5月15日
外食 かき揚げポパイ蕎麦 452円
半チャンラーメン 690円
雑費 タバコ 300円
のど飴 100円
よなよなエール6 1620円
タンガ・クラブ 500円
プカプカ 1500円
ドグラマグラ 1400円
漫画喫茶 1700円
合計 8262円
5月累計 57625円
じゃん。
次の日が休みだったので仕事が終わった後に飲みに行く。う~。。。週末のビールは特に美味いのぉ。。。
一件目に選んだのは『タンガ・クラブ』
ブログが出来たらしいからアドレスを貼りますが、Macブラウザのサファリでは落ちます。御注意下さい。
http://thangka.cocolog-nifty.com/blog/
ここは仏教コミュニティースペース。だから『バー』ではない。坊主バーの後継店でもあるのだろうが、『バー』ではない。まあ、なんちゅうんですか?『仏教』という目的で様々な人が集まって来る『場』。だから、入る時に500円払って、自分が持ち込んだ酒を飲む。店にある酒はカンパを払えば飲んでもエエらしい。
まあ、坊主バーよりもより一層『寺』に近づいた感じかな?寺に遊びに行く時に酒とか持って行きますやん。で、持ち寄った酒でみんなでわいわいガヤガヤしまんがな。あれでっせ、あれ。
店に坊主バーに置いてあった仏像があったのだが、顔に落書きされていた。何やらタンガクラブに来る前から落書きされていたらしい。
まあ、これが閉店まで数年の坊主バーの象徴やろな。仏像が置いてあった場所から考えるに誰が落書きしたのか知らんが、まあ、店のスタッフが関与しなければ落書き出来ない場所にあった。店のスタッフは落書きを承諾したわけでんな。どんな坊主バーやねん(笑)。仏教話しが出来ないだけでなく、仏像にまで落書きするか。そりゃ、潰れて正解やったな。潰れて良かった。宗教とか、信仰とかに対する礼儀も最低なら、客商売としても最低だったし、まあ、『坊主バー』という看板がなければとっくの昔に潰れていたのだろうが、最後は仏像にまで落書きするか。ちょっと、人生をナメ過ぎやな。
新しい店はそんな事は当然ない。キチンと人間を大切にしはる方がやられておられるので、安心して行ってみて下さい。
タンガクラブのマスター(?)とは一緒に仏教を学ぶ仲間でもあるのだが、それ程詳しくない。だが、オープニングパーティーの時に私が仏事について喋って居たら、マスターと同じ会社の方が、「まさに○○(マスター)の理念にピッタリやな」と笑ってはった。この日はじっくりと喋る事が出来て、多分、仏事に対する認識がかなり近い事を確認出来た。
あ、『仏事』とは解りやすくいうと『葬儀』とか『法事』とかの事ね。それを包括して『寺社会』といってもエエかもしれんが。
よって、特に現状の寺社会に対する問題意識を抱えておられる方々には特にお勧めである。多分、ここから日本の仏事が変わっていける気がする。
『三方よし』。つまり、『売り手よし、買い手よし、世間よし』の近江商人のお商売の基本概念。
『売り手』つまり『寺』『僧侶』側にも問題意識を抱えて居られる方々が多くいるだろうし、『買い手』、つまり『檀家』側にも問題意識を抱えている人達が多く居られるであろう。その互いの問題意識を議論し合い、つまり『仏事』とはなにか?と云う事を根本から問い直して行く作業は結果『世間よし』、つまり日本の仏教界にとってかなり貴重な事であると思う。
仏事は『しきたり』でなく、宗教行為なのだ。自覚的な信仰なのだ。
タンガクラブのマスター(?)には個人的経験から来る強烈な問題意識と、実行力がある。
多分、遠方からでも来る価値はある。と思う。
まあ、単なる仏教コミュニティーサロンだから、気楽に行ってもエエのかも知らんが、よく知らん。
とにかくお勧め。
外食 かき揚げポパイ蕎麦 452円
半チャンラーメン 690円
雑費 タバコ 300円
