坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

私の慈悲に始終なし

2011年09月02日 | 坊主の家計簿
 強風域が近づいて来ているのか、入ったのか知らないが、結構な風。一応軽くだけ台風対策をしたのだが、明日、もう少ししっかりとやっとこ。関西、直撃っぽいし。

 ここ数日、夜のうたた寝の日々が続いている。今日もテレビ観ててそのまま寝て、目覚めたら0時過ぎ。深夜テレビを観たり、録画していたのを観たりしつつ、ボンヤリと、ヌボ~っとしてます。

 台風の影響でイルカ漁が取り止めになったらしい。

 【太地のイルカ漁解禁 台風で見合わせ 県警は活動家警戒】
 http://www.asahi.com/national/update/0901/OSK201109010064.html

 夕方のテレビニュースでもやっていたのだが、何やら「供養に来た」らしい。
 イルカ漁の為にイルカを殺す人と、それに反対する人も、『供養』という一点では連帯出来る気がするのだが。でも、まあ、双方感情的になっていると思われるので、実質的には不可能かも知れないが、あくまでも『他所者』の意見としては素朴の思ったりする。
 いっその事、太地町主催の『イルカ&鯨供養』をして、近くの神主なり、坊主に来て貰って供養する。そして、「それは政教分離に反している!」と、デモが起ったりして、より一層ややこしくなったりする。。。あ、(笑)
 まあ、漁協の人たちと、反対派の人たちが連絡を取り合って「今年の供養、どうしまっか?」と、南紀の言葉使いは知らんから適当に書いて居るが、そういう風に連絡を取り合う、っちゅうのもエエ話だと思ったりもするのだが。

 何やら、今日、9月1日は防災の日だったらしい。大阪の学校でも避難訓練をしているシーンがテレビニュースでやっていたのだが、そういえば、夏休み終了早々に避難訓練的なものをやった記憶もあったりする。確か、手をつないの避難訓練で異性を意識しだすお年頃だし、手をつなぐ事が照れくさかった記憶がある。

 あ、『おしゃべり回想法』(http://vows.jp/memories.html
 関心があられる方向けに御紹介。
 私はよく行くバーで「オッチャンは昔なぁ~」と、見事なまでの『鬱陶しい中年オヤジ』になりつつ、昔話をよくしているので、今の所は必要ないのだが、それこそ『昔話を喋りたいけど場がない』とか、『他の人の昔話も聞きたい』なんぞの、え~。。。非常に誤解を生む表現方法なんだが、『交霊』を求めるならば必要な場だし、まあ、飲み屋で隣に座った中年オヤジが「オッチャンはなぁ~」と話かけて来るというのは、そういうのを求めているわけでんな。
 「ちょっと○○かけてえや」なんぞと曲をリクエストしたりするのも。音楽は『その時』を思い出すし。
 仏事で久々に会った時とかでもそうだし、旧友との再会でもそうだし。「1人ではなかった」というのは大事な事。釜ヶ崎とか、独居老人でも同じなんだろうけど。

 あ、ヌボ~っとしているので話が。。。つーか、いつもの事か。

 9月1日は防災の日。3月11日は何の日になるのだろうか?
 『大津波の日』『原発事故の日』。

 まあ、別に政府が定めた日でなくとも、それぞれにとって意味合い深い日。きっと、来年の3月11日には、つーか、来年からの3月11日には、政府がやるのか、『○○の日』と定めるのかは別にして、きっと多くの集会があるのだろう。
 大津波の大災害に関しては、意見が別れる事はないのだろうが、まあ、『津波推進派』『津波反対派』なんぞと別れる事はないのだろうが、原発事故に関しては意見が別れる。

 今日、ツイッターをチラホラ眺めていたら、何やらイギリスの『インディペンデント』という雑誌(新聞?)か何かで『福島原発事故による死者は今後100万人超になる』とかいう情報が流れて来た。リンク先は英文なので読めない。でも、まあ、政府や福島近辺の自治体が何もしなければ最悪、それぐらいになってもおかしくはないのかも知れないが、別に何もしていないわけでもない。また、民間でも。私は何もしていないが。自分が読めない不確かな情報を流すのはイヤなので、そのまま放置。
 夜のなって日本語訳の情報が入る。

 http://sorakuma.com/2011/09/01/3131

 もう一度書いておくが、私は英語が一切出来ない。これは中学1年生の時、最初の英語のテストで四本線だったかな?まあ、そこに「アルファベットをA~Zまで順番に書け」という問題があって、その時に『書く線の所を間違えた』というだけで0点にしやがったので、それから「英語はやらん」と決めたのだ(笑)
 なので、英語は素晴らしく解らない。いまだに『レフト』と『ライト』の違いも解らない。「金本って、どっちや?」レベルである。なので、上記引用のリンクの日本語訳が『正しい』のかどうかは知らない。知らないが、日本語訳の情報を流してくれたのは、『反原発過激派』の人であって、かなり怪しい、デマも含めた情報を流してくれる人なので、まあ、多少は信頼する。
 また、別の『反原発過激派』の人(すいません、レッテル貼り、大好きです)からの情報では『英アルスター大教授が指摘 』とある。
 すると、日本語訳で該当するのは

