坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

弱者救済

2011年09月08日 | 坊主の家計簿
 急に入ったお手伝い。ヒマ~な寺の住職なので「ありがたや、ありがたや」と朝から夕方まで。

 帰宅する。え~。。。微妙にややこしいので書けないが、急に某書類をやらなければならず少しキレる。え~。。。去年はどうしてんや?知らんぞ。今年もどうしてんや?知らんぞ。俺の所にまで届いてなかったぞ、こら。2年分の督促状が来て、かつ、それを隠してた、って、何の話や(笑)ケツ拭かんとアカンのはこっちなんだがなぁ。。。

 と、パパ、不貞腐れる。思わず不良になって「飲みに行ってくる」宣言でもしようかと思ったのだが、飲みに行くのなら明日の方が都合がイイのだが、先日も深酒しまくったので、しばらくは辞めとこ。身体が持たん。
 代わりに寝る。つーか、ママと娘が寝た後、22時ぐらいからそのままリビングで寝てしまう。起きたら24時過ぎで、深夜テレビをボケーと眺めつつ「そろそろ寝ないと」と寝酒中です。

 身体の心配というと何やらお騒がせ武田教授が、またお騒がせ発言をしたらしい。

【武田教授発言、岩手・一関市長「放置できない」 市には抗議疑問視のメール殺到】 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000610-san-soci


 ちなみにご本人も

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【「東北」といっても広いので、安全な野菜もありますが、「東北」を「福島」と言い換えても、福島でも汚染されていない野菜はあります。汚染されているかどうかは、野菜のベクレルを測ってそれが表示されていないとわからないもので、地域、しかも行政区でいうこと自体が間違いですが、それも大人の責任です。子供なら「東北」ぐらいしかわからないでしょうし、外人ならそれが「日本」になるでしょう。

 すくすく育つべき子供が被曝を心配しなければならないのも大人の責任、食材にベクレルを表示しないのも大人の判断、「東北産」、「福島産」などと行政区で区別しているのも大人です。
 
 そこで私は、「大人の不始末は大人で解消したい」と思い、子供からの質問には正面から答えずに、大人に向かって(子供が心配しているから)「東北の野菜は出荷してはいけない」と言いました。もし食材にすべてベクレルが表示されていたら、「10ベクレル以下なら大丈夫ですよ」と答えることができたのですが。】
 (http://takedanet.com/2011/09/post_5075.html

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 と、苦しいながらも弁明をしてはる。え~。。。少し無理がある気もするのだが。。。
 
 問題になっている『たかじんのそこまで言って委員会』というのは、関西ローカルの気分だったら、結構多くの地域に放送されているらしいのだが、基本は『大阪ノリ』のバラエティー番組である。バラエティー番組なのだが、朝生ばりに問題をやったりもする。ただ、ノリはバラエティーのお笑い番組である。真面目な話の中で必ず笑いを放り込んで行く番組である。問題になった放送分は忙しかったので見てないが、まあ、武田教授は番組とは古くからの付き合い。武田教授がテレビに出だした地球温暖化ぐらいからの付き合いなのかな?地球温暖化の時に「あんなもんは嘘です」とか、「ゴミの分別に意味はない」とか、過激な発言を連発していたのを思い出すのだが。なので、武田教授も慣れ親しんだ気軽さでの発言だったと思うのだが。

 という事で、番組チェック




 え~。。。武田教授、自分のギャグを否定されたのかムキになっている(笑)

 問題だったのは、元暴走族元教師が指摘している『言い方』が一番問題だったのだろう。実際に抗議が来たわけなんだし。
 でも、「おお!元暴走族元教師真面目やんけ。。。」なんだが、え~。。。あれがあの番組での武田教授の芸風なんだが(笑)え?それで済ませたらアカンか(笑)
 まあ、『場』のムードもあって、多くの人達の不安を煽って風評被害を拡大させてしまった事に対する謝罪で済む話だと思ったりもする。つーか、「お!武田教授がまた(笑)」だったりもするのだが。

 でも、それは一関市長には当然納得出来る話ではない。「大阪のノリ?知らんがな」だったりするのだろう。まあ、大阪弁ではないと思うが。

 このコーナーでは『感情』の話も出ていた。
 誰かが「言い方が悪くても内容が正しければ」なんぞと言っていたが、言い方が悪ければそれは別の面で『害』である。だから、一関市長が抗議した。
 逆の立場からならば、「説明方法が不味かった」という事で政府に対する不信に繋がっているわけなんだし。そら、集団ヒステリー状態にもなりまっせ。

 犠牲。非常にイヤな言葉だが、犠牲。犠牲がなければ生きて行けない。生き物の死骸を食べてしか生きて行けない。犠牲なくしては生きて行けない。そんな生活実体がある。
 でも、そういう中で、大義名分の中で犠牲を正当化する。例えば「国家全体のエネルギー問題を考えると、原発立地の方々には犠牲(不安)になって貰わなければならない」でも。「シロクマには犠牲になって貰わなければならない」でも。「国家全体の放射能汚染を考えると福島県には犠牲になって貰って廃棄物を県外に持ち出さないようにして貰わないと」でも。

 
   食わずには生きてゆけない。
   メシを    野菜を
   肉を     空気を
   光を     水を
   親を     きょうだいを
   師を     金もこころも
   食わずには生きてこれなかった。
   ふくれた腹をかかえ
   口をぬぐえば
   台所に散らばっている
   にんじんのしっぽ
   鳥の骨
   父のはらわた
   四十の日暮れ
   私の目にはじめてあふれる獣の涙
   (石垣りん『くらし』)


 と、まあ、非常に散漫な(いつもか)ブログを書いているのだが、やっぱり

 『人間はナマモノだ』(byハッピー幸子)

 という言葉を思い出す。
 今日の私は「忙しいのに」「疲れているのに」と大義名分を出すが、まあ、御機嫌ナナメの精神的余裕がなかったので、キレたわけでんな。非常に解り易い。そんなもんだったりする。

 この国、え~。。。『この列島』とした方がエエかな?まあ、なんじゃかんじゃで、『この列島』あるいは『この国』に住んでいる多くの人は、日頃のストレスにプラスして放射能汚染のストレスが加わった。

 今週のテレビ録画をしようとしてて初めて気が付いたのだが、今度の9月11日は『9.11』の10周年になるらしい。陰謀説は信じないが、それでもアメリカが集団ヒステリー状態になった9.11。
 じゃ、3.11ってどうなのよ。
 足すと「おお!マヤ暦での滅亡の日に!」というのはナシね(笑)別にエエけど。

 『弱者救済』なんぞというタイトルにしてみたりする。え~。。。勘違いで思わずクイックするかも知らんが、それはごめんなさい。

 私の弱さを通じて、色んな弱さに思いを馳せるしかない。『弱い自分』を自己肯定をしようとするならば、同じ弱さをも肯定しなければならない。色々な人が、色々な生活の現場で、弱く、生きざるを得ない。