のど飴 100円
よなよなエール6 1620円
タンガ・クラブ 500円
プカプカ 1500円
ドグラマグラ 1400円
漫画喫茶 1700円
合計 8262円
5月累計 57625円
じゃん。
次の日が休みだったので仕事が終わった後に飲みに行く。う~。。。週末のビールは特に美味いのぉ。。。
一件目に選んだのは『タンガ・クラブ』
ブログが出来たらしいからアドレスを貼りますが、Macブラウザのサファリでは落ちます。御注意下さい。
http://thangka.cocolog-nifty.com/blog/
ここは仏教コミュニティースペース。だから『バー』ではない。坊主バーの後継店でもあるのだろうが、『バー』ではない。まあ、なんちゅうんですか?『仏教』という目的で様々な人が集まって来る『場』。だから、入る時に500円払って、自分が持ち込んだ酒を飲む。店にある酒はカンパを払えば飲んでもエエらしい。
まあ、坊主バーよりもより一層『寺』に近づいた感じかな?寺に遊びに行く時に酒とか持って行きますやん。で、持ち寄った酒でみんなでわいわいガヤガヤしまんがな。あれでっせ、あれ。
店に坊主バーに置いてあった仏像があったのだが、顔に落書きされていた。何やらタンガクラブに来る前から落書きされていたらしい。
まあ、これが閉店まで数年の坊主バーの象徴やろな。仏像が置いてあった場所から考えるに誰が落書きしたのか知らんが、まあ、店のスタッフが関与しなければ落書き出来ない場所にあった。店のスタッフは落書きを承諾したわけでんな。どんな坊主バーやねん(笑)。仏教話しが出来ないだけでなく、仏像にまで落書きするか。そりゃ、潰れて正解やったな。潰れて良かった。宗教とか、信仰とかに対する礼儀も最低なら、客商売としても最低だったし、まあ、『坊主バー』という看板がなければとっくの昔に潰れていたのだろうが、最後は仏像にまで落書きするか。ちょっと、人生をナメ過ぎやな。
新しい店はそんな事は当然ない。キチンと人間を大切にしはる方がやられておられるので、安心して行ってみて下さい。
タンガクラブのマスター(?)とは一緒に仏教を学ぶ仲間でもあるのだが、それ程詳しくない。だが、オープニングパーティーの時に私が仏事について喋って居たら、マスターと同じ会社の方が、「まさに○○(マスター)の理念にピッタリやな」と笑ってはった。この日はじっくりと喋る事が出来て、多分、仏事に対する認識がかなり近い事を確認出来た。
あ、『仏事』とは解りやすくいうと『葬儀』とか『法事』とかの事ね。それを包括して『寺社会』といってもエエかもしれんが。
よって、特に現状の寺社会に対する問題意識を抱えておられる方々には特にお勧めである。多分、ここから日本の仏事が変わっていける気がする。
『三方よし』。つまり、『売り手よし、買い手よし、世間よし』の近江商人のお商売の基本概念。
『売り手』つまり『寺』『僧侶』側にも問題意識を抱えて居られる方々が多くいるだろうし、『買い手』、つまり『檀家』側にも問題意識を抱えている人達が多く居られるであろう。その互いの問題意識を議論し合い、つまり『仏事』とはなにか?と云う事を根本から問い直して行く作業は結果『世間よし』、つまり日本の仏教界にとってかなり貴重な事であると思う。
仏事は『しきたり』でなく、宗教行為なのだ。自覚的な信仰なのだ。
タンガクラブのマスター(?)には個人的経験から来る強烈な問題意識と、実行力がある。
多分、遠方からでも来る価値はある。と思う。
まあ、単なる仏教コミュニティーサロンだから、気楽に行ってもエエのかも知らんが、よく知らん。
とにかくお勧め。
私には解りません。直接云われたわけではありませんから。ですが、そういう言葉をかけられて嬉しいだろうと云う事は想像出来ます。
ですが、それと坊主バーとどういう関係があるのでしょうか?
