3.11後多額の寄付をし、自然エネルギー構想、それも東アジアをフィールドとしたエネルギー構想をぶちあげる、孫という経済人が気になっていました。それと、佐野真一がどうやって稀有な人物を料理するのか。東電OL殺人事件、旅する巨人、渋沢家3代、と読んできた佐野真一です。率直に言って、孫さんについては自分の構想が初めからあって、それに取材資料をあてはめていったという印象です。構想の根っこは「血と骨」です。確かに、在日の生き抜いてきたエネルギーはすざましいものですし、そうしなければ生きて来れなかったと思います。友人に在日外国人教育、とりわけ在日を公務員に雇うように運動しているやつがいますが、孫が日本の教育者になろうとして国籍条項であきらめ、アメリカ留学したことには心をうたれました。
この国の政治家も経済人も、孫ほど被災地とこの国の未来について考えてはいないと思います、豚小屋と闇焼酎の匂いの中で、そうした志の根はできたと繰り返し佐野は書きます。そして、孫の親族姻族の血の濃さと情の濃さ、破天荒な生き方。強烈な上昇志向が、起業家には必要でしょうが、在日の持つなにくそという負けじ魂が、ソフトバンクを大きくしたのでしょう。孫を書いた佐野が、次には橋下を書きたくなったという気持ちもわかる気がします。と同時に、本書にみられる佐野の筆致のある種の「鼻持ちならなさ」、取材を解釈する自分がいかに高みにいるのかをひけらかすような「危うさ」も感じたのです。つまり、その危うさが、橋下について書きすぎた、つまり解釈を書きすぎてしまった問題となったのでしょう。自分は、佐野の橋下について書いたルポは読んでないのですが。以来筆を折るような形となった佐野は、今どうしているのでしょうか。