民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

善光寺道を歩く 2

2013-05-15 21:41:53 | 民俗学

    

今回の善光寺道は、広丘から松本までです。まず、左の写真は、村井町のはずれから少し西に入った場所にある「ブリ場」。ここまで飛騨からブリが運ばれて、市がたったという。そこは墓地に近い、あるいは墓地の一角でした。墓場に市がたつという、網野さんが喜びそうな取り合わせでした。町はずれの墓地にもなる原野で、暮れになると市がたつとは、何とも趣があります。商いと異界との結びつきを視覚として実感できる場所でした。真中は、善光寺街道が薄川をこえて松本町に入る場所、出川の川の傍にある念仏供養塔とここで処刑された貞享義民の供養碑です。出川は松本藩の刑場でした。以前から碑があるとはきいていましたが、どこか探せなくていました。今回この碑を目にできたのは収穫でした。四条河原が刑場としては有名ですが、松本でも河原が刑場だったのです。刑場をまじかに見ながら松本の町に入る旅人は、いったい何を思ったことでしょう。川を渡ってさらに町に近づくと、今では家がつながっていますが、江戸時代には博労町という町に入る口に、十王堂がありました。今はその跡地に多くの石仏が並んでいます。十王は閻魔様で知られるように、この世とあの世の境で人の行く末を判断する神です。町の牢屋から引き立てられてきた刑を受けるひとは、どんな思いで十王堂の前を通ったことでしょう。町の人々は十王堂から刑場へとつながる薄川にかかる橋を、「がったら橋」と呼んでいたそうです。刑を受ける人が泣き叫び、がたがたいわせながら橋を渡っていったので、がったら橋といいならわしたと聞きました。


国益とは何ですか

2013-05-15 09:34:20 | 政治

政治家はよく「国益」のために、などと口にします。あの「国益」とは何か、定義してから使ってほしいものです。好んで国益をとく、与党もしくは与党寄りの議員に、最近とみに国益に反する発言が多いのはどういうことでしょうか。海外で私は日本人ですと誇りをこめていえること、誇りをこめてビジネスができるようにすることが、この国の顔たる国会議員のなすべきこと、つまりはそれが国益だと思います。国益とは国民益でなければなりません。国民を益することが、国民の信託を得た議員のなすべき仕事です。国家=権力が栄えて、国民が滅びりような仕事は断じてしてはなりません。軍隊と売春がつきものだというなら、だからこそ軍隊は不要だといえます。こんなことを日本人全体が考えていると思われたら、恥ずかしくて海外には行けません。自信を持って海外で仕事もできないでしょう。国益に反すること甚大です。

よしや、軍隊と性欲の処理はつきものだと認めたとしても、戦うことの正当性がない侵略軍の兵士の規律と、つまり何のために銃弾が飛び交う中に自分はいなければいけないかを自問し無理やりなっとくしなければいけない兵士と、蹂躙されている自らの国土を回復すべく戦う兵士との規律の差は、比べようがありません。例にひかれる日本軍の行為は、異国の地で泥沼の戦を強いられた兵士に与えられた休息です。沖縄の米兵も、形は異なっても植民地にいる占領軍のようなものです。だから、事件が多発するのだし、だから基地はいらないというのです。発言の方向が間違っていますし、本音で言えばだれもが頷くと思っているいる橋下さんの本音が、男にとって住みやすい社会の中での本音であり、そんなものはこの国では認められても国際社会では全く認められないということを、どこかで忘れてしまったのは、「おごり」以外の何物でもないでしょう。おごりでないとすれば、人間性の問題ということになり、政党代表としての資質を問われるでしょう。参議院選挙を前に話題性に欠けてきて、勢いに陰りがみえる自党に注目させようとしておこなった計画的な発言だとしたら、国民を馬鹿にするにもほどがあるといえますし、大きな代償を払うことになりますよ。