民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

年会参加記 2

2005-10-12 09:49:46 | 民俗学
 少しシンポの内容に立ち入ってみよう。基調講演は文化人類学の伊藤亜人による、「民俗学の周縁性と実践」。レジュメもなく、分かりにくかったがアカデミズムの伝統=朱子学・仏教=論理性:野の学=民俗学=論理性の欠如 といった枠組みの中で民俗学は個別具体的な知識だとした。そして、この反科学主義の民俗学が、行き詰まった近代合理主義を超えるものだ、というのは、あまりにステレオタイプの理解であろうか。自分は、民俗知にも論理があって、それを無秩序に思えるのは現代を生きる私の側に論理を理解できるコードを持ち合わせていないだけのことだという立場をとるのだが、いかがだろうか。
 続いて、菅豊による趣旨説明がなされ、その中で民俗学に関わる人々を分類して、それぞれの立場を踏まえて議論をしたらどうかと提案される。それは、Ⅰアマチュアのフォークロリスト Ⅱアカデミック・フォークロリスト Ⅲパブリック・フォークロリスト Ⅳアプライド・フォークロリスト の4分類である。こうすることで、上下関係をつけようとするものではないと、何度も説明されたがどうもよくわからない。ならば、いったい何のための分類だろう。自分には、「民俗」そのものを研究対象とする人と、「民俗」を所与のものとして、つまり聖域として手をつけることを禁じられ、もっぱら与えられたものの操作性について関わる人とを分類するもののように思われる。だとすれば、「柳田民俗学」への逆行にほかならず、意識せずともアカデミズムの権威化を図ろうとするものではないか。
 パネリストは、佐藤健二・小国喜弘・鬼頭秀一の3氏、コメンテイターは刀根卓代・佐藤雅也・伊藤亜人の3氏。ここからの内容は次回。