絹も次第に普及して、農民も絹製品を着るようになったようです。
というのも、当時の百姓に対する触書には、衣類は、帯や裏地にも麻や木綿以外を使ってはならないと書かれてあり、このことは、つまり百姓は、絹物を着てはならないということなのです。(1649年の慶安御触書による)
そして、八代将軍徳川吉宗による「享保の改革」の時は、将軍自らが木綿の衣服を着て質素な生活の模範を見せるようにさえなったのです。
100年前には、贅沢品であった木綿の着物を着ることが、1700年代には質素と言うよりつつましい暮らしの象徴にさえなったのです。