フォッサマグナの街糸魚川は、またヒスイの街としても有名だ。
実はこの二つ関係がある。海底プレートがフォッサマグナの断層部分に沈み込む。その際、石灰岩の積もった海底を巻き込んでいく。巻き込まれた石灰岩は高圧・高温によって変成、今度は大陸プレートにのし上げられて地表に出る。この変成岩が蛇紋岩であり、その中にヒスイが含まれている。フォッサマグナあってのヒスイなのだ。
街を歩けば、ヒスイラーメン、ヒスイ王国、ひすいの湯、ライブハウス「ひすいの海」、さらにはJAの名前さえ「ひすい」。至るところにヒスイや奴奈川姫のオブジェ。
2日目の予定はずばり「ひすい」。糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムを見た後、塩の道沿いに南下。この塩の道が縄文時代にはヒスイの道としても使われていたのではないか、と思う。糸魚川~フォッサマグナ・ミュージアム~姫川を徒歩、姫川からはJR大糸線で松本。松本から篠ノ井線で諏訪を経由して甲府へ。なかなかハードな予定。
行ったことのない街だから、見物がてらミュージアムまで徒歩。おお、上りとは想像していなかった。向かい風、延々と登る道、そして何よりおっかないのが凍結した路面。つるんつるん。
フォッサマグナミュージアム到着。背景の北アルプスが美しい。高台にあって、向こうには日本海が見える。
ところがミュージアム自体は、期待して行ったわりに、ちょっと、イマイチ。いろんな石が美しくディスプレイされていて、最初のあたりはなんだか「生命の星・地球博物館」っぽい。ペトリファイド・フォレストの化石木があったのが、なんだか「水曜どうでしょう」ファンには嬉しい。
ここの最大の欠点は、フォッサマグナミュージアムと銘打ちながら、フォッサマグナがないことである。車じゃないと、あちこち廻ることができない。次回、車で来るか、あるいはレンタカーを借りよう。再チャレンジ。
隣にある「長者ケ原考古館」へ。小規模な施設だけれど、なかなか興味深い。
他所からの土器の流入があるということは、ここが豊かな地域だったという証拠だろう。そしてその豊かさを裏打ちしているのが、ヒスイなのではなかったろうか。
ここは遺跡に隣接しているので、見学もできる。早速考古館を出て、遺跡へ。
遺跡、あの中。腰まで雪につかって、ラッセルしながら進まないと遺跡には到達できない罠。雪山装備でミュージアムに来るヤツなどいない。う~ん、今回は何だか空振りっぽい旅になってしまった。ここで頭を切替え、下見の旅と位置づけをして気を紛らわす。
ここから静岡まで渓谷沿いに塩の道が開かれている。その塩の道に沿ってJR大糸線が松本まで走っているのだ。
ミュージアムから姫川駅まで歩き、そこから乗る。JRの駅にしては、都電の停留所みたい。駅舎はないけれど、小さな待合室があり、そこに駅ノートが置かれていた。
やって来たのはキハ52-156のディーゼル車。車内はマニア満載。沿線もマニアだらけ。雪景色の中、この車両は映えるし、それに今年の3月で引退してしまうのだ。つまり、雪の中を走る姿はこの冬が最後となる。車内のマニアはヴィデオを回し、写真を撮る。沿線のマニアたちも大きな望遠レンズでこっちを狙っている。こんなにもたくさんのカメラが向けられる中走るのも、変な気分だ。それにしても車窓の景色が素晴らしい。
素晴らしい景色を堪能しつつも、次第に普通列車に乗り続けることに飽きてくる。キハ52-156で南小谷(これで「みなみおたり」と読む)に出て、そこからは電化されているので電車に乗り換える(これ、八高線と同じだ)。終点信濃大町で降りると、もうさすがに松本まであと19駅乗る心の強さがくじけてしまった。もう信濃大町を出る特急はないから、松本まで19駅。しかし、これはイヤだ。
おお、そうだ。駅を出てバス停へ。ある。新宿行きのバスがある。新宿まで19駅ならまだ我慢するけど、松本まで19駅だもん、もう、だめ。バス会社に電話すると空席がある、と。近くのスーパーへダッシュ。酒とつまみを買う。ここのスーパーは、さすが長野のスーパーである。「さなぎ」や「蜂の子」、それに「いなご」の佃煮があった。いなごで一杯。
ま、なんだか尻つぼみな感は否めないが、こんな時もあるさ。