民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

中学校という職場

2017-05-01 08:41:16 | 教育

私は中学校という職場で多くの時間を過ごしました。その殺人的な労働環境は、人に話してもわかってはもらえそうもありませんでした。よしや、わかってもらえたにしても、先生は特別給をもらっているんだから、忙しくて当たり前、程度の反応でした。しかし、過労死が世の中で問題になるにつれて、それと比較しても中学校はひどすぎるということが、やっと真っ当に理解されるようになってきたと思います。

具体的に書きましょう。まず、一番の負担は(私にとって)部活動でした。朝は7:30から活動が始まります。それに出て指導していないと保護者からは、〇〇先生は毎日熱心に指導してくれたのに何故朝きてくれないか、と苦情をいわれます。勤務時間外のことですから出席する市内は、顧問の善意のようなもののはずですが、保護者はそう思ってくれません。また、ついていない時に怪我でもしようものなら責任問題です。ついていない活動をなぜ許可したのかと問われます。放課後は6:30まで部活を指導し、それから係会・学年会などの会議をします。当然勤務時間外です。そして、土日のうちどちらかの半日は部活があります。時によっては社会体育と偽装して残りの休みの日も部活があります。よって、ほぼ毎日勤務があります。朝の部活や休日の部活はやめたいと多くの教員は思っています。ところが、ここが難しいのですが、部活指導をしたくて教員になった人がいます。熱心な部活は総じて保護者の受けがいいです(おかしいと思っている保護者がいても、勝って喜ぶ熱心な保護者の前では後ろ向きのようで意見をいいにくい)から、管理職も部活の活動時間の縮小を強くはうちだせません。よって、野放しにすればエスカレートしていきます。昔は中体連主催の大会で、全国大会までの地区大会(郡市大会→県内ブロック大会→県大会→北信越大会→全国大会)のどれかの段階で負けると、それから後の部活は大幅に縮小しました。ところが、いつからか、年中休みなしに部活動が行われるようになってしまいました。

2つ目は持ち時間の増加があります。授業時間が大幅に増えたわけではありませんが、持ち時間は少し増えた以上に、正規の授業時間以外で対応すべき時間が増えました。それは、問題行動への対応、授業に出席できない生徒への個別対応など、表には現れない持ち時間が増加しました。勤務時間なんだから、何やっても同じじゃないかと思われるかもしれませんが、教員にとって授業はもちろん目に見えた仕事ですが、それ以外に学校という組織を維持するための係活動、PTAなど保護者対応、行事の計画、学校外の関係者との打ち合わせなど、授業以外の仕事があります。個別にたいおうしなければならない、隠れ持ち時間が増えればそのしわ寄せは、時間外勤務の時間が膨らんでいくことになります。教育委員会に提出する文書が多くて仕事が忙しくなったとかいいますが、それは臨時なことですから大したことはありません。生徒、保護者への個別対応の時間が増えたことが(増えたことが業務でないというつもりはありません。むしろ子供にとっては大事なことです。しかしそのことで先生方の多忙感が増していることが問題です)、過労に拍車をかけています。

テストの作成、答合わせ、通知表の記入、調査書の記入、これらの仕事に特別な時間が組まれるわけではありません。いずれも夜中まで家でやる仕事で間に合わせています。まさに、ブラック企業そのものです。毎年何人も心を病みます。