ただ単に個人同士の人間関係の話です。人間関係の中で貴重な出会いがあり、その相手が坊主バーのバーテンだった。ですが、それが坊主バーのコンセプトと関係あるのでしょうか?gで面倒をみて貰っていた人もいますよ。gで「しんどかったら寝といてエエで」と云われて、それが嬉しかったのでしょう、私に伝えた人も居ますよ。
個々のバーテンさんが、個々の人間として、あるいはバーテンとしてそういう出会いをする事はよくある事です。ただ、体験した人には掛け買いのない大切な想い出です。
ですから、歴代のバーテンが入れ替わるたびにややこしい問題も起ってきます。当然、私がそれに関与した事もあります。
私は当然、店の現場に居てた人間ですので、そういう事もよく解ります。ですが、現場『だけ』を大事にして、店のコンセプト、新しいお客さんが『坊主バー』を目指してやって来た時に、その期待を裏切る、そのお客さんが来られた目的を果たす事が出来ない事はあってはなりません。
ですから、寺娘は『坊主バー』でなく、『飲み屋』がやりたかったのだと思います。ですが、それは勘違いであって、『ヨソの店でやれ』ですね。
>最後がこれかよ。
あのぉ。。。仕事してる人が多いと思うのですが。。。当然、私も仕事でしたし。ですから、前もってある程度の片付けをしないと「絶対に無理」と言いましたし。基本、一人で片付けるつもりでしたから。ですが、まあ、「持って行くものだけを運び出して、後は置いて行く」と云われましたし、荷物の搬出時間は私は働いていましたし、それを誇られても。。。
まあ、その誇りが他の常連さん達とのトラブルの原因になっているのかな?よく知りませんが。
>うちはビハーラ僧を目指します。
ビハーラ僧と云いますが、先に回答を言ったらダメなのでしょうが、答えはないですよ。人は千差万別ですから。
ただ、基本は人を粗末にしないと云う事だと私は思います。別にビハーラ僧って珍しいものでもなんでもなく、多くの僧侶が日々の
生活でやっている事ですから。2年間講座を受けて再確認しましたし。
ですから、どうなのでしょうか?
例えば、新たな出会いを求めて来た人を『坊主バー』を目指してやって来た人に対してセーラー服を着た寺娘が出て来たら、それだけで拒否反応を起す人もいます。また、『坊主がいない坊主バー』とは余りにも無礼です。『居ない時もある』のではなく、『そういう人が来たら電話で連絡して』とはかなりおかしな話です。
また、
>最後がこれかよ。
も、同じですね。余りにも独りよがりが過ぎてますね。自分勝手過ぎます。
最後を手伝ったのは自分の意志でしょ?自分の意思で手伝っていたにも関わらず
>最後がこれかよ。
とは、おかしな話です。「やりたいから、やった」だけでイイんじゃないですか?
その辺で傲慢さがみえます。その傲慢さを押し付けられる筋合いは誰にもありません。
>うちに「死ね」と言うのなら、直接言ってください。
云いたい事があって人に伝えているにも関わらず
>思った事を口に出すのは、私も同じなので、自分じゃケンカしたくないのに、相手が勘違いすることがあります。
とはおかしな話です。相手の勘違いなどは当り前の事です。それがイヤなら死ねばイイだけの話じゃないんですか?もしくは最初から意見を云わないとか。
>寺娘ともめたのも、ネット掲示板だったからでしょうね。
さあ。。。寺娘をネット掲示板でもめた記憶はありませんが。。。寺娘の肩を持つ人とは揉めた記憶がありますが。。。まあ、寺娘にも、その人にも、面と向き合ってかなりキツい事を云いましたが。ネットは誰が見てるか解らないので抑えて書きますが、面と向かってならその場に居てる人だけしか居ませんし、ボロクソに云えますしね。
>(寺娘があなたを嫌悪している)
ああ、どうぞ。嫌悪されようが、言わなければならない事は言います。当然、相手の状態をみながらですが。
まあ、ネットでは相手の状態がみえませんから、その辺は御自分で御注意下さい。
あなたが寺娘との出会いを大切にしたい事もよく解ります。それがあなたにとっての坊主バーであったと。
また、それと直接関係しているのかどうかは知りませんが、ビハーラ僧を目指すのも結構です。
ただ、ビハーラ僧は飲み屋でも出来ますし。
その上で『説法』も出来ないと『ビハーラ僧』とは云えませんよ。看護助手の仕事をしておられたらよく解っておられるのでしょうが、『夜勤の看護士』なんぞはビハーラ僧以上の心のケアをしてますよ。
で、仏教は心のケアだけではありません。まあ、勉強して下さい。
