江戸時代の風俗や事物を説明した書物で”守貞漫稿”という一種の百科事典があります。
著者は喜田川守貞で1837年から約30年間書き続けて全35巻、1600点にも及ぶ付図と詳細な解説を綴ったもので近世風俗史の基本的かつ貴重な文献です。
その中で、江戸時代の物売りや回収屋の一節があります。
ペルーが黒船で来航したときに、驚いたのは、江戸の町の清潔さだったそうです。
というのも、当時のパリやロンドンなどの世界の主要都市での排泄物は、川や道路に垂れ流しであったようです。
そのため街は汚く、コレラなどのが流行していました。
江戸時代の排泄物の処理はどうしていたのでしょうか?
当時は、排泄物は貴重なもので、ほとんど運び屋という職業の人が田舎に売りに行き、田んぼや水田で利用していたそうです。
水田では、排泄物は水の浄化作用があり、田んぼでは肥料として、貴重な品として売り買いしていました。
瀬戸物の焼き継ぎ業者 灰の回収業者
上記挿絵は、”守貞漫稿”による
その他に、鋳(い)かけや、瀬戸物の焼き継ぎ、下駄の歯入れ、たが屋、鏡研ぎ、紙屑の買い(拾い)、古着屋、傘の古骨買い、行灯の仕替え、灰買い、などがありますが、どのような商売か分かるでしょうか?
その他に”湯屋の木拾い”というものがあります。
当時の物価指数を計るのに湯屋の湯銭というのがあります。
風呂屋の代金で江戸の中期の150年間、大人6文、子供4文と変わらなかったそうです。 それだけ物価が安定していたということが分かりますが、そのためには企業努力も怠らなかったようです。
つまり、風呂屋の従業員が燃料費を節約するために町内の端材などを拾い集めたのです。
江戸時代の江戸の町は、世界一の人口を抱えていたのですが、ゴミの回収や物の修理など、今にして思えば立派なリサイクルをしていたことになるのです。