坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

かけがえない存在

2011年09月16日 | 坊主の家計簿
 昼間にツタヤへ行く。『レンタル4本1000円(新作2本までOK)』という事だったので。
 久々のツタヤはナカナカ楽しい。「お!こんな映画もあるねんや」とか、多くのテーマに想いを馳せつつ店内ウロウロ。え~。。。カード忘れてやんの(笑)一度帰宅してからレンタル。
 
 ツタヤでウロウロし過ぎたので「DVDを観る前に事務作業しないと」という事で、事務作業。永代経法要の案内作り。
 案内は簡単に出来るのだが、テーマで迷った。一応、案内には何かの言葉を書くのだが、読むだけで脳味噌が痛くなる難しい言葉はイヤだし。
 で、結構迷って、今年のテーマは


  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)


 という事で。
 この言葉と、先祖供養について来月の寺の通信に書けば通信作りも楽である。

 案内作りが終わって少し仮眠しようと思ったのだが、失敗。昨日もなんだがリビングで晩御飯を食べて爆睡。起きてDVDを観ようかと思ったのだが、見終わった後から飲み始めると二日酔い決定なので、ネットで遊ぶ。書きたい事もあったし。

 昨日に引き続き『奇形児』。

 池田香代子という人が居る。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/池田香代子

 ツイッターでどういう経由で知ったのか憶えていないが、ん?ソウルフラワーからだったかな?『歌う運動家』の渾名を持つ中川率いるソウルフラワー。まあ、イイや。

 池田香代子は、まあ、運動家。なのでツイッターを読んでても一貫として反原発の立場からしっかりとした意見を流していて下さった。
 『運動家』なので、反原発もやるが、反原発だけではない。なので、最近は放射能汚染で「奇形児が産まれるぞ!」と、『奇形児』に対する差別にも明確に反対して居られる。
 どうでもエエのだが、反原発のジャンヌ・ダルクは池田香代子ではないのか?まあ、『世界○○のジャンヌ・ダルク認定委員会』の年齢制限に引っかかる気もするし、それ以前に『○○のジャンヌ・ダルク』というのは、『オンナコドモ』に対する差別意識なんだが。
 まあ、『オンナコドモ』抜きにして、今現在の日本で一番しっかりとした反原発に関する意見をツイッター上で流している人だと思う。
 当然、『反原発だけ』ではない。この辺は池田香代子と意見が違うのかも知れないが、『女性差別だけ』を問題にする事が、その土地に居ている人達に対する差別になっている場合もある。あ、源淳子は洞川温泉の人達に「台風での被害、大丈夫でしたか?」という電話の一本でも入れたのかな?まあ、別に入れてなくてもイイのだが、心配する気持ちぐらいあってもエエと思うぞ。仮に『敵』であっても。
 一応、大した被害はなかったらしい。(http://www.dorogawaonsen.jp/?itemid=83

 あ、で、

【「推進派はやらせメールとかさんざんズルしてるけど、だからって反原発派もズルしていいってことにはならないというのが、僕の『チェルノブイリ・ハート』への感想なんだけどね」(鎌田實さんきのう電話で)】
 (http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/110557675758174209

 という池田香代子の呟き(ツイッター)。

 まあ、鎌田實(http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌田實)も池田香代子も、一部の反原発の人からは『御用学者』に似たレッテルを貼られているのかも知れないが(笑)ひょっとすると『原発マフィアの一員』で『原発推進派』のレッテルを貼られているのかも知れない(笑)

 『奇形児』は成長すると『障害者』と呼ばれたりもする。まあ、『障害者』『障碍者』というのは、もっと大きな枠組みなのかも知らんが。
 『障害者』の親の気持ち、本人の気持ち、当然、多々、様々な、一人一人の意見は違うが、まあ、諸々の付き合いもあったりする。
 で、こういう差別の問題は生身で生きている人が居ているので、非常にデリケートな問題だったりする。何の差別に対してもそうなのだが。

 ちなみに『天皇』だって差別されている。『差別』は上下の問題であって、松本治一郎が『貴族あればあり』なんぞと。『健常者』が居ているから『障害者』が居ているわけでんな。なので、昨日引用した

【死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。】
http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110422

 という言葉は、まあ、差別発言なのだ。ただ、『気持ち』の問題、例えば、「女だから素晴らしい」「障害者だから素晴らしい」というのは、癒しにはなる。癒しからの力にはなる。だから、実際に『奇形児』を産んだ親に対しての『仮(方便)』としての言葉ならば『死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。』という言葉は輝きを持つ言葉だが、同時に危ない。基本は差別意識だし、選民思想である。『誰もが等しく平等である』というのが基本でないと危ない。ただ、現状は平等でない社会(娑婆)なので、平等(浄土)に向けて社会(娑婆)を歩んで行くだけの話である。平等の世界(浄土)には『障害者だから劣っている』だとか『女だから劣っている』という概念はない。
 誰もが平等であるならば、当然、『天皇』と呼ばれる人が特別な存在であるわけもない。

 え~。。。リビング爆睡後なので、非常にダラダラと書いています。ようやく本題(笑)

 今日、面白いホームページを発見した。その中で「おお!」という情報。

【先天異常(奇形とか代謝等の機能異常)を持って生まれてくる新生児は100人中4人とされています。2年前は500人に1人とされていた日本の統計ですが、3年経っただけで増加しました。女性出産率が低下している中、増加って、、? 何故ならば、前のページにURLを貼り付けた約9000の症例中、日本で判断していなかった事例について、改めて追加されたからです。】(http://www.geocities.jp/musume2go/2006kakuritu.html

 書かれた御本人はどうやら専門の医師ではなさそうだが、御自身が『奇形児』と呼ばれていたらしい。

 http://musume2go.at.webry.info/200509/article_1.html
 http://www.geocities.jp/musume2go/kikeiji.html

 この数字のトリックって、凄いなぁ~、と。データーの元になる事を無始すれば、日本は2年間で爆発的に増えた事になる。データー上では。そのデーターだけを使って色んな妄想も出来る。まあ、実際は判断基準が厳しくなっただけらしいのだが。

 『健康』に対する意識が強くなれば病気は増える。メタボって何?(笑)
 『健全』に対する意識が強気なれば『不良』は増える。『引き蘢り』を追い込む。

 放射能汚染と『奇形児』の関係は証明されていない。ただ、不安にならざるを得ない状況下での『奇形児』の%は増えているのかも知れない。戦争や原発事故等も含めて。不安にならざるを得ない状況下なんだろうし、生活も乱れざるを得ない→母体環境が悪い。
 一部の反原発の人達の中で「放射能汚染で奇形児が増える!」と、『奇形児』を問題にするのならば、不確かな情報でもって妊婦を不安に追い込む事は『奇形児』が増える事にならないか?それとも、『奇形児』は『放射能汚染だけ』で産まれると思っているのか?一体、何が心配なのだ?『奇形児』が産まれてくる事が心配なのか?そうとは思えないのだが。
 単に、自分が放射能汚染が不安で不安でたまらなくて、それを『奇形児』に結びつけているだけの話ではないのか?結びつけて『奇形児』に対する差別を助長しているだけの話ではないのか?
 あるいは、運動の中で『奇形児』を利用しているだけの話ではないのか?

 『役に立つ』『役に立たない』とは、『世の中』の話。
 そうではなく

  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)

 という観点は大事なのではないのか?
 『御先祖』も含めた、様々な『御縁』。