岡田から刈谷原峠を越えて、刈谷原まで歩きました。
岡田の宿から峠への道をたどり、ここからが山道というところに、金網のフェンスが道を遮っていました。獣害を防ぐために設けられているもので、開けたら閉めておいてくださいと地元の方にいわれました。左右には山の中に金網が続いて、獣が人の領域に侵入するのを妨げていました。ですが、このフェンスの向こうにも田んぼがあって田植えがしてあり、そこはまた独自に金網で囲うとともに、獣用の罠がしかけてありました。あちこちで見られることですが、人間のエリアが次々と自然に返されつつあり、人は抵抗に必死です。都市に暮らしている皆さんには、思いもつかないことでしょう。そして植林した山は、次の写真のようなセンコウリンとなっていました。間伐しないので、細々としたヒノキの林がありました。下草は育ちませんし、保水力もないでしょう。こんな山ばかりになると、水害のもとです。道のそこここに、馬頭観音の石仏がありました。右は、1か所に集めたものです。天保など幕末の年号が多く刻まれ、ずっと見ていると、江戸時代はそんなに遠くない時代だと感じられます。また、多くの馬頭観音は、死んだ馬のために立てられたものでしょうから、相当な馬がこの街道で活躍していたことが想像されますし、道が険しかったこともわかります。岡田には、軍馬の馬頭観音がありました。我が家の大事な馬を、軍隊に供出した家族の馬に寄せた思いもうかがうことができました。なまった足にはけっこうこたえる峠越えでした。