ついでですが、坊主バーも当然飲み屋であり、心のケア的な事もします。それを踏まえた上での『坊主バー』なのです。
同じビルに『カムズ』ってないですか?あそこのマスターなんぞは御自分の事を『街坊主』と呼んでますよ。坊主バーをやる前からの付き合いですし、最初の坊主バーの近所だったので毎日の様に行ってましたし、今でもタマに行きます。尊敬するバーテンダーの一人です。
>その後、スタッフになったのは、寺娘と清さんから頼まれたからです。
では、何故、あなたが店を継げなかったのですか?その事を考えてみるのも大切だと私は思いますが。あ、当然、私はそこに関与していません。寺娘時代には諸々文句を言ったのですが、「じゃあ、他に誰がおるねん」という非常に現実的な話をされたら認めざるを得ませんでしたし。
うちの店は、尼僧でもあるけど、教育者で、本、音楽、酒好きのあほ、占いもするなどのうち自身が売りです。特にどこに絞るかは、検討中です。
(尼僧と占い、音楽になる可能性は高いけど)
私の坊主バーデビューは、杉原さんでした。
当時、隣りのgでバイトしていました。
昼は看護助手で、夜週3で来てました。
杉原さんは、うちにジントニックをおごってくれましたが、カウンターの中にいたのは、女の人でした。
「マスターは誰ですか?」
(杉原さんと知っていましたが。)
と聞くと、やはり杉原さんであり、女の方はお客さんという。
衝撃でしたね。
gでは、ボス良川に
「お客さんを絶対カウンターの中に入れるな!」
としつけられていましたから。
それから、杉原さんは、カウンターの中に入れてもらえないので、うちに
「せっくすしよう。」と言いました。
うちが断ると、隣の人から順番に同じ事を言って行きました。
うちが
「誰でもいいんかいな?男でも。」
と言うと、
「男も女も、生物だったらみんな好き。」
と言われました。
杉原さんは、坊主バー以外で酔ってケンカしている姿を何度か見ましたが、好きでした。
ほんまに優しい人で、亡くなったときは悲しかった。
そこから、坊主バーは行ってませんでしたが、
3年前、躁状態と初めて診断された時、
依屋の後を借りてバーを開店しました。
その時、坊主バーは、3人体制で、寺娘と知り合いました。
バーへは、末巻さんの日に行って、寺娘のことを聞きました。
実際、2Fの廊下であいさつした時、
「坊主バーでは、なんで、愛想がいいだけで、あんな不細工な女雇ってるんだろ??」
と疑問に思いました。
バーに行くようになり、彼女と仲良くなって、清さんが寺娘を雇っている理由が分かりました。
その後、うちの状態が悪くなり、いろんなとこで出入り禁止になりました。
周りが全部敵に思え、孤独で死にそうでした。
入院が決まり三ツ寺から去るとき、寺娘が
「戻ってきてくださいね」
とうちに言いました。
この一言がどれだけ嬉しかったか、分からないでしょうね。今でも泣けます。
バーの存続については、2年続けて元スタッフが亡くなった時、移転や実際場所を見に行った事を知っています。
寺娘が何度も倒れ、それでも死んでもいいからバーをやりたいと清さんに言ったらしく、清さんもそれならばと考えてはりました。
うちにはメールで、
「サドンデスで寺娘の事をよく看たってください。」
というのが来ました。
その後、スタッフになったのは、寺娘と清さんから頼まれたからです。
死に水発言については、ほんまの最終日、一人でバーの棚を半日ががりで全部外しました。
夕方、清さんには、
「気になっててん。よくやった。」
と感謝され、うちの友人で、心斎橋で美容師の人と3人で片付け、掃除しました。
最後がこれかよ。
いろんな事情あるにせよ、スタッフ何人もおったやろ。(あなたも含め)
友人も最後の3日間の常連で何でこんな事してるんやろ?と思ったみたいです。
ここまで関わったから、うちは淋しいけど満足でした。
理論坊主については、誤解を招く言い方でした。
うちの理論坊主は、死にそうな人をみつけて、救急処置しないで、説法しそうな坊主の事です。
知り合いにこのタイプの坊主見習いがおります。
なので、うちはビハーラ僧を目指します。
長々とすみません。
うちに「死ね」と言うのなら、直接言ってください。
文面では恨みが起こります。恐ろしく感じます。
寺娘ともめたのも、ネット掲示板だったからでしょうね。
直接話したら、今の状況(寺娘があなたを嫌悪している)にはならなかったと思います。
それは多分、『あなたに告知したのが』という話だと思いますよ。詳しい内容は書けませんが何度か相談受けましたし。
