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流出雑記 

2016/5/6

2016年05月06日 | Weblog
一日中雨。午後から仕事に出たくないなぁと思いながら、ごはんを食べて詩を読んだりホットカーペットの上に横たわる猫の真似をしていたら眠くなって、そういうときの眠り中に、誰かが近づいてくる気配がしてそばまで来て立ち止まり上に乗られるということがよく起こる。その音と体感だけがリアルにあって、でも何も起こっていないこともわかっているし、実際誰もいない。着ている服の衣擦れの音まで見事再現されている。顔は見ないことにしている。体は寝てるのに感覚だけ覚醒している感じ。

仕事を終えて雨のなかナッツをはちみつ漬けにしたくてその両方を買って帰る。
ナッツをから炒りして冷めたら瓶に入れはちみつを注いで1週間置くそれだけ。メープルシロップのもやってみた。出来合いのはやたら高い。
思い付きでアーモンドミルクでカレーを作ってみた。具はエリンギをたくさんヨーグルトで酸味。カレーのポイントは絶対にほどよい酸味だと思う。アーモンドミルク自体にバニラっぽい香料が入っていていやに甘いにおいがするから煮込む最初はこれ失敗かもと思ったけれど、煮込むうちに香りが飛んだのか馴染んだのか、気にならなくなった。
ココナッツカレーに似た雰囲気になるけれど、もう少し香ばしい。

2日前から小さな憂うつだった絵を破棄。新しいのを描く傍ら思い付いた言葉を編成したりしながら、いい絵が描けた。
ひとりゴールデンウィークの鈍色を愛し、お風呂に入ったら、ばらやその辺で摘んだ草のドライハーブを調合して抽出して作ったばらシロップでばらソーダを飲み、大島渚の映画を見る予定。


2016/5/5

2016年05月06日 | Weblog
晴れ。渡辺橋で待ち合わせて森村泰昌展を見る。美術館までの道にあったダイビルの中に旧ヤム亭という気になるカレー屋を見つけて行ってみたら休みで、同じフロアにあった韓国料理屋。スンドゥブチゲというの名前は聞くけど食べるのははじめて。つまり小さいキムチ鍋だった。具がいろいろ選べて牡蠣にした。牡蠣はフライがいちばんおいしいなと思いながら上下の顎で牡蠣を潰して飲み込んだ。磯のにおい。
森村泰昌展、オリジナルを知っていて森村泰昌を見る人と森村泰昌を通じてオリジナルを知る人がある。入り口がふたつある。もちろんこれは意図のうちの、なりきれなさの残像が目に残っていく。つまり森村泰昌本人の。不完全擬態の粗を残している作品もあれば山口小夜子に扮しているものなんかは美人だなと思わせられたりする落とし穴がある。そして素肌の本人の、こんなことをやりそうにない顔。
最初にゴッホになってしまったばっかりに、その後の作家人生を演じることを引き受けた人の顔の皮フというか肌を見ていた感覚。
見終わってコーヒーと甘いもの。

夜、ペニノの「ダークマスター」を見にいく。原作はパク チャヌクの映画「オールドボーイ」を書いた人だと知った。
見終わってこんなオムライスが食べたくなる演劇は後にも先にもないと思う。終演後、電車で帰るときにも髪の毛には洋食屋の油のにおいがついたままだった。

2016/5/4

2016年05月05日 | Weblog
晴れ。洗濯掃除。昨日の鯛のあら炊きの煮汁を入れて米を炊き、炊き上がったところにほぐした身を入れて鯛めし。ほんとにおいしい。
午後、連休中図書館が開いてることに気付いて篭りに。読みたかった富岡多恵子と金井美恵子の詩集を探していると、近くの短歌の棚でふと目にとまった笹井宏之という人の歌集をなんとなく席に持って帰った。
サイ トゥオンブリーの絵が見たくなって画集を探すと数年ごとに分類された分厚いのが4冊。ざっと解説を読むと記号や文字のようなものが絵に出てくるのは、戦時中暗号兵だったことの影響があると書いてあった。
試し書きのような、落書きのような筆跡の画面に確信がある。その確信が構図の緊張感を保っていて、なおかつ意図による潤色の手前で終えられた絵の試みの数々に救われるような部分を感じる。うらやましくもある。けれど自分の描くものにはそういう地点でまだ終われないものがあり、描写を重ねては絵を殺しているかも知れないけれど、その必要がなくなるまでそうするより他ないと思った。ただ全力でやっているという勘違いを描き込んでやりきったものに満たされないように、つまり描くとは、余白とのやりとりになる。

