年が明けて数日。
大晦日に父に迎えにきてもらい猫たちと実家へ。暴れる小麦対策の洗濯ネットは功を奏し、いつもより手間取らず猫バッグに入れることができた。でもにゃーどころかぎゃーと泣き叫んで止むことのないまま宇治に着く。
母は風邪の胃痛で本人はおかゆしか食べられないのにおせちの数品とかに鍋の用意をしてくれていた。かにをいっばい入れて鍋を火にかけて冷蔵庫にお茶を取にいっている隙に鍋が思い切り吹いてコタツ布団にまで浸水した。4人掛けの小さいコタツ布団なので即洗濯機に突っ込んで洗った。かにを食べているとかにって何だろうと思う。肉でも魚でもない筋状のもの。母はかに雑炊を食べた。
下の妹は年越しを友達を迎えるそうでいない。父母夫私の4人でゆく年くる年を見ながら年を越す。
元旦は昼におせちを食べる。いつものとおり、重箱には詰めず、一人分ずつお皿に、松葉に刺した黒豆、きんとん、かずのこ、ごまめ、生麩、かまぼこを盛りつける。お雑煮はお澄ましに丸餅、かまぼこ、三つ葉と柚の皮。このお雑煮は祖母がお茶会で出されておいしかったと家で作ったら祖父がこれをとても気に入り、それ以来実家のお雑煮は白味噌でなくこのお澄ましと決まったそうだ。お煮しめは電熱の鍋で暖かいまま出す。これは祖母がそうしていたかららしい。
午後福井の夫の実家に帰る。毎年自由席で立ちっぱなしで後悔していたので今年のサンダーバードは指定を取った。風景は徐々に雪景色。駅からタクシーで実家へ。今年は母方の祖父も来ていてよりお正月らしい雰囲気。おせちやおすし、刺身、串揚げなどが並ぶテーブル。里芋や厚揚げを煮たもの、重箱に入っている母の煮物が私はお正月いちばんうれしいが、どうも男兄弟たちにはそれだけでは物足りないらしく、せっかく正月に帰ってきたからごちそうをという母の愛で夫の実家のおせちにはいろんなごちそうが並ぶ。厚揚げを煮たのがしみじみおいしい。デザートは母のマーマーレードシフォンだった。自分で焼くのよりしっとりしている。
実家のお正月は2日が忙しい。朝、昨夜は泊まって行った祖父を見送り、居間でテレビに目をやると箱根駅伝がはじまったところだった。前を走る白バイの巡査を紹介で、読み上げられた名前に聞き覚えがあった。幼稚園のときにひとつ上の学年にいた男の子の名前だった。集団登校のとき一緒だったので手を繋いで登校した。歩くときは学年が上の男の子が歩道の車道側を歩くことになっていた。そのときのちょっと守ってもらっている感じはうれしかった。かなりめずらしい名前なので同姓同名はまずいないと思う。彼のお父さんも警察官だった。
2日はなぜ忙しいかというと自宅の道場の稽古初め、新年会がある。母と朝から買い出しに行って、稽古が終わった昼ごろから道場で宴会が始まる。母はジンギスカンの用意をし、私は芋煮のための里芋の皮むき係をする。芋煮は里芋と手でちぎったこんにゃく、牛肉、ネギを醤油、酒、砂糖で炊く。芋とこんにゃくを煮ているときに洗い物をして鍋から目を離したら吹きこぼれた。大晦日にかに鍋を吹きこぼし、ここでもまた同じことをしている。 道場の方にお邪魔してジンギスカンをつまんでいると、去年福井の駅前でやった「天使論」の公演を観に来てくれた方に声をかけてもらった。夫は中学生の男の子とじゃれている。遊ぶのが上手だ。
コップ、芋煮の椀、ジンギスカンの鍋、洗い物を効率よく片付ける。ビールの空き缶がどこからともなく耐えることなく湧き出る。
夕方徐々に人が帰って、台所も落ち着いた。
夜は弟が勤め先からもらってきたという大量のかにを皆でひたすらほじくりだして食べる。茹でがにだったが兄はちょっと焼いて焼きがににしたりしていた。さらに母がえびフライを作ってくれたので甲殻類でお腹がいっぱいになるという稀な経験をした。
大晦日から三ヶ日にかけてよく降って福井は雪国です、という風景だった。3日の夕方京都に着くように帰る。
サンダーバードに乗り、雪はどこからなくなるのか観察していた。結果、京都まで残り約30分の近江今津を過ぎたあたりで風景から白がなくなった。