毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

ひすい

2010年01月17日 17時50分46秒 | 観光


 フォッサマグナの街糸魚川は、またヒスイの街としても有名だ。
 実はこの二つ関係がある。海底プレートがフォッサマグナの断層部分に沈み込む。その際、石灰岩の積もった海底を巻き込んでいく。巻き込まれた石灰岩は高圧・高温によって変成、今度は大陸プレートにのし上げられて地表に出る。この変成岩が蛇紋岩であり、その中にヒスイが含まれている。フォッサマグナあってのヒスイなのだ。
 街を歩けば、ヒスイラーメン、ヒスイ王国、ひすいの湯、ライブハウス「ひすいの海」、さらにはJAの名前さえ「ひすい」。至るところにヒスイや奴奈川姫のオブジェ。
 2日目の予定はずばり「ひすい」。糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムを見た後、塩の道沿いに南下。この塩の道が縄文時代にはヒスイの道としても使われていたのではないか、と思う。糸魚川~フォッサマグナ・ミュージアム~姫川を徒歩、姫川からはJR大糸線で松本。松本から篠ノ井線で諏訪を経由して甲府へ。なかなかハードな予定。

 行ったことのない街だから、見物がてらミュージアムまで徒歩。おお、上りとは想像していなかった。向かい風、延々と登る道、そして何よりおっかないのが凍結した路面。つるんつるん。


 フォッサマグナミュージアム到着。背景の北アルプスが美しい。高台にあって、向こうには日本海が見える。
 ところがミュージアム自体は、期待して行ったわりに、ちょっと、イマイチ。いろんな石が美しくディスプレイされていて、最初のあたりはなんだか「生命の星・地球博物館」っぽい。ペトリファイド・フォレストの化石木があったのが、なんだか「水曜どうでしょう」ファンには嬉しい。
 ここの最大の欠点は、フォッサマグナミュージアムと銘打ちながら、フォッサマグナがないことである。車じゃないと、あちこち廻ることができない。次回、車で来るか、あるいはレンタカーを借りよう。再チャレンジ。



 隣にある「長者ケ原考古館」へ。小規模な施設だけれど、なかなか興味深い。
 他所からの土器の流入があるということは、ここが豊かな地域だったという証拠だろう。そしてその豊かさを裏打ちしているのが、ヒスイなのではなかったろうか。
 ここは遺跡に隣接しているので、見学もできる。早速考古館を出て、遺跡へ。



 遺跡、あの中。腰まで雪につかって、ラッセルしながら進まないと遺跡には到達できない罠。雪山装備でミュージアムに来るヤツなどいない。う~ん、今回は何だか空振りっぽい旅になってしまった。ここで頭を切替え、下見の旅と位置づけをして気を紛らわす。



 ここから静岡まで渓谷沿いに塩の道が開かれている。その塩の道に沿ってJR大糸線が松本まで走っているのだ。
 ミュージアムから姫川駅まで歩き、そこから乗る。JRの駅にしては、都電の停留所みたい。駅舎はないけれど、小さな待合室があり、そこに駅ノートが置かれていた。
 やって来たのはキハ52-156のディーゼル車。車内はマニア満載。沿線もマニアだらけ。雪景色の中、この車両は映えるし、それに今年の3月で引退してしまうのだ。つまり、雪の中を走る姿はこの冬が最後となる。車内のマニアはヴィデオを回し、写真を撮る。沿線のマニアたちも大きな望遠レンズでこっちを狙っている。こんなにもたくさんのカメラが向けられる中走るのも、変な気分だ。それにしても車窓の景色が素晴らしい。



 素晴らしい景色を堪能しつつも、次第に普通列車に乗り続けることに飽きてくる。キハ52-156で南小谷(これで「みなみおたり」と読む)に出て、そこからは電化されているので電車に乗り換える(これ、八高線と同じだ)。終点信濃大町で降りると、もうさすがに松本まであと19駅乗る心の強さがくじけてしまった。もう信濃大町を出る特急はないから、松本まで19駅。しかし、これはイヤだ。
 おお、そうだ。駅を出てバス停へ。ある。新宿行きのバスがある。新宿まで19駅ならまだ我慢するけど、松本まで19駅だもん、もう、だめ。バス会社に電話すると空席がある、と。近くのスーパーへダッシュ。酒とつまみを買う。ここのスーパーは、さすが長野のスーパーである。「さなぎ」や「蜂の子」、それに「いなご」の佃煮があった。いなごで一杯。

 ま、なんだか尻つぼみな感は否めないが、こんな時もあるさ。
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谷川岳

