風のたより

つれづれに

                    ブダペスト ドナウ川ナイトクルーズ

2015-11-21 | 中央ヨーロッパ4か国の旅




ブダの王宮見学後、バスはペスト側の船着き場にやってきました。
ここからドナウ川のナイトクルーズが始まります。

対岸に見えるのは、反対側から見る王宮です。





次第に暗くなり周りに明りが灯り始めクルーズ船も次々に動き始めました。





ドナウ川のナイトクルーズは、このマルギット橋辺りから始まります。





薄暮の空もいつしか暮れなずんで~~~





クルーズ船が動き始める頃には、ドナウ川の建物の明りが揺らぎ始めました。





クルーズ最初に見えてきたのは、ドナウ川のナイトクルーズの一番の見どころの国会議事堂です。

その金色の輝きに、まず圧倒されました。
なんと素晴らしい!!





夜の闇に浮かび上がった、金色に輝く国会議事堂の姿は、本当に綺麗!!!





次に昼間見たマーチャシュ聖堂と漁夫の砦が見えてきました。





そして次には、あの有名な“さり橋”と王宮のツーショットが見えてきました。

これが有名な“くさり橋”です。
くさり橋にかかる点々と続く光の帯が綺麗です。





次に王宮の丘にそびえる王宮の正面が見えてきました。

こうしてドナウ川から眺める夜のライトアップされた王宮も綺麗です。





クルーズ船はドナウ川をゆっくりの進み、横側から見る王宮が見えています。





次に近づいてきたのは、エリザベート妃にちなんでつけられたエリザベート橋。

あまり装飾のないすっきりと白い橋でした。





次に見えてきた橋は、自由橋。





この橋は以前はフランツ・ヨーゼフ橋といわれていたようですが、いつしか自由橋となったようです。





クルーズの最後の頃に見えたのは、ブダペスト工科大学。

この辺りからクルーズ船は引き返し、、、





もう一度くさり橋と、、、、





国会議事堂を眺め、約1時間の素晴しいブダペストのナイトクルーズは終了となりました。


あすはいよいよ今回の旅の最後の訪問地オーストリアに入ります。


(続)




                   ハンガリー王国、悲しみの歴史

2015-11-19 | 中央ヨーロッパ4か国の旅




スロバキアのブラチスラバを見学後、バスは国境を超え200キロ(約3時間)離れた
ハンガリーの首都ブタペストの街に入りました。
3つ目の訪問国です。

ブダペストはドナウ川を挟みブダとペストに分かれていますが、まずはブダ側の王宮の丘へ。
階段を上り三位一体広場へ~~~





最初に見えてきたのは“漁夫の砦”と言われる建物です。
ネオロマネスク様式の三角の塔が7つ聳えています。

“漁夫の砦” の名の由来は、中世期時代には魚市場があり、ドナウの漁師組合がこの周辺を守っていた
ことからこの名が付けられたとか。





さらに対岸に目をやると、、、
ドナウ川を挟み対岸には、大聖堂の様な風格の国会議事堂が綺麗に見えています。

この国会議事堂は、1896年にロンドンの国会議事堂を真似て造られたそうです。
確かに良く似ています。

2013年にはこのドナウ川が大雨のため氾濫し水位が上がり対岸の周辺は水が引くまで
数週間かかったとか。
2013年といえば私が丁度ミュンヘンにいた時で、そんなニュースを耳にしたような気がします。





丸いドームは、イシュトヴァーン大聖堂。





三位一体広場に聳えるのはカラフルな屋根瓦が目立つマーチャーシュ聖堂。

ハンガリーの磁器メーカーでのヘレンド に次ぎ有名なジョルナイ の作品で、世界で一躍有名になった
作品の一つが、この屋根瓦だと言われています。

またこのマーチャーシュ聖堂は、19世紀後半、ハプスブルグ帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝と
ヨーロッパ一美しいと言われる王妃エリザベートの戴冠式を行った教会として有名になりました。





マーチャーシュ聖堂前の広場には、ハンガリー建国の父といわれる初代ハンガリー王イシュトヴァーン
の銅像があり、右手には二重の十字架を持ち、頭上には王冠を戴いています。