>私は彼女の一言で、この世の命を救われました。
それはどこのバーでもやっておられる事です。バーテンダーの『テンダー』とは『司祭』という意味であり、『バーテンダー』とは『自殺を思いついた人が最後に会いに行く人』という有名な話があります。
ですから、そういう事はどこのバーテンダーでも『やらなければならない仕事』のひとつでもあります。
その上で、『では坊主バーとは何か?』という話になります。あくまでもそういう話の上での事です。
坊主バーとは『坊主が居てるバー』です。そういう風に数百のマスコミに紹介されています。ですから、小箱の割に一見のお客さんが多いという事実があります。マスコミを見て来られるお客さんがおられるという事実があります。
ですから、『臨時坊主バー』とは、はなはだおかしな話でしかありません。
また、寺娘バーも同じです。
>理論坊主
多くの『理論坊主』は『理論も出来る』だけの話です。おもしろおかしく仏教の話を出来る事など当り前の事です。その辺を勘違いしておられます。
また、寺娘が仏教書を読んでいた事も知っています。それが故の昨日書いた『もしくは寺娘がコンプレックスを感じないような話しか出来ないようなバーだったのでしょうし』ですね。
つまり、『理論も出来る坊主』は寺娘にとっては自分のプライドを傷つけられる事だったのでしょうし。
末期の坊主バーは、看板に偽りありのバーであって、きつい言い方ですが『詐欺的』です。
同時に、そんな坊主バーであっても、その坊主バーを坊主バーとして大切にして居られる方々が居られる事も知っています。過去の何度も何度もあった事であって、別に寺娘が最初ではありません。そのバーテンがやっている店を大切にしておられ、それが故に警察沙汰になった事もあります。
ですが、坊主バーが社会に、あるいは坊主業界に認識されているのは『坊主が居るバー』です。別に難しい話をしなくとも坊主が酒を飲んでいる姿を見るだけでも坊主バーです。当然、『バー』としてやらなければならない事は当り前の事としてやらなければなりません。人生相談だろうが、なんだろうが。
実際の坊主と話が出来るのが坊主バーの特徴です。それ以上でもそれ以下でもありません。ですから以前も書きましたが、他の部分で誇るのは『他の店に対して失礼』でしかありません。
多分、寺娘も、そしてあなたも、『バー』をやりたいのだと思います。まあ、『本当にいいバー』と言葉を言い換えてもいいのかも知れませんが。それならそれで他でやればイイだけの話です。別に『坊主バー』でなくとも構わない。
>興味のある友人の方があなたの言葉で、私やバーの事を決め付けてしまうのは心外です。
でしたら、単純な話ですね。あなたがあなたのバーをやればイイだけの話です。誰も文句は言えません。選ぶのは常に『お客様』ですから。
>思った事を口に出すのは、私も同じなので、自分じゃケンカしたくないのに、相手が勘違いすることがあります。
じゃあ、死ねばいいんじゃないですか(笑)生きてる限りは仕方がない事ですよ。もしくは最初から何も語らず、何も意見しなければイイ。
>いろんな人と話をしたいのです。
のなら、尚更でしょ。
多分、あなたが『後継店』であると勘違いして居られるのは、事実上『寺娘バー』の方です。寺娘バーの常連さん達と仲良く御自分のバーで遊ばれたらいいのだと思います。そして、御自分が寺娘バーで感じた事を表現していけばイイだけの話だと思います。
尼僧になるとかなんとか書いておられましたが、だったら御自分の尼僧バーをやればイイだけの話ですね。
ですが、それならそれで『臨時坊主バー』等と書かずに、あくまでも御自分のバーとしてやればイイだけの話ですね。ちゃんと理論も学んで、理論的な質問や、仏事に関する質問にも少なくとも『答えようとする』意思をもって。『理論坊主』という言葉からはそんな事は感じて来ません。門徒の中の『僧侶』である事がイヤなら僧侶になんかならなければイイだけの話ですね。
その上で魅力のあるバーになったら、私が推薦しなくても行く人は行くでしょう。別に坊主バーの後継店でなくとも行く人は行くでしょう。「大阪で坊主バー以上にしっかりとした尼僧バーがある」と評判になればイイだけの話じゃないですか?まあ、その為には他の水商売の人に失礼のない様にしっかりと仏教理論も学ばないと『論外』ですが。
『理論坊主』が居なければ単なる『バー』ですよ。坊主バーなんて偉そうな事を云っては失礼です。
まあ、遠方から来た友人に推薦出来るようなバーを頑張って作っておくんなさいませ。
