司法省・山下啓次郎の設計した五大監獄のひとつ(明治40年築 1907)。 近代的な思想を取り入れ人間の本質と向き合ったこの建物も、「刑務所」という負のイメージからか刑務所移転後も長きに渡り空き家のまま放置され、平成19(2007)年に正門と本館の一部を残してその大部分は解体撤去されました。 長崎県諫早市野中町 09年12月下旬
正門を望む。 奥に見えるトンガリ屋根が本館。
アーチの一部に石を用いた正門。 赤茶に錆びた門扉の奥には今では広大な敷地が広がっています。
両側の出っ張りは門衛所でしょうか。
一部保存とは聞いていましたが、これほど無残な姿でとは想像もしませんでした。
2005年に初めて訪れた時の写真。 夕方の訪問で強烈な逆光になってしまいロクな写真ではありませんが、建物の持つ本来の魅力は垣間見えるかと思います。
かつてはこのような煉瓦塀が敷地を隙間無く取り囲んでいました。
個人的には重文級の建物。 全ては無理として一部分だけでも完全な姿で保存出来ていれば、旧網走監獄のような観光施設にも転用できたはず。 何とも悔やみきれません。
実は本館(事務所棟)の中央部分も先日解体されて残るは正門だけになってしまいました。
あまりにも酷い残し方だったので保存に対して前向きでないのは感じていました。
こうなれば正門の方もどうなるか微妙な所ですね。
何だかやりきれない気持ちでいっぱいです。
タケさんのブログは私も拝見しており、九州訪問の際は参考にさせてもらっていますよ。
文化財の意識は高いと思っていましたが、
長崎市だけの話なのかな。
ましてや山下さんの作品ですからねえ。
明治村への移築の話もなかったのかしら。
煉瓦の建物なんてこの先造られる事は殆ど無いでしょうし、
近代国家を模索する我が国の歴史上の遺産としても簡単に壊す建物ではなかったと強く思います。
本当に只々残念の一語に尽きますね。