二重の十字架は、一つは政治的、もう一つは宗教的権力を持っていたことを象徴するものだとか。





マーチャーシュ聖堂に入ってみると、、、、、荘厳な雰囲気が漂います。

フランツ・ヨーゼフ皇帝と王妃エリザベートの戴冠式がこの場所で行われたかと思うとなぜか感動です。
どんなにか素晴しい戴冠式だったことでしょう。





この日は丁度清らかなパイプオルガンの演奏が流れていて、教会内部は荘厳な雰囲気がいっぱいでした。

しかしこの教会は15世紀にはトルコに占領されてモスクに改装されたり、17世紀にはいると
ハプスブルグ家によってトルコ軍から解放され再びカトリック教会に戻ったり、バロックから
ゴシック様式に変わったりといくつかの変遷があったようです。





広場を抜けて王宮の丘にある建物を見学。
これは大統領官邸。





王宮の入り口にやってきました。

ドナウ川が眼下に見える素晴しい眺めが広がる高台に建てられた王宮です。





王宮の入り口近くには、羽根を広げた鳥の像が目に付きます。

これはハンガリーでは伝説の鳥といわれている「トゥルル」とか。
足に剣をしっかりと持っています。





一段と高い王宮の丘からは、ドナウ川の向こうのペスト側が見渡せます。

王宮のあるこちら側はブダ側になります。





眼下に見えるのは有名な「くさり橋」

王宮の丘からははっきりとわかります。





広い王宮の中の庭園に入ってきました。

瀟洒な立派な建物が続いていますが、現地ガイドさんの話では”この王宮の中には何もありません、
中は空っぽです”??

ハンガリーは建国以来オスマン帝国の侵入やハンガリーオーストリアの二重帝国時代、さらに
ソビエト連邦の進入、それによるハンガリー動乱、第一次、第二次大変では領土の喪失など幾多の
破壊と修復が長く続き、ほかの王宮で見られるような金銀財宝は全く残っていないのだそうです。





今はこの王宮の建物は、ハンガリー国立美術館、歴史博物館、軍事歴史博物館、国立図書館
などとして使われたいるとか。

本当に王宮として誇れるものが何も残っていないという現実に胸が突かれる思いがしました。
こんな素晴らしい場所に立っているのに、、、、、





王宮を一巡りし裏側に回ってきました。
いつしかすっかり陽も傾ていました。

夕日に浮かぶもうひとつの丘に見える住宅は、ブタペストの高級住宅街とか。
一般民衆の月給は平均4万ぐらいで、この国でも貧富の差がかなりあるとの現地ガイドさんの
お話でした。





夕日に浮かび上がる王宮の裏の高台にそびえる騎馬像と騎手のシルエット!!!

その姿はハンガリー王国のどこか物哀しい姿を見るようでした。


(続)



                 スロバキアの首都、ブラチスラバの街中には~~

2015-11-16 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



チェスキークルムロフ観光後テルチによりチェコの最後の訪問地ブルノで一泊し、翌日バスは
スロバキアの首都のブラチスラバにやってきました。

スロバキア共和国の首都ブラチスラバは、ドナウ川に面した静かな街で、オーストリアのウィーン
から僅か60kmの場所です。

まず最初に訪れたのは、“テーブルをひっくり返したようだ”と例えられるブラチスラバ城へ。





たしかに四隅に塔がそびえるブラチスラバ城の姿は、ひっくり返したらテーブル!!





高台からはドナウ川の流れが見渡せました。
ここから眺める川は、モルダウではなくドナウ川です。

ドナウ川にかかる橋の中央にあるのは展望塔で、展望レストランでのお食事は、びっくりするほど高いとか。





バスで旧市街の方に移動です。

かつて旧市街を囲む城壁の出入口だったミハエル門です。
今はただ一つ残った門とか。





ミハエル門の下にはブラチスラバのゼロ地点があって、ここから世界各地の都市までの距離が表示
されたプレートがはめ込まれていました。

ここスロバキアのブラチスラバから東京までは9142kmとか。
こんな遠くまでよく来たものです。





旧市街の中心地、フラヴネー広場にやってきました。

後ろには今通ってきたミハエル門が見えています。





広場の周りには、どっしりと重厚な建物が並んでいます。





ただそんなに広いということもなく、今まで見てきたプラハ城やチェスキークルムロフで見た広場
に比べると割合こじんまりとまとまった感じです。





この広場の横には日本大使館がありました。

異国で見る日の丸と菊のご紋章にはちょっと感激でした。
やっぱり日本人なんですね。





この街にはおもしろいオブジェがあちこちに~~~~

まずはフラヴネー広場にあるナポレオン像。
銅像前のベンチに座り観光客はみなナポレオンとツーショット!!!