当然、今は推薦出来ません。
それは当然、『宣伝の仕方』の話ではありません。
遷移庵、つまり堺の自宅です。
丁寧なコメントありがとうございます。
言い過ぎたと反省しています。
バーの閉店が決まったのは、私が入ってからです。
店を掃除し、酒を揃え、新しいお客さんがつき、自分も慣れて来たところだったので、悔しかったです。
私の言い方や表記に問題ありなのは、自分でも分かっています。
見下されたと思うのは、病気ゆえの被害妄想だと思います。
今の精神疾患の治療方法は、認知行動療法だと先生に伺ったし、自分はストレスマネジメントの勉強もしていた事を思い出しました。
寺の娘に関しては、
私は彼女の一言で、この世の命を救われました。
理論坊主や、考え方の違う人を追い出したのは、間違っていたと思います。
おもろい話に仏教話を交えた接客もしていましたよ。
歎異抄や平野修氏の本も貸してもらいましたし。
まあ、来られていないので知らないでしょうが。
私の店に関しては、バー兼フリースペースです。
宣伝の仕方に問題ありで、あなたが友人に勧められないと判断されたのは残念ですが、興味のある友人の方があなたの言葉で、私やバーの事を決め付けてしまう
のは心外です。
実際、坊主バーでお話させていただいた方には会いたいです。
いろんな人と話をしたいのです。
私のしょうもない言動につきあっていただきありがとうございます。
嫌味じゃなく、あなたは優しい人だと思います。
思った事を口に出すのは、私も同じなので、自分じゃケンカしたくないのに、相手が勘違いすることがあります。
気をつけないとな。と日々反省です。
私は自分が思った事を言葉に出します。ですから、最後辺りの坊主バーを私は坊主バーとして認めない事は変わりません。
ロックバーでロック好きの人とロックの話をしたら店のバーテンにイヤな顔をされる様なロックバーはロックバーの看板をあげてはいけないと思います。
それと同じく最後辺りの坊主バーでは、まあ、厳密には一人の寺娘が坊主バーに入ってから、その日は『仏教の話厳禁』の坊主バーになりました。当時は居た坊主スタッフも追い出される状況です。私はそういうバーを坊主バーとは呼びたくありません。
最後辺りはその寺娘が事実上の最後のマスターになりました。ですから私は行きませんでした。同時に何処かの飲み屋で飲んでいる時にタマタマ坊主バーの話が出た時に明確に「行くな!」と言いましたし。
あの寺娘のコンプレックスに付き合う筋合いは私にはありません。まあ、代表は面倒見のいい人ですから最後まで付き合いましたが、私はあの寺娘とそこまでして付き合う筋合いはありません。ボッタくられた時もありましたし、出入り禁止になった事もありましたし、そこまでする筋合いはありません。
ただ、その時代にも『坊主バー』という名前のお店にお客さんが来られて居たのでしょう。
ですが、それは『坊主バー』という名前ではあったのでしょうが、仏教話しも出来ない様な、もしくは寺娘がコンプレックスを感じないような話しか出来ないようなバーだったのでしょうし、それは私には、いや、結構多くのクレームも聞いているので私だけではありませんが、『坊主バー』とは呼びたくありません。
>最後の仏教に関しては~間違いでした。正しくは、
>自分の好きな人、認める人以外は見下すの間違いです。
こういう文章は全く文脈に出て来ません。ですから『正しくは』もクソもありません。
>私の店に関しては、坊主バーとコンセプトが被っているところがありますが、坊主バーではありません。
そらしょうでしょう。多分、店の名前が違うのでしょうし、そしたら『坊主バー』でない事は当り前の話です。
ただ、あなたは某ブログのコメント欄で【臨時坊主バー】等と書いてます。その上で【うちのバーが坂町にオープンしました。坊主バーで一緒に働いてた漢とやってます。】等と書いています。
まあ、誤解と云えば誤解なのでしょうが非常に誤解されやすい形で書いています。
それは他の人からも直接聞いた事もあります。
最後辺りの常連だったのかも知れませんし、店を閉店すると決めてから閉店するまでの間『だけ』の店を任されていたのかも知れませんが、それで『死に水を取った』だの『後継店』だのとの印象を与えるような事を言いふらすのは如何なものでしょうか?船場吉兆で最後辺りにちょこっとパートで入った人が「うちは船場吉兆の味を受け継いでいる」とは、どうなのでしょうか?私には滑稽に思えます。
>あなたに知らないことで見下される覚えはありません。
