坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

凡夫を忘れた平和運動

2007年10月11日 | 坊主の家計簿
 10月11日

 雑費  カルシウム錠      660円
     ヤニ落とし歯ブラシ   248円
 食類  タコ&サーモン     100円
     キビナゴ&貝      100円
     豆腐(昨日)      120円
     発泡酒         175円
     しそニンニク      178円
     豚バラ         326円
     キムチ          88円
     おにぎり         30円

 合計             2025円
 10月累計         39781円

 今日も喉の調子が良くない。
 ついでに鼻水が。。。
 咳は出てないが、胃に来始めているので、少し用心やな。

 お参り先に『青年団長』の小さな幕があった。思わず興奮して「息子さん、青年団長ですか!」と。そうなのだ、違う町なんだが、その家の息子さんは青年団長なのだ。あ、当然、だんじりのね。
 青年団とはだんじりのエンジンである。エンジンの中心である。よって、その町では7月から祭まで毎日仕事が終わった後に『走り込む』→『会合』なのだ。あ、祭り囃子の人達も当然、毎日練習でんな。
 そうなのである。この辺りは『だんじり』なのだ。多くの人にとって人生の中心はだんじりなのだ。素晴らしい。当然、飲み屋なんぞにもだんじりのカレンダーが飾ってある。だんじりグッズも置いている店もある。素晴らしい。
 当然、だんじりには怪我が絶えない。基本的に無理な事をしているわけやし。あんなデッカイ木の塊を全速力で走りながら曵いてコーナーを曲がる、人力で曲がる、っちゅう事は「そら、ムチャでっせ」なんだが、だから面白いのだろう。
 その花形が青年団長である。大工方(屋根の上で踊る人)もエエけど、やはり青年団長であろう。まあ、双璧なんだろうけど、最近は祭をよく知って来たので青年団長だと云いたい。
 そしてスターである。知人住職が元青年団長だと聞いてから、私はその人を見る目が変わったし。それはボクシングが好きな人にとって『元日本チャンピオン』と出会った感動に似ているかも知れない。
 あ、亀田君、残念でした。もっと経験を踏んでからもう一度チャレンジしましょう。ランキング的にも無理があったマッチメイクやったな。

 で、青年団長にとっては、いや、だんじり人にとってはだんじりが人生のメインである。
 それは熱心な仏教徒が毎日の勤行&聞法、熱心に勉強し、仲間達と仏教について語り合う事が何よりも好きな事と同じく、だんじり人にとっては走り込みや会合、そして祭が何よりも楽しみであり、毎日、毎日、年がら年中、だんじりのビデオを観る人がかなり多く居る。
 平和である。

 「何を云ってるんですか?日本は確かに平和かも知れませんが、世界中では多くの戦乱があるのですよ。それを放っておいていいのですか?」
 と云う趣味の人も居る。そういう生き方を好む人が居る。
 多くの集会に出席して、多くの仲間達と語らい、毎日毎日、年がら年中、世界情勢について考え、思索し、勉強して居られる方々も居られる。
 平和である。生き方が違うだけの話である。
 そんな平和な日常はエエもんや。
 憲法9条の問題も、そんな所からでもエエのんと違うんけ?

 『悪の枢軸国』『テロ支援国家』なんぞと云うが、逆の立場で見たら日本はどないなりまんねん。アメリカと云う地球最大のテロ国家の支援国家が日本ではないのか?で、戦争出来る国になったら『悪の枢軸国』になる。
 逆の立場からしたら、当然、テロの対象になる。『悪の枢軸国』なんだから(笑)

 すぐに『虐げられた人達』を使う。イラクに攻めに行った時もそんな事を云ってなかったっけ?クルド人なり、イスラム社会の女性なり。
 で、イラクはどうなっているのでしょうか?

 民主化と云う。それを絶対化してしまう。その民主化の視点から「あの国は民主化されていない」等と云う。
 当然、相互批判は大事である。批判しあえばイイ。
 ただ、その批判する根拠が所詮『自分達のエゴ』であるくらいは確認しておいた方がイイ。
 軍事政権ですら、まず認める事が『民主化』ではないのか?それがなきゃ『民主化』と云う名前のファシズムではないのか?自分のエゴを押し付けているだけではないのか?
 だから『遅れている』『進んでいる』なんぞと云う『差異』を認めない発言が出来るわけであって、単なる偏見だろうが。

 尊敬、尊重されたら誰だって嬉しいのではないのか?と感じる。

 A「世間の人達は私(達)の事を『酷いヤツ(等)だ』等と云いますが、あなた(達)は違うのですか?何故、あなた(達)は私(達)を尊敬して呉れるのですか?一体、あなた(達)はどういう思想に基づいて生きて居られるのですか?」
 B「私(達)は、民主主義を大事にしています。ですから私(達)にとって、あなた(達)を決して軽蔑出来る論理がないのです。それが私(達)の民主主義です。」

 民主主義や、民主化を大事にしながらも、すぐに左翼は『敵』を軽蔑する。
 人権を大事にして、反差別運動をしている人達も、すぐに『敵』を軽蔑する。
 それが衆生、煩悩に執着する『人間』であって、それが人間である。
 民主化を求めるのなら、民主化に同調しない人達を蔑視して居た事に対して謝罪すべきであり、その事が民主化の証明である。
 人権、反差別運動なら、『敵』を『敵』として間化していた事に対して謝罪すべきである。それが人権、非差別の論理ではないのか。
 それが『光』ではないのか?
 それがなければ単なる『力関係』でしかない。圧力の問題、力の強弱の問題でしかなく、そんな事では決して『解決出来て居ない』から今日があるのではないのか?


【吾々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間をいたはる事が何であるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 はかくして生まれた。
 人の世に熱あれ人間に光あれ】(宣言より)


 風邪気味やねんし、早よ寝ろ、っちゅうねん。。。

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