民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

天龍村向方の湯立神楽(お潔祭)

2017-01-05 14:50:21 | 民俗学

 1月3日から4日にかけて行われる、天龍村向方の湯立神楽を見に行ってきました。この祭りも本来は霜月まつりと同様、旧暦の霜月、つまりは太陽の力が最も弱まるときに行われた湯立神楽ですが、今は遠山地域や同じ天竜村の他地区などとの日程調整や、外部に出た人も帰ってきて参加できる日程ということで、3日しかなくて決めたものだといいます。また、祭りの呼び名としては「お潔め祭」といっていますが、本当は「オキヨメマツリ」とは、臨時に行われる願掛け祭で、改元や災害、戦争などに際して世の中全体をキヨメル意味で行われたものだそうです。例祭では、その一部を行うもので、忘れないための練習といった意味合いもあるようです。

 神楽を舞うことができる人は、昔は宮人(ミョウド)だけだったそうです。宮人とは、病弱などのため丈夫に育つように神に願をかけたり、戦争から無事戻るようにと願をかけたり、自分は一生神仕えると決意を固めたような人が、願ってなるものでした。宮人の神へのつとめや上下関係は厳格なものでしたが、宮人以外の人々に対しては、少なくとも祭りの場では特権的な振る舞いが認められていたようです。ところが、昭和30~40年代ころには宮人としての厳しい務めを嫌って宮人となる人がいなくなり、このままでは神楽の伝統が途絶えると心配して、若い人が改革を唱えましたが年寄りは受け付けず、宮人であった人までも、宮人をやめてしまい。一時舞の伝統は途切れてしまいました。これではムラが崩れてしまうと危機感をもった人々で、芸能部という舞を舞いたいという人を募って神楽を復活させ、現在に至っているのだそうです。そうして何とか伝承をつないでいますが、人口減少にははどめがかからず、ムラの外へ出た住民、ムラにできたどんぐり向方小・中・高の児童生徒、先生方、村外でネットなどを通じて祭りを知り舞いたいと通ってくる人などに支えられて継続しています。ちなみに、舞う人の中には宮人は一人もいないそうですし、宮人の人も高齢で祭りの場への参加もままならないそうです。また、お宮までくることは可能であっても、神ときれてしまった神楽は本当の神楽ではないと、誇り高い宮人はお宮に近づかない、そんなことも思ったりします。

 何しろ神聖な舞堂には、祭りの間女性が立ち入ることを禁じ、男性であっても関係者以外、舞が終わって火伏をするまで立ち入ることを禁じ釜の火に当たることも許されません。今年、笛の吹き手は高校1年生の女性が務めていました。向方在住の子で、家族皆が祭りの役割を務めていてくれるのだそうです。一人で祭りの間中、笛ふきをしていました。ところが、写真を見てもらえばわかりますが、彼女も舞堂には足を踏み入れず、控えの間(女宮人部屋)で吹いていました。

 

 

 一度途絶えて芸能として復活した舞ですから、遠山や新野の祭りのように神の雰囲気を感じたり厳粛さに打たれるといった場面はなかったように思います。だからこそ復活できたのでしょう。しかし、そうなったときに神楽の意味とは何なのでしょう。神楽が芸能になって、歌舞伎を見るように神楽を見るといえばいいでしょうか。舞の中ほど過ぎになって、宮総代の一人のおじいさんが、舞堂の前ににじりより、我慢ができないように太古のリズムに合わせて上体で舞っていたのが印象的でした。