これは仏教だけに固定して言いますが、「知らない」事は当り前です。学び始めた人だけでなく、いわゆる『先生』と呼ばれる人達であっても専門外の事は知りません。当り前です。『知らない』のですから。
知らなかったら事で知りたい事は知ればイイだけの話です。厳密には『教えて貰えばイイ』だけの話です。
仏道は『道』です。道は歩むものです。得度したから完成ではありませんし、それは堕落です。
『見下される』という言葉から非常にプライドの高い、いや、そのプライドでもってギリギリ精神のバランスをとって居られるのかも知れませんが、仏道、特に真宗仏教は頭を下げる事がないと何にもなりません。当然、その『頭を下げる』とはその人個人に対してではありません。仏の教えに対してだけは頭を下げないとなんともなりません。ですから、直接的には先生であったりするのでしょうが、頭を下げない限りはなんにもなりません。それは『見下す』とは全く違う話です。
>あなたに知らないことで見下される覚えはありません。
逆に『知った』が故に、プライドを満足させ、見下す事はあってはなりません。ただ、そういう『思い』も出てくるでしょうが、それを煩悩と言います。同じく『見下されていると思う』も同じです。それも煩悩です。
>その方達は、私個人に興味・関心を持たれて、うちの店に来たいと言われた方もいます。
まあ、『おあいそ』もありますし、行くかどうかは別な話だとは思いますが。当然、私は推薦しません。悪しからず。
現在はお店をやられておられるみたいですが、だったら尚更の事、御自分の力でどうぞ。
繰り返しになりますが、閉店が決まった後に少し手伝っただけで『後継店』とはお笑いのネタにはなりますが、それ以上でもそれ以下でもありません。
坊主バーにスタッフで入っていた時、清さんに、うちが仕入れその他、仕切るように言われていました。
一日入ってもれえるように、清さんから頼んでもらったのです。(あなたの連絡先知らないので)
理由は、お客さんで、あなたにうちが連絡つくなら、
会いたいとおっしゃる方がいたからです。
私の店に関しては、坊主バーとコンセプトが被っているところがありますが、坊主バーではありません。
あなたの友人に宣伝したと立腹でしょうが、その方達は、私個人に興味・関心を持たれて、うちの店に来たいと言われた方もいます。
迷惑をおかけしたのは申し訳ありませんが。
とにかく、最初の店が潰れてよかった発言は、バーに関わった人たち(お客さんも含め)に対して失礼だと思いました。
私はうつ状態に入ったので被害妄想があります。
(ちなみに、あなたがマイミクを降りた頃は、躁状態でした。)
私の病気は、感情のコントロールが出来なくなるものです。これで去って行った人や失ったものはたくさん
あります。
きちんと通院、服薬出来ていませんでした。
現在は治療しています。
一般の方は精神疾患に対する理解はあまりないので、偏見、差別受けています。
だからあなたの言葉に必要以上に反応してしまっていると思います。
最後の仏教に関しては~間違いでした。正しくは、
自分の好きな人、認める人以外は見下すの間違いです。
あなたにその気はないかも知れませんが、今の私にはそう聞こえます。
私がそういう事で見下した事があるのでしょうか?そういう記憶は一切ないですが、何かの勘違いではないでしょうか?もしくは思い込みとか。
>バーの最後の月に、一日だけ入っていただいた事に関しては感謝しています。
坊主バーは何時からあなたの店になったのですか?あくまでも私は代表に頼まれて入ったわけですし、あなたから頼まれて入ったわけではありません。
ちなみに坊主バーは誰の私有物でもありません。
ですから、あなたがヨソで書いておられた様に「死に水をとった」等とは個人的な感想かも知れませんが、他の人達には全く関係がありません。
勝手に私物化する意識は何かの勘違いだと思いますが。
一貫して思うのですが、もの凄く勘違いをなされている様な気がします。ですから、勝手に勘違いをして『死に水をとった』として勝手に店をやられるのは結構ですが、それは多くの人に関係のない話です。
ちなみに代表のホームページにも【坊主バーの後継は、仏教サロン Thangka Clubと名のり、バーではなく皆さんのスペースとして運営します。】(http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/)と書いてますが。
勘違いも結構ですが、まあ、私があなたを仏教に関して見下した記憶はありません。言いがかりは御自分の頭の中だけにしておいて下さい。個人の妄想の中だけにしておいて下さい。迷惑です。