たまたま手に取ったのは笹井宏之という歌人の第一歌集だった。読んでいると中に食い込んでくる歌があって、なんだろうこの感じと思っていた。
巻末の本人のあとがきに身体表現障害という病気だとあった。どういう病気か調べると「本人が意図的にウソをついているわけではなく、なんらかの身体症状があるにも関わらず一般身体疾患やその他の精神疾患でうまく説明できないもの」とあり、体に原因の見あたらない痛みや吐き気が伴ったり、病気がある、異常であると思い込んだり、ヒステリーも身体表現障害に分類されるそう。寝たきりの時間が長いようだった。
気になって第二歌集も読んでみたら、巻頭に父親の言葉が添えらていてこの詩集の刊行をまだず26歳で急逝したと書かれていた。ただ第二歌集の方が言葉に追い詰めらた密度があって断然よかった。

夕方帰る。夕飯の餃子がうまく焼けた。
夜、「あの頃ペニーレインと」を見た。異国の青春。青春映画。ペニーレインがひたすらかわいい。

2016/5/3

2016年05月03日 | Weblog
連休といっても自由業にとってはあまり関係がないけれど、なんとなく遊びたくなる。遊んだ方がいいんじゃないかという気持ちになる。
夕方からは雨の予報で、日が暮れるまでに帰ってこないといけないからそう遠くには行けないけれど、朝から何か休日らしい、いつもと違うことをしようと喫茶店にモーニングを食べに行く。
バイクでうちから少し離れたところの、住宅街にあるはじめて入る喫茶店。黒板に40周年と書いてある。カウンターもテーブル席もマホガニーで統一された店内にノスタルジックな花柄のランプ。積み上げられた漫画。FMのラジオの音量がうるさい。
モーニングはバタートースト、サラダ、卵、コーヒーが付いて450円。卵はゆで卵か目玉焼きを選べた。
常連さんはカウンターで新聞を読みながらコーヒーを飲む。

朝ごはんが済んで、といってももう10時半を過ぎていて、どこに行くかも決まっていない。近くて混んでなくて遠出した気持ちになる、つまり風景が変わるのは隣の滋賀県。なんせ琵琶湖がある。
山の中を少し走ると大津市に出る。山の木々の緑のなかに山フジの藤色ばかり追ってしまう。山を抜けて国道沿いをしばらく走ると琵琶湖大橋。海に来たのではなくても、海に縁のない土地に住んでいるものからすれば十分な水景色。橋を渡ると数年前まで廃墟だった大型ショッピングモールがある。駐車場を含めた広大な敷地ががらんと置き去りになっているのは通るたびに気になっていた。
今は新装オープンしている。行くあてもないので試しに中に入ってみた。連休で家族連れの賑わい。zaraやh&mなどのファストファッションの店々。京都にいると行かないのに入ってみたら、ただでさえ安いのが半額くらいになっていて小銭で買える値段が付いている。ユニクロにはないテキスタイルやデザインの思い切りよさがおもしろい。500円のシャツを買った。
あまり来ることがないショッピングモール。この何もかも手の届くところにある感じ、やたら広いし天井も吹き抜けで高いのにすごくコンパクトに何もかも手軽に手頃に満たしにかかってくる感じ。その空間にいると人間の存在は実寸より小さく見積もられているように感じる。同じスケールのなかで皆どことなく安心する。

それからそば屋に行って今年最初のざるそばを食べた。そばつゆにうずらの卵が付いてきた。殻のままのうずら卵になんて久々に触った。小さい。

京都に戻って雨が降る前にビデオ屋にビデオを返し、夕飯の買い物をする。魚介を入れたトマトソースのパスタにしようと最寄りスーパーの魚売り場を見ていたら頭が2つと身がぎゅうぎゅうに入った鯛のあらが半額になっていて、夕飯は急遽あら炊きに変更になった。