【お騒がせで有名な英アルスター大学のクリス・バズビー教授は、先月日本を訪れていた折、この災害により、100万人以上もの人々が死ぬことになると発言して物議を醸しています。】(上記リンクより)

 になる。
 『お騒がせで有名』って何や(笑)

 今現在、福島原発事故で『被曝』による死者は出ていない。
 急性白血病での死者

 急性白血病で福島原発作業員死亡 東電「因果関係なし」
 http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY201108300454.html

 に関しては、

【今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?】
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/touch/20110830#p1

 という意見がある。
 東電や政府が本当に事実隠蔽したければ死因や情報自体をを隠すはずである。死因を誤摩化す方法もある。けど、それはしていないみたいだ。
 この件で労災申請するならば、『被曝』ではなく、『真夏の防護服や被曝の怖れのある過酷な労働条件』でやった方がイイと思う。クソ暑い時期に、被曝の怖れのある労働は過酷そのものであり、白血病だけでなく他の病気に対する危険性もある。
 上記リンクにも書かれているように

【数年後から十数年後には、今回とは違って、本当の「因果関係は不明」という事例が発生します。それまで、今の気持ちを忘れないようにしましょう。たとえば、3年後に、原発作業員からの白血病の発症が報道されたとして、現在ほどの関心を呼ぶでしょうか。東電批判が流行に終わらないことを願っています。】

 という事が私も大事だと思う。

 私は『反原発穏健派』である。え~。。。『反原発』と『脱原発』と区別がついているわけでもないのですが、まあ、適当に。
 
 ツイッターというのは、『ネット検索』と違って、より『生の声』を調べる&情報収集には非常に適している。しかも「ヌボ~」と、しながら、布団で横になったり、リビングで横になったりしながらiPhoneでも見れるし。まあ、私の場合なんだが。
 私の主な情報源(フォロー)の中には原発事故、それにともなう放射能汚染に関して過激な反対意見を言う人もいれば、原発を推進して行こうという人の意見もある。しかしながら、その両方共、『原発事故は問題であった』という点では変わらない。その中には私のように『反原発穏健派』も居ているのだろうし、まあ、色々。私のツイッターでの主な情報源(フォロー)の中の『過激な放射能安全派』(神戸大学理学博士 放射線従事者10年程経験)であっても、原発事故早々に

【メルトダウンで、水蒸気爆発、放射性物質拡散の恐れがあるので、最悪の事態を考えて、水を貯めてください。もし爆発が起こったら、外に出ないでください。雨などを被った恐れがある場合は、水をかぶってください。外出時は肌露出せず、体内に放射性物質が入らないようにマスクなどを。】(http://twitter.com/#!/iina_kobe/status/46538796535263232

 と言っていたりする。
 え~。。。一部では非常に評判が悪い人なのだが(笑)

 え~。。。ヌボ~♪変わらず長文のダラダラした文章。
 
 イルカ&クジラ漁に『向き合っている人』の中での意見の相違。でも、『供養』という一点では同じではないのか?
 また、原発事故に関しても、『原発事故は問題』という一点では同じなのではないのか?
 故に『議論出来る場』自体が、共同作業になっていたりもする。
 全くの対立状況の中でも構わないが、それは『対立出来る』という関係性があるからこその話。その『関係性』『場』を忘却すると排除にしかならない。『敵』にしかならない。そして、身内を固め、敵に対する妄想を深める事にしかならない。
 そうではなく、『共に同じ問題を別の角度から見ている』でもエエし、『同じ場』での議論をしている『仲間』である、『敵』ではなる『仲間』である、という原点を見つめるという事は大事なのではないのか?『仲間』という言葉がイヤなら、『喧嘩友達』でもなんでもエエ。

 当然、太地町の漁師さんや、『捕鯨反対派』にとっては「顔を見るのもイヤ」なんだろう、そら。でも、その『対立』も「対立出来ている」という関係性の『場』があっての事。
 対立は当然、数年で終わるわけもない。ただ、それが数十年になった時に、例えば太地町の漁師さんが「おい、あの毎年来てたオッサン今年はどうしてん?え?死んだのか?え~。。。線香でも立てに行きたいけど無理やから、ちょっとウチの仏壇に手を合わすわ」とか、捕鯨反対派が「あの漁師さんはどうしたのですか?え?亡くなられたのですか?なら、少しここでお祈りさせて下さい」とか。
 なんか、そういうのがエエな。


【「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」】(山本周五郎)

 という言葉に『縁起(相互関係存在)』という言葉を含める。
 「あいつは許すけど、あいつは許さん」。
 それは感情。娑婆の世界。私の限界。
 私の限界は相手のせいではない。あくまでも私の限界。それを肯定してしまう「あいつは○○だから」という大義名分。