めったにないチャンスですから、、(笑)





広場の門には、こんなおじさんの姿も、、、、

帽子をとってご挨拶?
それとも何かのお誘いでしょうか???
後ろのプレートにはなんて書いてあるのでしょう??





広場からちょっと街歩き~~~~

大通りに面して並ぶ露天の店店。
同じパラソルがおしゃれですね。





街中を走る観光バス。
赤い車体が目立ちます。

でも日本では消防車と間違いそうですね。





そしてここに、いましたいました!!
ブラチスラバの町で一番有名な男性が、、、、、

マンホールの蓋を開けて道行く人々をなぜか下から眺める不思議なこのおじさんは???





この変わったオブジェには、「見つめる君」という名前があるらしいのですが、、、、
一体何を見つめているのでしょう??
変わったオブジェですね。
観光客が触るためか、おじさんのかぶった帽子はもうピカピカです。

その「見つめる君」のマンホールのおじさんを、たくさんの観光客が周りから見つめていました。(笑)


                 チェスキー・クルムロフとおとぎの町テルチ

2015-11-13 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



翌朝、フルボカー城から約35キロ、バスで45分の地にある同じ南ボヘミヤの都市チェスキー・
クルムロフにやってきました。

その高台に聳えるのがチェスキー・クルムロフ城で、1992年に、「チェスキークルムロフ歴史地区」
として世界遺産(文化遺産)に登録された中世から抜け出た様な可愛い街です。





高台から眺めると,大きく湾曲した川に沿って街が出来ています。

街の名前のチェスキー・クルムロフのチェスキーとは“チェコの”という意味で、クルムロフは
“川の湾曲部の湿地帯”を意味するのだそうです。

この湾曲して流れている川は、、、プラハ城の前を流れていたあの同じモルダウ川ということでした。





ヨーロッパ内陸の国、チェコの南部(南ボヘミア地方)に位置するチェスキー・クルムロフの高台に
貴族の城が築かれたのは13世紀。

その後多くの領主が代わり、その度に増、改築築が加わり現在の姿になったようです。





その後もこの街や城は幾多の歴史に翻弄され一時は廃墟と化した時期もあったようです。

幾多の経緯を経てこの街が復興したのは、世界遺産に登録されてからで、まだ数十年のことで
そのため奇跡的な復興は、“眠れる森の美女の目ざめ”とも言われたとか。





丸い壁からみえるチェスキー・クルムロフの旧市街。

まるでおとぎの国の入り口のようです。





城内に入ってみると、、、、、ありました!!あのスグラフィット!!

一種のだまし絵的なものです。
一見立派な石積みのように見えて、よくみると描かれたような工法です。





城内の至る所に次々現れるスグラフィット。

色や模様は違っても、そのほとんどがスグラフィットのようです。
一見綺麗ですが、やっぱりちょっと重厚感に欠ける気がしました。(ごめんなさい!!)





城内に聳えるチェスキー・クルムロフのランドマーク的なフラデークの塔も、その下の
お城の部分も皆よく見るとスグラフィット!!!

うーん、やっぱりちょっと、、、、、





自由時間になり、皆それぞれに城内と街を散策しました。
そんなに広い場所ではないので、一回りするには丁度良い散策コースです。

下から見上げるチェスキー・クルムロフ城と、お城に繋がる渡り廊下の様なブラーシュティ橋。





淡いパステルカラーの建物が可愛い中央広場に出ました。

観光客に人気なのは、こんな風景が見られることもあるのでしょうか??





街の店も可愛い造りで、とてもメルヘンチックです。

町並みも整然としていますが、、、、





街の店の壁にもだまし絵が、、、

石畳の道路も良く見ると敷かれた石の大きさもまちまちで向きも不揃い、、、、(笑)
財政的にはやっぱりかなり厳しい時代があったのでしょう。





もう一度高台からチェスキー・クルムロフの街を眺め、バスは“ モラヴィアの真珠”といわれる
テルチへ。

チェスキー・クルムロフからバスで2時間半の移動です。





初めて聞く地名で、チェコの観光の中でもあまりメジャーな場所ではないようですが
行って見ると、なんとここもメルヘンチックなこと!!!

