坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

愚禿悲嘆述懐

2008年02月26日 | 坊主の家計簿
 2月26日

 諸々  レトルトカレー2      276円
     いちご           368円
     居酒屋          4000円
     ドグラマグラ        900円
     かき揚げ蕎麦        230円

 合計               5774円
 2月累計           109324円
 
 休み。帰宅したら朝の9時。え~と、6時ぐらいの電車に乗ったわけやから3時間か。。。途中までは起きててんけどなぁ。。。やっぱり無理やったか。。。
 起きると軽い二日酔い。「頭と胃が。。。」なんだが、学習会の準備会儀なので気合を入れて外出。
 会議。え~と、ちっとは予習していけば良かった。。。と、今日(27日)になってちょっと勉強。
 この論文が面白そうなのでチェック
 http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0153-198
 
 愚禿悲嘆述懐。
 【主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。】
  とは凡夫性である。煩悩具足の凡夫であるが故に『忿を成し怨を結ぶ。』。誰にでもある話。その事によって
 【これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。】
 という事が起った。煩悩具足の凡夫が、仏との関係を忘れて、つまり『衆生』である事、執着する存在である衆生である事を忘却している。
 法然門下を裁いた主上臣下には

  浄土真宗に帰すれども
  真実の心はありがたし
  虚仮不実のわが身にて
  清浄の心もさらになし

 は書けなかった。
 草稿本での流れでいうと上記の和讃は『仏智うたがふつみとがの、ふかきことをあらはせり。これをへんぢけまんたいしやうなんどといふなり』の言葉の後に『愚禿親鸞作』と『愚禿悲嘆述懐』と記した後に続いている。
 この辺がキーポイントやな。
 流罪された側である親鸞は決して流罪した側を他人事にはしなかった。出来なかった。同じ煩悩具足の凡夫であるが故に。
 世間の論理でもって、あるいは菩薩である事を忘却して『仏』になってしまった状態であった『主上臣下』。
 親鸞はダイバを『尊者』と呼んだ人である。

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