ベジタリアン・マーフィーの菜食日記・日々是精進

平和を愛するベジタリアン。生命倫理、菜食、環境問題など、みんなで考えよう!

雨ニモ負ケズなエシカルビーカンフェスタ

2022-05-01 21:00:37 | Weblog
4月24日は小雨が降り気温も低い日曜日でしたが、多くの方々が訪れた様でした。







エシカルつまり倫理的な観点から、食べ物、被服、化粧品、あるいは娯楽に至るまで、生活全般において生命の尊厳を大事にするライフスタイルを提案するイベントです。

決して健康や美容が一番の目的ではありません。

こういう活動において必ず現われるアンチは、植物だって生きている!と批判的な意見を言います。

そう批判を言う方々は、動物も植物も食べずに生きている仙人なのかと想像を巡らせてしまいます。

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3 コメント

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Unknown (Yass)
2022-06-14 22:10:45
お久しぶりです。
ふと思ったですが、動物を屠殺するシーンの写真を見せると、「グロ画像を見せやがって!」と怒る人っていますよね。そして、そう言う人に限って「植物だって生きている!動物も植物も同じだ!」と言います。では、そんな人に、植物の果実や花を捥ぎ取るシーンの写真も見せたらでしょうしょうか。誰も「グロ画像」だとは言いませんよね。もし、本気で動物も植物も同じだと思っているのなら、それも「グロ画像」だと感じなければ矛盾してますよね。つまり、本気で動物も植物も同じだと思っている人なんていないってことです。
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Unknown (Yass)
2022-06-14 22:52:27
それと、動物か植物かで「命の線引き」をするのは差別だ!という批判もよくあります。
では、「命の線引き」という「差別」を一切しないためには、どうしたらよいでしょうか?
選択肢は2つしかありません。
1.いかなる生物(人間・動物・植物・微生物)をも、一切、殺さない。(しかし、これは不可能です。)
そしたら、他の選択肢は1つだけです。
2.あるゆる生物(人間・動物・植物・微生物)を全て「平等に」殺す。全滅させる。(しかし、この選択肢は最も過激で残酷です。)
つまり、「命の線引き」が悪いのなら、両極端な選択肢しかありませんが、どちらも不可能である以上、どこかで「命の線引き」をすることは不可避です。

分かりやすい例で言えば、大規模な災害が起きて、「全ての人を救助することは不可能」だと分かった場合、以下のどちらの判断がベターでしょうか?
1.一切、救助活動をしない。(一部分の人だけを救助し、それ以外の人を救助できないのなら、「命の線引き」(差別)になるから。)
2.一人でも多くの人を救助するために全力を尽くす。その結果、助からなかった人がいて、それを「差別」だと批判されても、助けられる人だけでも最大限、助ける。
一体、どちらが正解でしょうか?
「命の線引き」の是非の問題を極論すれば、こういう問題に帰着します。

まあ、実際問題、ノンベジの人でも「命の線引き」をしています!(人肉やチンパンジーの肉を食べる人は普通はいませんからね。)ですから「命の線引き」の是非の議論はそもそも無意味です。問題は「どこで線引するか」だけです。人間にとっては、人間に近い生物ほど、殺すことに抵抗感があります。それで、動物と植物の決定的な違いは、動物の場合、人間の顔や手足に相当する部分が必ずあります。つまり、動物は全て人間と相似形です。だから感情移入するのは当然のことでしょう。それに対して、植物は人間と相似形ではありません。このように大きな違いがあります。どこかで線引きせざるをえない以上、動物と植物との間で線引きするのが最も妥当だと私は感じますし、真面目に考えれば誰でもそう思うのではないでしょうか?

以上で、ベジやヴィーガンに対する批判は完全に論破できると思います。長年、悩んできた問題の結論です。
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Unknown (Yass)
2022-06-14 23:04:45
すみません。もう1点、追加します。
「動物を食べない分だけ、植物を食べる量が増えるのだから、トータルの犠牲の量は同じだ」という批判もあります。しかし、これを論破するのは簡単ですね。
動物を飼育して肉にするまでに、餌としてどれだけの植物を犠牲にしているかを考えると、植物を人間が直接食べるほうが、結果として、植物の犠牲もずっと減らせるという言い方です。

以上で、たとえ「ひろゆき」を相手にしてでも「論破」できると思います!(笑)
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