ここも世界遺産なのです。





16世紀、テルチの町は大火災で焼き尽くされました。

その後その時の領主が“広場に面するすべての家の高さをそろえ、ルネサンス様式にするように”
と市民たちに命令を下し、そして生まれたのがこの町テルチということでした。

広場を囲むようにメルヘンチックな色合いの家々が整然と建ち並ぶ様子は、まるで絵本の中の世界で
思わず見回してしまいました。
建物の下はアーケードになっていて色んなみやげ物店が軒を並べていました。

こんな風に思いがけない光景に遭遇する事は、旅のもう一つの大きな楽しみです。

(続)


                 フルボカー城と古城ホテル

2015-11-11 | 中央ヨーロッパ4か国の旅



バスはプラハから150kmほど離れたチェコ南部の都市チェスケー・ブジェヨヴィツェの郊外にある古城
チェコで一番美しいと言われる白亜のフルボカー城にやってきました。





城の前に広がるフランス式庭園。

フルボカー城の森の木々は黄葉していましたが、庭園はまだ緑いっぱいです。





一見新しいように見えますが、フルボカー城が建てられたのは13世紀とか。

このフルボカー城は、代々ボヘミア王の居城でしたが、17世紀に貴族のシュヴァルツェンベルグ家が
城主となり、その後19世紀に、イギリスのウィンザー城をモデルに、チューダー・ゴシック様式に
改装されたのが、今のお城ということでした。

たしかにどこかイギリスで見たウィンザー城に似ています。





広い庭園の奥には小高い丘が広がっていました。
狩りをするためのお城でもあったようです。

この日は、この古城に隣接する古城ホテルに宿泊の日でした。





このホテル自体も1800年代に建てられたもので、まさにお城の雰囲気です。

客室は44室、今回のツアー参加者は18名でしたから大人数のツアーでは宿泊できない
貴重な体験でもあります。





ホテルの入口です。いよいよここから古城ホテルへ~~~

周りを森に囲まれ静寂な雰囲気が漂います。





中央がフロント、右がダイニングルーム、左側がホテルのようです・





お部屋が割り当てられ鍵を頂きお部屋へと進んで行くと、、、、

部屋は204号室、ありました!!
この左のドアの部屋が今夜宿泊するお部屋です。





鍵をあけると、、、、、
なんと豪華な室内が目に入りました!!!

後でわかったのですが、この部屋はデラックスダブルで、各部屋はそれぞれでその中でも
一番豪華な部屋に幸運にもめぐりあったようです。

あのカレル橋の殉教者「聖ヤン・ネポムツキー像」の台座の十字架にさわると幸運が訪れる
というのは、まさにこのことだったのでしょうか。





この日は広い豪華なお部屋を贅沢にも独り占めでした。

並んでいる家具や内装も豪華で、まさに宮殿の中にいるようです





こんな幸運な経験はめったにないことと思い、カメラのタイマー機能を使い豪華なお部屋の中で
あちこち場所をかえていっぱい自撮りしました。(笑)





奥の部屋には広いバスルーム。
ゆったりと大きなバスです。

左手前にはトイレ、そして洗面台はシンクが二つありました。
やっぱりこの部屋は、デラックスダブルルームなのでした。





窓際に置かれた豪華なテーブルと椅子。

外を見ると、、、森と湖に囲まれた南ボヘミヤの大地が広がっていました。





ダイニングルームでのお食事も、まさに晩さん会の様な雰囲気がありました。





夜はライトアップされるというフルボカー城を皆さんと見に行きました。
黄金のように輝くお城は綺麗でした。





チェコのボヘミアはボヘミアングラスで有名なことろです。

お部屋の中央には、この大きなクリスタルのシャンデリアが輝いていました。





地方貴族の夢の様な優雅な生活に思いを馳せたフルボカー城での宿泊は、貴重な思い出多い
旅の一こまになりました。


泊まった部屋まで分かる、このフルボカー城の全体を収めた写真は、ネットよりお借りしました。


(続)