2010年01月14日 18時58分26秒 | 観光
 「そんなこと言われなくたってわかるでしょ?!」って、よく怒られた。
 子どもの頃は親に、大きくなったらガールフレンドに。
 「え? クリスマス・イヴにバイト代わってやっちゃだめなの?」塾の教師やってた時、若いヤツが代わって欲しそうだったから。
 「代わってあげた若いヤツって、彼いくつ?」
 「19」
 「いい? わたしときみは二十歳。わたしたちもじゅうぶん若いはずなんだけど」

 病み上がりの体で谷川岳ロープウェイまでテクテク歩いて、ロープウェイを降りたとき、そうか、言われなくてもわかることってこういうことなんだ、と実感した。病み上がりの人は吹雪の中、氷点下5度積雪2メーター超える場所に来てはいけない。



 尾根伝いに登山道が始まっているのだけれど、そこにすら辿り着けない。すぐに膝まで雪に埋まる。おまけに髪が凍ってる。つかむと髪はパキパキしてる。なんだか楽しいんだけれど、でも、頭凍るのはいかがなものか、と。吹雪に目を開けていられない。突然片山右京のことを思う。どれだけ辛かったか、切なかったか、山を降りる決断を下した時の彼の心境を思うといたたまれなくなる。ロープウェイそばの登山口で難渋してる(今回は登山目的じゃなかったから装備してないせいも、もちろんあるんだけれど)ぼくですら、雪で目を誤って腰まで埋まったり、どうにも動きがとれなかったりするのに、その状況で本当に自分ひとりがすべてを背負う決断をする、あるいはしなくてはならないところに追い込まれ、下山した彼の引きちぎられるような心境が切ない。
 それでも雪山の魅力はぼくにもわかる。この場にいると、雪山がぼくたちに求めていることが伝わってくる。それは限界へのステップなんじゃないか。体力、精神力、あるいは人と自然とのギリギリの境界線。その端境の中、何かにチャレンジしたい気持ちはなんだかよくわかる。前に雪の丹沢に登ったときのアイゼンなどまだある。谷川岳とは言わないけれど、雪山に登りたくて仕方ない。



 谷川岳から再び土合に戻る。
 雪はやっぱりいい。



 土合駅付近の積雪も結構なもので、バス停はなんだかお湯に浸かってる加藤茶みたいな感じ。って、その比喩はよくわからない。



 土合から再び下り電車に乗って、宮内へ。そして宮内から柏崎を経て、日本海沿いを糸魚川へ。宮内からの路線はとにかく車窓の風景がすばらしい。夕方暗くなってしまったので、動いている電車の車窓風景は撮れなかったけれど、もう美しい景色三昧。あっち日本海、こっち北アルプス。この景色の中で生まれ育った人と東京のビルの中で生まれ育った人とでは、感受性など違って当たり前だろう。
 糸魚川駅の手前のデッドセクションで車内が消灯する。おお、懐かしい。昔の銀座線がこうだった。そうか、同じ新潟県でもここからJR東日本からJR西日本になるんだ。なんだか、新潟が西日本というのもなじめない感じもするのだけれど。


おまけ

 無類のスーパー好きであるぼくのスーパー探訪。
 さ、今回は糸魚川駅近くにあるスーパー「ナルス」。「パナルス」じゃありません。「ナルス」です。「夜9時まで」という時が堂々光ってます。別段9時までやってるなんて珍しくないじゃん、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、糸魚川、飲み屋を除けばほとんどの店が7時消灯です。
 このスーパー、全般的に安い。ここで暮らせばちょっとは楽になるかも、と思うほど。そして東京のスーパーと比べての品々。まず、「スケトウダラ」。これがまるごとであります。タラコのお母さんです。東京では真鱈の切り身はあるんですが、スケトウダラのマルは珍しい、かと。それから「エゴ」。海藻を練ったもの。
 そして「メナシアナゴ」。ちょっとWEBで調べようと思ったんだけれど、GoogleでもYahooでもヒットなし。新潟のスーパーで売ってるものが、まるで該当なしっておかしくない?
 そんなわけで新潟のホテルで龍馬伝を見、翌日ヒスイ巡りへ。
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北へ

2010年01月13日 18時48分58秒 | 観光
 高崎線に乗り換えてしばらく経つと、建物の際を赤く輝かせながら太陽が昇り始めた。はるか昔、何もない大地に光の帯を広げながら昇っていくさまを見た人たちには今のぼくとは比べものにならない感慨があったのではないだろうか。来光に神を感じても不思議ではない。ウォークマンでマーラーの3番第4楽章をかける。ニーチェの歌詞とともに雲が神秘的な色に変わっていく(一人旅ですから、ややもすると平板になったり、疲れたりする局面をさまざまなことで盛り上げていこうという涙ぐましい趣向)。
 そんな思惑やマーラーの音楽を乗せて高崎線は北に向かう。



