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雪の日のお出かけ2  秩父と諏訪

2008年02月07日 10時44分19秒 | 観光



 秩父もまた諏訪にまつわる事例の多いところだ。
 有名な秩父夜祭りでは諏訪神社の前にさしかかるとその祭神に敬意を払うためお囃子をやめ、静かに通る「お諏訪渡り」の神事があった。ほかにも諏訪神社も点在し、またかつては諏訪城もここにあった。
 秩父には諏訪からの治水技術をもった諏訪からの移民があったと言われている。

 「実は秩父も同じ葛城系なんですね。そして、秩父には諏訪神社が、狭い地域にしては非常に多い。実際、諏訪の一族だと言っている人もいるんですよね。
 そして、治水工事に関して、確かに、諏訪から来たという、秩父という所の治水の工事ですね。秩父といっても小鹿野の方になりますね、椋神社のある。吉田、小鹿野、そっちの方になるんだと思うんですね。ですから、そういう点で、諏訪族はいたということ、これ私、調査で確証しました。上野村を通じて入ってくるルートにお雛粥という行事がありまして、上流から来るお姫様を歓待して、お粥を出したと。これとひな祭りが習合したもので小鹿野町にもあるんですね。
 それから上野村や小鹿野町に残っている文化財とか古い屋敷を検証すると諏訪と共通するものが出てきます。
 祭祀の形態から見ましても、水信仰と治水ですね、それが関わったなという気がするんですね」(西沢形一「お諏訪様」)

 そして秩父平氏の流れを汲むのが豊島氏であり、その居城が「石神井」であった(そして「石神井」という地名自体が諏訪の古層、いや日本の古層の信仰を表している。が、これに関してはまた後日)。諏訪―秩父―石神井と諏訪の流れは東京まで及んできている。もちろんこれは一例に過ぎず、日本各地、とくに東日本で同じような傾向が見られる。

 ところで、これは単なる偶然なのかもしれないが、秩父の諏訪神社を西に辿ると、もう1社諏訪神社があり、さらに西に辿ると諏訪山が存在し、そのまま西に至ると諏訪湖にぶつかる。偶然にしても興味深い事実だ。
コメント
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