帰ってあらを炊く。熱湯をかけて血などを掃除する。骨のまわりだけじゃなくて大きい身の部分もわりと入っている。鍋に入る量じゃないのでいちばん大きなフライパンにぎっちり並べて炊く。
醤油とみりんと酒の甘辛いにおいがしてくる。冷まして味をなじませている隙にちょっと寝る。
目覚めると雨が降り始めていた。また町内の山椒の木のところへ行って木の芽をもらい、味噌汁を作ってあら炊きを温めなおす。
値段は昨日の鰈の半額なのに量は倍以上あってしかも完璧においしかった。
夜、風が強い。

2016/5/2

2016年05月03日 | Weblog
晴れ。午前中仕事。
外は30度近く気温の上がる予報だけれど実習棟の一階は寒くて、ポーズ中ずっと太陽が恋しい。

帰りに鰈を買って帰る。
鰈をきれいに煮られた試しがない。あぶら鰈という一段と柔らかい身のやつを煮たときは落し蓋を取ったら液化していてほとんど骨しかなくて戦慄した。今日買ったのは赤鰈で、身もわりとしっかりしている。
気をつけたのに、なのにやっぱり思うように仕上がらない。皮が破れる。しかもちょっと味が薄い。せめてもの彩りに町内の山椒の木から木の芽をもらってきて添えた。

小梅は鰈が好きなのかいつになく寄ってくる。ちょうど薄味なので食べてる横であげる。もっとくれと机に手をついて顔をお膳の上に出して待っている。小麦は食い意地のはった猫なのに鰈にあまり興味がない。猫も魚類ならなんでもいいわけじゃないらしい。近々もう一度鰈を煮たい。

2016/5/1

2016年04月30日 | Weblog
晴れ。意を決してコタツを片付けた。5月になったから、という理由がなければもう少しそのままにしておきたかった。一階は日が入らないからちょっと寒いのだ。

午後、府庁でダンスを見て清川さんのスカートを1着オーダーして、北山で珈琲。ブルーマウンテン。濃い。珈琲の酸味が苦手かも知れない。

夜、「海にかかる霧」を見た。今年見る映画でベスト3に入る気がする。
冒頭漁船で漁をする様子や船の上で食事をする漁師の生活が映されて、その時点でもうこの映画良いだろうなと思った。その部分だけで船長や船員がどういう人たちであるかがわかる。皆素朴に働き暮らしている。けれど、不景気に困窮した漁船の船長は、船と船員のために密航者を運ぶ仕事を請け負うという実話を元にした話し。
最初から悪人がいるのではなくて、状況から悪が醸造されてしまうこと、甘いロマンスではなくて事情のなかで男や女を必要とすること。本意ではなかったことが実像になって現実をめくり上げていくことを象徴的に見ていくようだった。漁船の生臭さと人間のありようの血なまぐささ。密航者は古い漁船に染み付いた魚艙のにおいと暗闇で揺られて船酔し嘔吐する。密航というのはあまり想像したことがなかったけれど、汚物と異臭にまみれることなのだと思った。息をしものを食べ排泄する実体のある体を、それも一人や二人じゃない数十人を、隠しそこになきものとして扱うとはそういうことになる。ひとりひとりは臓物を携えている。呼吸器、循環器、消化器、生殖器。その重たさ。甲板のいろんな太さのロープや網は腸だとかの臓器を想起させ、途切れない生臭さも相俟ってずっと腹の中のような、腹の中を見せられるような映画だった。

2016/4/28

2016年04月28日 | Weblog
雨降ったり止んだり。
昨夜、去年の今くらいに公開していた「バードマン」を見た。副題が「無知がもたらす予期せぬ奇跡」宙吊りのまま感想がまとまらない。
星野珈琲みたいなホットケーキを焼こうとメレンゲを泡立て18センチの型で焼いてみた。惜しい。卵をもう一個増やせばたぶん理想の感じになる。

午後本を返して籠ろうと大学の図書館に行くが休館。仕方ないのでカフェのところで読み切れなかった分を読む。九鬼周造の何にひかれているのかというと、論理と叙情性のあいだで熟された思想であるところ。それで私にも手に取る余地があったのだと思う。常に浸透してくる偶然性に対して身を開いた生き方をする、ということが私にとっての主題であると再確認した。

