民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

天龍村向方の湯立神楽ー承前

2017-01-06 09:11:49 | 民俗学

 舞を見ながら考えたことを書いてみます。

1 宮人の秘密結社か
 前回書きましたが、宮人の伝承の厳格さ、具体的にはどのような厳しさがあったのかわかりませんが、伝承を重んじることや長幼の序だろうと想像されます。親沢の人形三番叟の伝承がそうであったように。それがいやで、やめてしまったといいますから大変なものだったのでしょう。おそらく、神楽に関する伝承は部外秘で村人であっても宮人以外は知らない、知らせてはならないという、秘密結社のようなものではなかったかと思います。そうすることで、ムラ内におけるある種の特権というかプライドを手に入れていた。プライドをもつほどに、修練も重ねていたことと思います。神楽に関しては口伝であったそうです。文字による記録は近代以降のものしかないのです。それで、何年かに一度しかやらないオキヨメマツリノの内容、とりわけ演目の中で「うたぐら(歌詞)」を伴うものを伝承してきたのは驚きです。現在では「うたぐら」は文字起こしした台本のようなものを演者が持っています。数百年にわたる伝承ですから、微妙に変化しているとは思いますが。現在、舞を奉納している芸能部の方は、10時までには舞を終わりにしてくれというムラの要請があり、遅くなれば観客の村人は舞をやっていても帰ってしまい、ご苦労様だとか、しっかり頼むだとかもいわれない。ムラ人の関心が薄いと嘆いていました。おそらく、宮人が舞っていたときから今も、どんな舞を舞っているのかムラの人々は知らないといいます。神楽に対してムラとしての一体感がないのです。特別な人たちがやるものだという意識でしょうか。演者と観客がムラの祭りなのに最初から分離していたのです。それは舞の見方にもあり、遠山では神楽殿で演者のすぐ近くで観客は見ますし、鬼の舞と一体になって鬼を受け止めたり押し戻したりして楽しみます。坂部では、観客は神楽殿に上がることはできませんが、舞に掛け声をかけたりして励まします。ここでは、無言で見なければならないのです。

2 伝承とはなにか
 向方では神楽は口伝だということで、古文書といえるような文字記録はありません。演者が持っているのは 覚えのために書かれた、「うたぐら」の冊子です。そこにもないようなことを調べるには、あるいは舞の順序を確認するにはどうするかといえば、国の補助を受けて天龍村が作成した分厚い報告書を開くことです。今回も見ている範囲では、2度ほど報告書を持ち出して開き、確認をされていました。ムラの人にも定かでない所作が報告書にはあり、書かれた内容が舞を作っていくのです。つまり、報告書が原点となったのです。一時、調査被害ということがいわれました。調査者が作り出した、あるいは都合よく選択した行為や伝承があたかも、その土地に古くからおこなわれていたような幻想を与えて、民俗を創作あるいは変形させてしまうことだと理解します。この場合も、報告書が定番となりあたかも虫ピンで標本を止めるように民俗を固定してしまうのですが、それがなければ完全に祭りは廃絶されてしまいます。歴史の中で民俗が変化したり忘却されていくことは当然なのですが、無くなるのを座視してよいかは別の問題です。記録保存と復元とをどのようにとらえたらよいのか。神に仕える宮人が厳格な伝承に基づいて行っていた神楽と、宮人以外の人が芸能として行う今の神楽を同じものとしていいのか。それは、遠山の霜月祭りの仮面を外部に持ち出して、祭り以外の目的で文化会館などで舞っていいのか、と古風な地元の人が悩んだのと同じ問題です。とにかく続けること、多くの人に見てもらってその価値を認めてもらうことが大事だと今はなっているのですが。