 高崎で上越線に乗り換え、朝早かったからウトウト。後閑あたりで目覚めると、一面雪景色。ああ、これだ、これ。雪国の人からすれば雪かきに労するコストや労力を考えればうんざりものの雪なのかもしれないけれど、積もらない地方の人間にとって雪=はしゃぐ物体なのだ。空からの手紙(C中谷宇吉郎)なのだ。雪の上で自分の尻尾を追っかけてはしゃぐ子犬のように気持ちがざわめく。もちろん、気持ちだけ。ほんとにやったら気味悪がれる。



 水上駅到着。ここで同じ上越線でも乗り換えがある。
 水上から2駅。土合着。
 土合は去年に続いて2回目。前回土合駅の記事はこちら
 この階段の登りBGMは、J.S.バッハのマタイ1曲目ね。


 土合でバスを逃してしまったので、谷川岳ロープウェイまで徒歩で行く。
 歩いていると上りの電車がやって来る。
 思いっきり向かい風、雪。歩道なんてもちろんない道をトボトボ歩く。寒くはない。ぼくは実は寒さに鈍感なんである。だけど、雪が、目に入り背中に入るのには閉口する。
 何やってんだろ、ぼくは。
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治らない

2010年01月09日 22時06分01秒 | らくがき


 不思議だ。
 過去たいていの風邪は数時間で治っていたのに、元旦から悪くなった体調がよくなりませぬ。
 もしかしたら風邪ではなく、何か不治の病とか? はっ、もしかして、ジューン・サンダースみたいな感じ? わたしの思いはユミ、あなたがかなえて。V。
 本当だったら今日谷川岳にいたはずだったのに、ご近所のお散歩のみ。
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東京門前ボタニカルガーデン へび道編

2010年01月07日 15時54分08秒 | 観光









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藍染川

2010年01月06日 10時13分42秒 | 観光

 谷中のポスターになっている路地。
 子供用自転車の色彩が街並みを彩ってる。



 ブラタモリに出てきた物件その1。
 四ツ辻のスイス国旗模様。



 ブラタモリその2。
 藍染屋さん。同じ長屋の右側が蕎麦屋。鷹匠。ここの蕎麦はうまい。



 言問通りとぶつかります。上流からやって来た人は右を見ると本郷台地。



 左を見ると上野台地。
 この道をずっとまっすぐ行って谷中の墓地に入ったとこにあるイナムラショウゾウというケーキ屋さんが有名。



 言問通りあたりから道は急に狭くなる。
 それでも暗渠が区境になるので、こんなに近いお向かいさんでも、左は台東区民、右は文京区民。
 ぼくの家の前も暗渠で、そこは区境ではなかったけれど、学区境だったので、一緒に遊んだ友達はみんな違う小学校へ行き、ぼくだけ一人別の学校だった覚えがある。
 この暗渠は子どもにはきつい暗渠で、学校だけじゃなく、お祭りんときも神酒所が別で、知ってる人がいっぱいのお神輿ではなく、誰一人知らない町会のお神輿を担ぎに行くはめになった。
 今はそれほど厳重じゃないけど、昔は半纏合わせなどいろいろうるさかったのだ。



 辿れる暗渠はここまで。
 ここから今はなき忍川へ流れる川筋と不忍池に流れる川筋とに分かれていた模様。
 さて、次回の暗渠巡り旅は! 目黒の羅漢寺川暗渠。なかなか実力派の暗渠に出会った旅でした。
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谷田川

2010年01月04日 17時28分56秒 | 観光
 石神井川を水源としてた藍染川(谷田川、谷戸川)は、いつしか石神井川と分離され、現在は染井周辺のいくつかの湧水を水源とする暗渠となってる。


 水源近くの三角州。
 こういう地形が残っているところが嬉しい。



 いい感じの暗渠カーブ。



 商店街の名前に残っている「霜降橋」。
 橋は駒込駅前の通りと藍染川が交差するところにあった。
 この通りは六義園と古河庭園を結ぶなかなか景観のよいところ。



 上野台地の東側の崖を山手線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線などが走っているのだけれど、そのまま北に行ける路線に比べ、山手線は台地に切通を作って西進する。そのため、崖の下側を走るのだけれど、藍染川近辺が低すぎるので、ここでは山手線がちょっとした高架を通ることになる。その後巣鴨近辺でまた崖横の路線となる。山手線の西側は基本的に台地上。
 駒込駅はそのちょうど中間。出口の一方は崖の上、もう一つは崖の下にある。
 ここから少し田端へ行くと山手線の環状から外に出る湘南新宿ラインと交差する。そこに山手線唯一(貨物線は別)の踏切がある。開かずの踏切状態かと思いきや、案外そうでもない。山手線のない十条近くの踏切の方がずっと罪つくりだ。



 田端八幡に残された橋の遺構。
 だいたいこのあたりまでは谷田川。道灌山下のあたりから藍染川と呼ばれる。
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