読みたいものがたくさんあるのに悲しいくらいノロい私の読書スピード。
その昔、妹が通っていた塾で速読の体験をやっていたのに行ったことがある。
必要なものは本とヘッドホン。何冊かの本の中からヘミングウェイの『老人と海』を手渡された。
ヘッドホンからは本の音読が流れてくるのだが、普通の倍速くらいで読まれるので、速度に合わせて文字を追う。
その速度を癖付ければひとりで本を読む速度も自然と早くなるというような仕組みらしかった。
しかし、音読を聞きながら寝てしまい、気が付くとどのページを読んでいるのか分からず、本と音読の帳尻を合わせることに終始して速読体験は終わり、その後通うことも無く当然何も身に付かなかった。
去年はとにかく辺見庸。今年は木村敏から広がる読書になりそう。
今読んでいるものから気になる箇所を引いておく。
“自己とは、元来はいかなるノエマ(もの)的対象化をも拒む純粋にノエシス(はたらき)的なものあり、なんらの固定点をももたずに随所に主となる絶対に自由自在の志向性である。しかし、そのような自己が個的存在としてこの世に実存しうるためには、自己は不本意ながら身体的存在という、したがってまた時間的・空間的存在というノエマ的限定をこうむった「もの」とならねばならぬ。「自己で有(あ)る」ことは「自己を有(も)つ」ことにおいてしか実現されえない。
自己は本来自己とは異質の存在性格をもつ身体を「所有」することにおいてしか、自己として現実に「存在」することができない。”
最近、私とは体に何かが宿っている状態なのだと、魂と呼ばれるようなものの所在として体があるように感じる。ただそれらを完全に分離して死後や輪廻転生のようなことを考えているのではない。
「私」という状態を異質なものの同居として捉えているということである。
私がもつ「かたち」への抵抗感、かたちなきものへの憧れの理由もなんとなく、ああそういうことかと思えるところがある。
その昔、妹が通っていた塾で速読の体験をやっていたのに行ったことがある。
必要なものは本とヘッドホン。何冊かの本の中からヘミングウェイの『老人と海』を手渡された。
ヘッドホンからは本の音読が流れてくるのだが、普通の倍速くらいで読まれるので、速度に合わせて文字を追う。
その速度を癖付ければひとりで本を読む速度も自然と早くなるというような仕組みらしかった。
しかし、音読を聞きながら寝てしまい、気が付くとどのページを読んでいるのか分からず、本と音読の帳尻を合わせることに終始して速読体験は終わり、その後通うことも無く当然何も身に付かなかった。
去年はとにかく辺見庸。今年は木村敏から広がる読書になりそう。
今読んでいるものから気になる箇所を引いておく。
“自己とは、元来はいかなるノエマ(もの)的対象化をも拒む純粋にノエシス(はたらき)的なものあり、なんらの固定点をももたずに随所に主となる絶対に自由自在の志向性である。しかし、そのような自己が個的存在としてこの世に実存しうるためには、自己は不本意ながら身体的存在という、したがってまた時間的・空間的存在というノエマ的限定をこうむった「もの」とならねばならぬ。「自己で有(あ)る」ことは「自己を有(も)つ」ことにおいてしか実現されえない。
自己は本来自己とは異質の存在性格をもつ身体を「所有」することにおいてしか、自己として現実に「存在」することができない。”
最近、私とは体に何かが宿っている状態なのだと、魂と呼ばれるようなものの所在として体があるように感じる。ただそれらを完全に分離して死後や輪廻転生のようなことを考えているのではない。
「私」という状態を異質なものの同居として捉えているということである。
私がもつ「かたち」への抵抗感、かたちなきものへの憧れの理由もなんとなく、ああそういうことかと思えるところがある。