双葉幼稚園 2007-03-08 07:08:53 | 北海道 その他のエリア 大正11(1922)年築。 帯広で最初の幼稚園として明治44(1911)年に開設。 おとぎ話にでも出てきそうな赤いドームの建物は、2代目園長の臼田梅の設計によるもの。 八角形のホールを中心に放射状に8つの部屋を配し、360度全て(の園児)が見渡せるという理にかなったものだそうです。 彼女はF・L・ライト設計の幼稚園の図面を参考に、理想の園舎を作り上げたとも云われています。 北海道帯広市東4条南10丁目 06年05月上旬 ※現役の幼稚園です。 見学の際はご注意ください。 #北海道 « 旧大連自然博物館 | トップ | 民具館 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 F.L.ライト (M夫) 2007-03-08 17:25:30 帝国ホテルを設計した人ですか。スクラッチ・タイルから彼にたどり着きました。関東大震災があった頃の物語ですね。建築の世界で、大きな影響を与えているんですね。 返信する もぐり? (es) 2007-03-08 21:56:01 ライトは近代建築の巨匠の一人と呼ばれていますね。彼の作品を一つも見ていない私は、この世界ではもぐりかもしれません。東京にも明日館という作品が在るのですが、一番見に行きたいのは明治村の旧帝国ホテル。玄関部分のみの移築らしいのですが、ここに行きたくてしょうがありません。すぐ近くの犬山城には2・3度行ってるんですけれど・・・ 返信する 明治村 (ミカエル) 2007-03-09 07:45:39 es 様明治村に行ったのは38年前。旧帝国ホテルは、移築の工事中でした。この幼稚園は、刑務所のような平面で園児の観察・教育には確かに機能的ですね。彼女がこのような先進的考えを取り入れることができたのは、北海道に移住して来た人々の豊かなチャレンジ精神と開放的風土が原因かと思います。帯広は冷え込みが厳しい地域、5月上旬というのに緑が見えませんね。 ミカエル 返信する 明治村 (es) 2007-03-11 11:47:02 そんなに前からあったんですか。ますます行ってみたい気持ちが高まりました。『近代化遺産 ろまん紀行 東日本編』に臼田梅のエピソードが載っていました。彼女は「信念の人」。幼い命を思いやる確固たる教育思想が、今日まで残る園舎を築きあげたのですね。単に可愛らしいだけの建物ではなく、その想いが人々に伝わり、これからも大事にされていく・・・と思うと、胸が熱くなっていきます。十勝の厳しい寒さにも負けない情熱がここにもあったんですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
スクラッチ・タイルから彼にたどり着きました。関東大震災があった頃の物語ですね。建築の世界で、大きな影響を与えているんですね。
彼の作品を一つも見ていない私は、この世界ではもぐりかもしれません。
東京にも明日館という作品が在るのですが、一番見に行きたいのは明治村の旧帝国ホテル。
玄関部分のみの移築らしいのですが、ここに行きたくてしょうがありません。
すぐ近くの犬山城には2・3度行ってるんですけれど・・・
明治村に行ったのは38年前。
旧帝国ホテルは、移築の工事中でした。
この幼稚園は、刑務所のような平面で園児の観察
・教育には確かに機能的ですね。
彼女がこのような先進的考えを取り入れることができたのは、北海道に移住して来た人々の豊かなチャレンジ精神と開放的風土が原因かと思います。
帯広は冷え込みが厳しい地域、5月上旬というのに緑が見えませんね。 ミカエル
『近代化遺産 ろまん紀行 東日本編』に臼田梅のエピソードが載っていました。
彼女は「信念の人」。幼い命を思いやる確固たる教育思想が、今日まで残る園舎を築きあげたのですね。
単に可愛らしいだけの建物ではなく、その想いが人々に伝わり、
これからも大事にされていく・・・と思うと、胸が熱くなっていきます。
十勝の厳しい寒さにも負けない情熱がここにもあったんですね。