10月8日~9日に東大駒場教養部で開催された、第57回日本民俗学会年会に参加してきた。その様子をしばらく連載したい。自分としては、ともかく物がなくなる2日間であった。1日目には、途中で食べれば何のことはないのに、意味もなく頼んだ昼食券を弁当引き換え所で出すと、これは明日のものですといわれ、あせって封筒を探して、当日の券を出す。夕方には、懇親会の参加券を出すと、これは明日の昼食券といわれ、またまた捜しまくって宴会の参加券を渡す。いやな予感はしたのだが、翌日の昼、弁当引き換え券を捜すが、今度はどうしても見つからない。仕方なく、紛失を告げて許してもらう。そして今、シンポジウムのレジュメのメモを見ながら、シンポについて論評しようと捜すがみつからない。どこかの研究発表会場に置いてきてしまったようだ。ウーム こいつはどういうことだ。
とまあ、いつも、しまったはずの書類を捜すことにあけくれる自分の整理能力のなさというか、疲労困憊したこの精神状況に、我ながらあきれてしまったのです。(ここからなぜか、です・ます調と気持ち的になってしまいました。)
さて、本題のシンポです。「野の学問とアカデミズム」といいながら、というか東大で野(の・や)の学問を語ることが矛盾なのか、やたらと英語の用語がとびかい、野の研究者はパネラーには一人もおらず、結局は「アカデムズムが語る野の学問」だったのです。そういえば、これに似た会がありました。1週間ほど前に出席した地元の、子育てと子どもの安全に関するフォーラムで、発表者は教員のなれのはてのオジイチャンだかりで、現役の子育てをしているのは、たった1名母親がしたのみで、父親の発表はなかったのです。「年寄りの語る子育て」だったのです。
シンポの発想は、野の学問をする人と理論家する人は一致していなかったようです。柳田が、調査する人と、まとめて考察する人を分けて考えたのと同じ発想です。パネラーの誰かが、柳田が民間伝承論を語った時、郷土人による調査と研究を真剣に考えていた、とかいっていましたが、多分それは違って、調査は求めていたが研究者としての郷土人を求めていたかは疑問です。すみません、メモがないので話が唐突になってしまいます。
とまあ、いつも、しまったはずの書類を捜すことにあけくれる自分の整理能力のなさというか、疲労困憊したこの精神状況に、我ながらあきれてしまったのです。(ここからなぜか、です・ます調と気持ち的になってしまいました。)
さて、本題のシンポです。「野の学問とアカデミズム」といいながら、というか東大で野(の・や)の学問を語ることが矛盾なのか、やたらと英語の用語がとびかい、野の研究者はパネラーには一人もおらず、結局は「アカデムズムが語る野の学問」だったのです。そういえば、これに似た会がありました。1週間ほど前に出席した地元の、子育てと子どもの安全に関するフォーラムで、発表者は教員のなれのはてのオジイチャンだかりで、現役の子育てをしているのは、たった1名母親がしたのみで、父親の発表はなかったのです。「年寄りの語る子育て」だったのです。
シンポの発想は、野の学問をする人と理論家する人は一致していなかったようです。柳田が、調査する人と、まとめて考察する人を分けて考えたのと同じ発想です。パネラーの誰かが、柳田が民間伝承論を語った時、郷土人による調査と研究を真剣に考えていた、とかいっていましたが、多分それは違って、調査は求めていたが研究者としての郷土人を求めていたかは疑問です。すみません、メモがないので話が唐突になってしまいます。