民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

核家族と先祖祭祀

2013-10-11 17:32:19 | 民俗学

松本市では、親族世帯の81%が核家族です。核家族というのは、父母と結婚していない子どもからなる家族です。以前は核家族といえば、両親と幼い子供からなる若い家族がイメージされましたが、良く考えてみれば結婚していない子どもといえば、高齢者でもいいんです。超高齢者の親と独身で高齢者の子どもでも、核家族です。そして次はどうなるかといえば、単独世帯となります。核家族のうちの33%は、既に単独世帯なのです。この状況を、政府もマスコミも何より当事者も本当のところ理解していません。というより、理解しようとしていないか、知っていても知らないふりをしている、まるで国の借金のようなものです。このところ葬式の変化についてずっと考えてきて、改めてこの数字に行き着きました。核家族が高齢者の葬式をする場合は、同居していない親か、独身で結構年とった子が親を送るという場合になります。このとき、先祖とはどれほどの意味をなすのでしょうか。
柳田は、人はなくなって33年もしくは50年経過すると個性をなくし、いわば先祖霊の集合体となって子孫を見守るのだといいました。だから、人生の目的は先祖になることで、家を興すのはそのためだともいいました。先祖になるとは、子孫が祀ってくれてこそ成立するものです。祀る子孫がいなければ、先祖になりようがありません。

ここで核家族を考えてみましょう。核家族は、親があっても同居せず新たに世帯を形成した物です。おそらく、核家族は核家族を生んでいきます。自ら家を離れて独立した者が、自分の家を継いでほしいとは思えないでしょう。すると、核家族の親は、常にその家族の先祖であります。親の親、さらにその前へと先祖を遡ることはありません。世代を遡らない系譜関係を、先祖とはいわないでしょう。そうなると、遠からずこの国から祖先祭祀はなくなります。そこで気になっているのが、アメリカの家族です。核家族を基本とするアメリカでは、祖先祭祀などというものはないでしょうから、基本的に土葬だという墓は将来的にはどうなってしまうのでしょうか。誰か教えてもらいたいものです。
核家族はこの国の制度やものの考え方を大きく変容させます。当面は墓地をどうするかが問題になります。その次は家です。この家は、施設としての家です。高齢者の単独世帯の家や、空き家となった家が松本市にも数多くあります。どうなるのでしょうか。墓地は所有権を買うのでなく使用権を買います。使用年数を契約に示す墓地もあるようです。無縁となった場合には、更地に戻して別の人が使うことになります。家も同じような考え方が出てくるかもしれません。不動産を取得するのでなく、生きている間の使用権を買い、死んだらいずれかに戻す。こうすれば、比較的安く家が手に入るし、空き家となって朽ちるに任せることはなくなると思います。いずれにしても、家族の形態はものすごい勢いで変わり、習俗などもそれに合わせて変わらざるをえなくなっているのに、政治家は特に保守的政治家は、男重視の保守的家族形態の心地よさにしがみつき、家族の変化を見ようとしません。