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胞衣の生命

2008年02月28日 08時39分55秒 | 読書
中村禎里著「胞衣の生命」                海鳴社


 人間は境界を恐れる。境界は中心に対する周縁であり、中心が光であるならば、周縁は闇、または薄暗さを表す。そこはどちらでもない曖昧な領分、アンビヴァレントな存在で、中心の秩序に対する混沌を含んでいる。
 境界の混沌は秩序にとって大きな脅威となる。
 なぜなら、境界には中心を逆転させることができる力があるからだ。
 何か日常にない幸いをもたらす客人(まれびと)が訪れるのは、この境界であり、能では橋懸かりという境界を通じて、あの世から常ならぬ人が訪れるのである。
 境界は何も場所だけではない。境界の時間もあれば、境界のものもある。たとえば黄昏は境界の時間であり、人はそれを逢魔が時とも呼んだ。境界のものの一つが胞衣である。
 胞衣は出産の際に出てくる胎盤や卵膜のことである。出産後に出る場合が多いが、ときには胞衣と一緒に出産する場合もある。そんなとき、その子には「けさ」の字を名前につけたものであった。ぼくの知り合いにも「袈裟男」さんがいる。しかし、現在50代以下の人にはあまりいないかもしれない。
 胞衣は子どもがやってくる世界とわれわれの住んでいる世界を媒介する境界的存在である。こういう境界物には何か特別な力が潜んでいると信じられていた。
 そのため胞衣の処理には注意が必要だった。
 この本で著者はさまざまな文献にあたり、胞衣の処理について語っている。ぼくが驚いたのは、礼法の小笠原流には小笠原流の胞衣処理がちゃんとある(あった)という点。小笠原流はこんなことまで及んでいたのかあ。
 それによると、胞衣をまず水であらい、次に酒を注ぎ紙で包む。それを土器に入れ、蓋をして青絹で包む。包んだものを弓矢・昆布・勝栗・熨斗を添え、桶に入れ、白布で結い、箱に納める。玉女(陰陽道の神)のその年の方角を選ぶ。男子の時には左足で三度、女子の場合には右足で二度、地を踏み、「天長地久・御願円満・此土安穏・男(女)の胞衣」と唱え、その少し脇を三尺六寸掘って、胞衣を納める。
 出産だけでも大変なのに、そんな綿密な儀式を行っていたんですねえ。

 そして興味深いのは、この一節だ。
 
「一般に近中世以前においては、子宮内の胎児は出産直前まで子宮の上方に頭を位置して直立していると思われていた。この見方によると、胞衣は胎児の頭上にかぶさることになる」

 ああ、そうか、胞衣は胎児が頭にかぶるずきんだったのだ(ちなみにこの本によると、日本で最初に胎児が子宮内で頭部を下にしていると主張したのは、賀川玄悦(1700~1777)の「産論」(1765年)だとのこと。賀川玄悦の賀川流は当時の産科最大手であったらしい)。
 ある祭で、神使は「胞衣」をあらわす箕をかぶって、古層の神を身に付着させる。頭にかぶっていると考えられていたのなら、この習俗は納得がいく。
 あの世とこの世を媒介する胞衣をかぶることによって、神使は人ならぬものに変化する。胞衣によって、祭りの間、あの世とこの世は分断することなくクラインの壺のような連続体となるのだ(これを西洋において考えると、赤ずきんちゃんの話など興味深い。そう、西洋においても胞衣には特別な力があると信じられていたのだ。母親の子宮、羊水の中にいて溺死しない胎児を守っている胞衣は、だから船乗りたちの間で人気が高かった。さらにさかのぼれば、古代ケルトで信じられていた古層の神々はみなずきんをかぶっている)。

 さらに胞衣と荒神がたびたび結びつく習俗についてもその背景がはっきりとわからなかったのだが、次の一節ですとんと理解できた。

「近世においては、胞衣を埋めるさい荒神に仁義を切るため、塩をまいた。いずれにせよ荒神は、ひとたび同居を許した胞衣にたいしては、保護者の役割を引き受け、自らの一部分となす」

 小笠原流のあれだけの煩雑な儀礼は、胞衣の持つ荒々しい力を鎮めるためのものでもあったのだ。
 それにしてもこの1冊の本の背後にある文献の量に驚きだ。
コメント
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