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流出雑記 

9月2日

2008年09月02日 | Weblog
ふたりとも休日。
国立国際美術館に、塩田千春のインスタレーションを見に行く。

出町柳から京阪で淀屋橋へ。
その間話題は「死と自体と死の周囲、記憶、記録、痕跡、舞台」。

淀屋橋で降りて、お昼時のビジネス街を歩く。
雨傘を持って来たがむしろ必要なのは日傘な天気だった。
ビジネス街の中にある喫茶店で以前ダーリンが食べてうまかったというオムライスを食べる。
自家製の甘みが強いデミグラスソースのかかったオムライス。なかなかおいしかった。

店を出て10分くらい歩いたところでダーリンがさっきの喫茶店にカメラを忘れたことに気付き、引き返し美術館まで結構な道のりを歩いた。

美術館ではモディリアニ展もやっており、それで混んでいる。

塩田千春のチケットを買い、中に入る。

大量の靴が並べられている。
すべて片方で、過去に誰かが履いていたもの。
その一足一足に赤い毛糸が繋がっており、毛糸の端はすべて天井後部の一点に繋がっていて赤い無数の放射線を描いている。
靴の何足かには紙が付いていてそこには持ち主の言葉があったが、それはどこか余計な感じがした。

履かれた靴はそれを履いていた誰かの足、記憶、痕跡。
赤い糸は運命や約束を思わせ、すべて同じ一点に繋がっている。
ある約束 「死」に「生」は繋がっている。

たくさんのベッドが並んだ部屋には天井から床まで黒い毛糸が身動き取れないほど縦横無尽に張り巡らされていた。
パソコンで描いた線の幾何学模様のようにも、虫の軌道のようにも思える。
ベッドが並ぶと病床の雰囲気になるが、真っ白な枕とシーツには不自然な清潔感があり、故意にくしゃくしゃに置かれたかけ布団には新しいもの、若いものが這い出て行った跡という感じがある。
毛糸の密度で離れてみると黒いもや掛かったような空間に綺麗すぎる寝具の白が奇妙に思われた。

塩田千春の展示と、石内都、宮本隆司の写真も観ることができた。
老人の肌、傷跡、廃墟、解体中の建物 すべてモノクロ。

皺、しみ、縫合の跡、剥がれた塗装、朽ちた建材、風化した石柱、
時間の経過の跡をたずさえたもの。
終わりを迎えるもの、終わりの予感があるもの。
終わりが気になる。
終わりの魅力。
終わりの引力。
終わりの恐怖。
経験することの出来ない私の終わり。
「私」の終わり。 
経験したことがなく、経験するということが「経験した」ということにならない。
「私の死」を語ることは出来ない。
触れられない終わりに触れようとすること。
自虐的なことでも悲観でもなく。
フィクショナルな死。

貪欲な魂の欲望。

まとまらない、言葉が。