帰りに長いフキを買って帰る。フキを料理したことがなかった。昼にキューピー3分クッキングでフキの下ごしらえを見てやってみたくなった。鍋の幅に切って板ずりして茹でて皮を剥く。青い、生臭いにおいがする。すごく生きもの臭い。風味に勢いがある。和えものにはごまや味噌のような風味の強いものと合う。
軸に近い太いところは含め煮にした。

2016/4/26

2016年04月27日 | Weblog
晴れ。朝、ディオレサンスの花が開いた。

午後街の方へ行って、関東に引っ越した友達に贈るものを探して高級紅茶などを見てまわるがしっくり来ず。結局ふわふわのパンケーキを食べて銘仙のような布地のワンピースを古着屋で見つけて買って帰ってきた。

ディクロアと一重のニオイスミレを植え替える。山アジサイをだめにしてしまった。

3日前くらいに塩漬にした山桜の葉からジップロックの袋越しにもはっきりと桜餅のあのかおりがしてくるようになった。香り成分ではクマリンという。甘さはあるけれど、重くはなくパウダリー。清閑で品がある。
ばらは気温が上がってくるとどうしても病気と虫にやられる。ばらはコーディアルやジャムにして食べたかったので、野菜用の薬や化学薬品不使用の薬を使っていたこともあるけれど、やっぱり効きが弱い。何よりきれいに咲かせて嗅ぎたいのでちゃんと効くのを使っている。ただ花びらを捨てることには悲しみが伴うので、今年は咲いた花をモイストポプリにしてみようと思う。ポプリは花を乾燥させて作るのが一般的だけれど、乾燥させないで生の花をガラス瓶に入れて大量の塩で覆い、それが防腐剤になるので、香りをそのまま保存できる。桜の葉のおかげでいいことを思いついた。

2016/4/25

2016年04月26日 | Weblog
晴れ。午前中仕事。
帰って茄子とエリンギのココナッツカレーを作る。またカレー。カレーがまだある上にカレーを作ってしまうので、3種のカレーが並び、期せずしてカレーパーティーの夕飯になる。
ディオレサンスの今年最初の花が咲いた。ばらの季節が始まる。

夜「ジャージー ボーイズ」を見た。万人に勧めたいような映画。
イーストウッドの映画はわりと最近「アメリカンスナイパー」を見た。監督の方法やスタイルじゃなく1本の映画のために最適な方法を採択しているような、映画に対する愛情を感じる。
もしマフィアに殺されることがあるとすればこのような人がいいと思ったクリストファー ウォーケン。昔ダンスをしていたらしいし、大の猫好きらしい。たぶん仲良くなれる。

2016/4/24

2016年04月24日 | Weblog
昨日神戸に仕事のついでに三ノ宮にあるスパイス専門店に寄る。新長田にも同じ店がある。スパイス、ハーブとも品揃えがよくて安い。ちょっと重くなると思ったけれどココナッツミルクパウダー1キロとひよこ豆500g、スパイス、ハーブをいくつか買う。ココナッツミルクパウダー1キロはとち狂った量に思われるかも知れないが、たぶん夏の終わりにはほとんどなくなる。

昨夜のうちに水に浸けておいたひよこ豆を圧力鍋で煮て、またカレー。水煮のひよこ豆缶はあまり好きじゃなかったけど、茹でるとひよこ豆はすごくおいしい。
ここしばらくアイスクリーム作る以外の料理に熱が入らなかったけれど、カレーの波が来た。もうバスマティライスを検索してしまっているし、パニールを作ってほうれん草カレーに入れてみたい。

最近読んでいる「偶然性の問題」は読みながら気になったところを書き写しているので進みが遅い。書き写しているけれど、書いたことを事細かに覚えていない。ただそのときにこれはと思ったことを手で書いた字にしておきたいだけ。あとから字の溜まったノートを見て、書いてある内容よりそれを書いていた時間やそのとき、大抵そういうことに集中力を注ぎ込める時期の、何か圧倒的不足を感じる焦りの最中の痕跡を眺めて、あの時期そうだったなぁと思う。

夕方歩いて買い物へ。帰り道で花を摘んだ。紫の捻れたように咲く名前を知らないガレージにあった花は、今日ついに調べたら松葉海蘭という、雑草と思えないなんか荘厳なかんじの名前だった。