旧愚だくさんブログ

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慟哭!足尾製錬所

2009年02月08日 | カメ的世界遺産・足尾

<「下野新聞」2月5日記事より抜粋>

■日光・世界遺産を目指す足尾銅山■

「残したくても残せない」
解体進むシンボル施設
現行法の壁にジレンマも

高さ45メートルの大煙突がそびえる「足尾製錬所」(日光市足尾本山)。かつての銅の生産で栄華を極めた「足尾銅山」の象徴だ。その足尾製錬所で今、解体、撤去作業が進んでいる。世界遺産登録に向けた運動を機に、銅山関連施設を保存しようと、気運が高まる一方、次々に姿を消していくシンボル。そこには強いジレンマもにじむ。

縦横に入り組んだ鉄骨は朽ちたように赤黒いさびで覆われ、今にも崩れ落ちてきそうだ。屋根も大部分ははがれかかっている。
「風がある日は危険で近づけません」と古河機械金属足尾事業所の山崎義宏所長代理。「これを見てもらえば、たいていの人は理解してくれますが、それでも『残せないか』と言われます。」
同事業所が製錬所の大規模解体に着手したのは二〇〇七年。硫酸工場棟の撤去は昨年七月、既に完了した。自溶炉を備える製錬所製錬棟は昨秋から解体が始まり、今年末までには更地にする予定だ。
足尾製錬所は一九八八年に操業を中止した。施設の解体、撤去は鉱山保安法に基づき国から指導され、その上、税務上の問題も絡むためだ。
「残したくても残せない。ジレンマを感じますね」。山崎さんは言う。
ここ数年、世界遺産登録に向けた運動が盛り上がり、製錬所はその象徴としてメディアに登場する機会も多い。一方で、リスク管理に厳しい目が企業に向けられ、廃墟に近い施設を残すには企業イメージにもかかわる。何よりも法律を順守しなければならない。
解体、撤去にあたっては古河側と行政側が、協議を重ね、大煙突など七ヶ所程度の施設を残すことを決めた。それでも多くが姿を消す。国内で最初に導入された自溶炉も、改良が繰り返されたため、導入当初の文化財的な価値は既にないとして、撤去を決めた。
足尾銅山の世界遺産登録を目指す同市は、資産の保存を進めるが、「製錬所」のような二十年も前に役割を終えた企業の施設を保存するケースは、国内にも例を見ない。
「文化財としての価値が低くても、製錬所はシンボリックな存在。イメージだけでも残せるよう、知恵を出し合って手法を見いだしていくしかない」と市教の担当者。「足尾ならではの難しさがある」
操業中止の企業が絡み、現行法の壁が立ちはだかる。前例もない。浮かび上がるのは「足尾銅山」の特異性だ。
(大塚順一)

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「文化財的価値」
製錬所の溶炉にそのような観点が求められようとは、初めて知ったよ。
現役稼動の設備が生産性を高めるために時代に応じて改良されて行くのは当然だろう。
それを含めた観点と言うか評価が付けられないものだろうか。
自溶炉の改良を繰り返したのは足尾製作所だと思うが、その足尾製作所は足尾銅山工作課機械部門が銅山から独立して足尾製作所となり、技術的にはあの日立製作所や小松製作所よりも先に行く花形工場であった。
それを知る上でも自溶炉を備える製錬所は残すべき施設だと思うが・・・。

記者が書いた「前例もない」
そんなん当たり前。
昭和を残そうってのは平成も20年を過ぎた今だからこその発想で、前例なんざなくて当然。
そもそも前例なんてのは必要に応じて作られて来たもんだろ、先駆者達によって。
前例や間マニュアルがないと何も出来ないのは、お役所の悪しき体質だわな。

・・・つまりはだ、我々(ん?どんな我々だ?)にとって足尾製錬所は貴重な産業遺産だけれど、法律は廃棄施設としか看做していない、ってことだよね。

あの周辺に住む人達にしてみれば、製錬所のボロボロになった壁や屋根の破片が、何時風に飛ばされて自分を直撃するか分からぬ危険を感じているだろうし、アスベストの問題もある。
そう考えれば解体は止むを得ないのかな・・と諦めようとも思うが・・・・・いや、しかし、製錬所が姿を消して更地になってしまうなんて、考えたくもない。

「ワンダーJAPAN・北関東特集号」の足尾記事には硫酸工場内部写真が掲載されている。
しかし、今やその硫酸工場は跡形もなく消えてしまった。

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嗚呼!製錬所!