隣県、茨城県ひたちなか市にある虎塚古墳が秋季公開中なので、代休の上子カメ(ヤツは昨日、持久走大会だった)と一緒に行って来た。
あ、上子カメも日本史・命の歴女。歴女二代での散策・・・な~んて。
北関東自動車道をバビューンと飛ばして、向かう先は那珂湊。
おさかな市場に隣接した市営駐車場に車を停め、そこから歩いて10分足らずの那珂湊駅に向かった。
↑那珂湊駅
この駅舎も貴重な木造建造物で、大正2年に建てられた。
↑虎塚古墳のある中根駅までの切符を買って、レンタサイクルの申し込みをしたら、このようなファイルをくれた。
ひたちなか海浜鉄道の時刻表も入っていて、とっても便利。
↑電車を待つ間、駅員さんが駅猫おさむを呼んでくれた。
(とても親切な駅員さんだった)
「ワオ!おさむ、正月以来だね~♪」
とハグしたら、スゲ~迷惑がって、こ~んな顔(涙
↑那珂湊駅からひと駅の中根駅
↑中根駅から自転車に乗って虎塚古墳に向かう途中で、虎塚4号墳(方墳)を発見。
此処は古墳が多い場所なのだ。
↑虎塚古墳(前方後円墳)
↑玄門への入り口
↑玄室内部は、このような装飾壁画になっている。
白色粘土で下塗りした上に、ベンガラ(酸化第二鉄)で文様が描かれており、文様は主に魔よけの意味合いを持つ。
奈良県の高松塚古墳と同じくガラス越しに観る玄室で、学芸員さんの説明が終わるや外に出されてしまった。
もっと自由に観られるかと思っていたので、ちょっとガッカリ。
しかし、昔の人が祈る思いで描いた文様には心を打たれた。
↑虎塚古墳の周辺には広大な芋畑が。
そう、この辺は全国きっての干し芋の産地。
↑虎塚古墳を出て、芋畑を見ながら進むと十五郎穴(十五郎横穴群)がある。
古墳時代末期から奈良時代に掛けて築かれた。
この手の墳墓は、埼玉県の吉見百穴が有名。
↑横穴には大小の差があり、小さな横穴からは小児の遺骨が出土した。
そして、副葬品としての須恵器も発見されたらしい。
「土師器と須恵器って、懐かしい名称!日本史でやったよな~」
と思いながらも知識は忘却の彼方・・(涙
なので、現役の上子カメに土師器と須恵器に付いて教えてもらった。
↑十五郎穴の後にひたちなか埋蔵文化財センターに行き、虎塚古墳の副葬品を観た。
虎塚古墳は7世紀前半頃に築かれたそうで、これは十五郎穴と同じ古墳時代後期に当たる。
古墳時代後期墳墓の特徴は、横穴式の玄室に装飾が施されていること、そして副葬品が土器や馬具、武具などの日常的なものであること。
ちなみに、古墳前期の副葬品は呪術的用品、古墳中期は権力的・実力的用品。
時代が下るに連れて大きさも手頃(?)になって来ることからも、墓を造ることが一般的になりつつあったのだろう。
それにしても、日本人ってのは墓造りの民だなぁ・・・と、つくづく思う。
↑古墳群を堪能した後は、また自転車に乗って中根駅に。
それにしても、知らない場所を自転車で走るって良いね~♪
スゲ~楽しかった♪
↑中根駅から那珂湊駅まで電車で戻り、おさかな市場に行ってちょっと遅めの昼ごはん。
森田水産の回転寿司、美味っ♪
特に、この特上うにの美味しいことったら・・・ついつい3皿も食べてしまった・・・ってか、この柄は1050円の皿なんだよね(汗
↑あ~、美味かった!
ゴチゴチ
この後、しこたま海産物を買い込んだ。
何せ海なし県民、獲れたて鮮魚に弱いのだ。
↑おさかな市場を出て、今度は幕末の世界に。
これは山上門(さんじょうもん)で、水戸藩江戸小石川邸に設けられた勅使奉迎用の門。
小石川邸に通った西郷隆盛がくぐった門としても有名。
↑春に来た時にも思ったが、この懸魚が素晴らしい。
↑山上門の上には水戸藩の反射炉がある。
現存するのは昭和12年に復元されたレプリカ。
しかし、安政4年(1857年)に完成した反射炉は、全てが耐火レンガ造りだったそうで、この外観がレンガなら更に良かったのになぁ。
↑反射炉の説明板。
やはり、春に来た時にも思ったけど(笑)この図がすご~く分かりやすい。
↑この反射炉で20数門の大砲が造られたそうで、これはそのレプリカ。
↑反射炉の裏側を見ると、何と落書きが・・・
馬鹿ってのは、壁があると書きたくなるらしい。
↑反射炉に使う耐火レンガを焼いた登り窯。
これも復元。
反射炉を観ていたら、巡回していたおじさんが柵の中に入れてくれ、細部までジックリと観ることが出来た。
ま~、それで落書きも見つけちゃったんだけど(汗
これにて、本日の行程終了。
古墳時代後期の古墳群
キハ車両
駅猫おさむ
おさかな市場
幕末の遺構
と、何やら充実しまくりの一日だった。
あ~、歴史が好きで良かった~
だって、何処に行っても楽しいもの~