民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

子育て伝承今昔

2017-11-11 14:54:20 | 民俗学

今回の娘の出産後サポート行脚は、本来なら里帰り出産でゆっくり産後ケアができるのに、母の病気のことを考えてそうしなかったと思われる娘への、罪滅ぼしとでもいえるものと考えていました。初産でとまどいも多いだろうから母の経験知(伝承)を伝え、不安定な産後を支える。そんな感じです。おそらく、これまで何千年も人類はそのようにして、子育てを伝承し命をつないできたのだろうと思います。妻がいうには、実家で出産し、正確には実家近くの産院で出産し、産後一か月ばかりを実家で暮らした経験では、そばに母がいてくれて心強かったといいます。里帰り出産が妻訪い婚の流れをひくものかどうかはわかりませんが、若い母親の精神を安定させるものであったことは間違いありません。

そんなつもりで、娘の健康を気遣い妻が自分の経験から、「乳房炎にならないように気を付けて」のような助言をしたところ、娘からは思わぬリアクションがありました。「そんなことは産前に研修を受けて言われなくてもわかっている。そういう指示的なことは一切言わないで」という、経験知を伝えることを拒否する反応でした。そうなんだ。母の言うことは古く、現在の子育ての考え方は、本やPCの中にあり、それを選択するのは自分だということです。ああ、同じようなことを自分も自分の親たちに感じたと思いました。指示されたくない。自分が思ったのと同じことを娘が思っているのは当然としても、昔はそれでも世代間の伝承的な知識に頼らなくてはならない場面もありました。

現代の子育ての伝承は何でしょう。困ったら親にきく、例えば便の色の変化とか、抱き癖とか、ことは、世代間での経験知ではなく、SNSなどの同世代間の情報にとってかわっているようです。こどもの状態を写真にとってアップすると、すぐ誰かから回答が得られ、そのことによる恩義やしがらみは生じない。ネット上のつながりだけで不安は解消されていく。確かにこの方が手軽だし、面倒な人間関係も生じません。そうやって育てられた世代には、ますます人間関係は希薄なものとなっていくでしょう。そうなると、人間関係を意図的に作り確認するための人生儀礼はどうなっていくのでしょうか。