店の宣伝についてはご迷惑おかけして、すみません。
言い争いする自体、低次元な事と、他の方に言われました。
あなたは、私と初対面の時、他の方が「微玲が一目置いてる人」と紹介したとき、いきなり、
「ほな、アホやん。」
と切り捨てられたので、印象に残っています。
というか、腹立ちました。
私に興味がないのはかまいませんが、
バーの最後の月に、一日だけ入っていただいた事に関しては感謝しています。
仏教に関しては学ぶスタートラインに立ったばかりで、分からない事ばかりです。
知らないことがたくさんありますが、あなたに知らないことで見下される覚えはありません。
私はあなたの事をよく知りませんし、別に興味もありません。
坊主バーの最後辺りを手伝われていたみたいですが、私は最後の数年間の坊主バーには『オーナーのひとり』としてや、今までの経緯上関わらざるを得ない部分だけは関わっていましたが『数年間一切行かなかった』という事が証明のように興味自体がありません。まあ、「勝手にやっとれ」ですね。
今は御自身で店をやられておられるみたいですが、その店に関しても興味がありません。むしろ、私のマイミクを伝って店の宣伝をしている事を迷惑だと考えているだけです。
うちは、ストーカーじゃありませんし、あなたとケンカしたいわけじゃありません。
念のため。
でも直接言いたいこと、たくさんあります。
他は状況に応じて変えてました。
初日、いろいろ作り過ぎて小料理屋状態でした。
その日、自分が同情してしまったお客さんに、ごはん食べてもらって、500円にして、他のスタッフに怒られたっけ。
ただのスタッフでしたが、自分の日は自分のお寺だったから、結構好きにさせてもらってました。
・・忘れていました。
いつも自分から行っていたわけでもありません。
カウンセリング的なこともしておりました。
ヘルスカウンセリングなら、昼間の仕事で訓練されていますので、少しは役に立ったかな?
自己満足の領域かも知れませんけどね。
ほんまは、チャージは自分の店じゃないから、
1000円いただいておりましたが、いただくからには
自分で作ったアテ出して、何かつながる話しようとしていました。
ま、三ツ寺やと思って、キャラがねえ。
自分から行って、無理してたから、しんどかった。
ほんま、おっしゃる通り、変なプライドばっかで。
深夜来たお客に
「坊主バーなら、ただちゃうんか?」
と言われました。
うちが自分の店で、金持ちで余裕あったら、できたかもしれないけど、しょせんただのスタッフ。
「出来ません」と答えました。
私的には、何も持ってない人のお布施は笑顔と思っていますが、やはり、バーでもある以上、維持費が。
なかなか難しいところです。
だけど、今、自分の城持てて嬉しいです。
>だから、お客さんにチャージが高いと言われても、ただのバーじゃないという意識でおりました。
それは他のバーに無礼ですね。
他のバー以下の仕事でプライドだけあって、実態がない。
そりゃ、ダメだわ(笑)
伝統仏教の最悪な部分を濃縮して煮詰めたみたいなもんですね。
うちは、バーというより夜のお寺と考えていました。
だから、お客さんにチャージが高いと言われても、ただのバーじゃないという意識でおりました。
実際、得度するきっかけになったのは、スタッフになって、もっと自分が学びたいと思ったからです。
元々、哲学や宗教には関心ありました。
タンガクラブに、ビハーラの講習の後、行きました。
ほんまにサロン。三浦さんも好きやし。
昼間買い物ついでに寄れたらなお善いと感じました。
仏像に落書きされたのが何時なのか知りません。前回後片付けも含めて店に入った時は注意してませんでしたから。ただ、ここ数年の話だと思われます。
>でもうちはバーが潰れて良かったとは思いませんよ。
別に『坊主バー』じゃなくてもよかったんじゃないですか?ただ単にそういう名前のバーだっただけだったんじゃないですか?
どんなバーでも潰れるのは寂しい事ですね。
そういう意味では「潰れてよかった」とは失言でしたね。申しわけございません。
仏像に落書きされているの知らなかったです。
阿弥陀ですか?
お客の手に届かないとこだったし、片付けの時よく見てなかった。
あと、貸切のとき書かれたのかも知れません。
ともかく、うちのミスでもあります。
いつ書かれたのかわかりませんが。
でもうちはバーが潰れて良かったとは思いませんよ。
個人的にはお勧めです。