坊主の家計簿

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嫌がられる話

2013年10月13日 | 坊主の家計簿
文字通りすごーく嫌がられる話
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だんじりも観に行かず自宅安静中。
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内ゲバの年表

1950年
日本共産党が所感派と国際派に分裂し、両派のテロリンチが繰り返される。学生運動での初めての内ゲバとなっていく[3]。

1951年
東京大学で、国際派の学生らが所感派の学生らをリンチ[3]。

1952年
6月 - 全学連五回大会で、所感派系の学生が国際派の反戦学生同盟メンバーをリンチ。立命館事件[3]。

1961年
7月 - 全学連第17回大会で、革共同系学生(マル学同)と、ブント・解放派らつるや連合の間で乱闘衝突。学生運動史上初めての角材を使用した内ゲバであり、セクト間の武装部隊による本格的内ゲバの初めとなった[6]。

1963年
9月11日 - 清水谷公園で、中核派、解放派ら連合4派250名の集会に革マル派150名が押し掛け、角材で乱闘[7]。清水谷公園乱闘事件。

1964年
7月2日 - 革マル派の拠点早大に、中核派・解放派・構改派の3派が殴りこみ[7]。7・2早大事件

1967年
10月
7日 - 法政大学で、中核派が解放派の高橋幸吉などへリンチ。[8]
8日 - 羽田闘争において中核派、解放派は内ゲバに備えて角材とヘルメットで武装する。[9]この武装は現場で対機動隊に転化され、初めて機動隊を打ち破った。

1968年
2月12日 - 九大教養部学館で中核派と社青同解放派が乱闘、1人重傷。[10]
6月24日 - 法大で、革マルと中核派学生が乱闘。[10]
7月20日 - 反帝全学連大会でブントと、解放派・ML派の両派が乱闘。[11]
9月9日~11日 法政大で中核派と民育系が乱闘。[12]
11月
11日 - 静岡大法経短大学部で、民青系(代々木系)と反代々木系学生が乱闘、40人が負傷。[13]
12日 - 東大図書館前で全共闘と民青系(代々木系)学生が角材で乱闘、約70人が負傷。[14]
14日- 東大教養学部で代々木系と反代々木系の学生の衝突を教官が阻止。[15] 
26日 - 東京教育大で反代々木と代々木系学生が乱闘。[10]
29日 - 東大図書館前(本郷)で全共闘と日共系が衝突を繰り返す。[16]
下旬 - 早大で、革マル派が解放派にテロ、早大を追われた解放派は東大駒場へ移動し革マル派と武装対峙する。後に戦争状態となる解放派と革マル派の内ゲバの始まり。[17]
12月
4日 - 早大で解放派と革マル派が乱闘。[18]
5日 - 東大駒場寮で解放派と革マル派がお互いの拠点を襲撃しあう。[19]
6日 - 東大駒場で解放派と革マル派が内ゲバ。[20]
10日 - 東大教養学部(駒場)て革マル派と解放派の対立が激化、駒場寮前で約200人が衝突、45人が負傷。[21]
11日 - 警視庁が東大学側に警告書[22]
13日 - 東大教養学部で全共闘と代々木系学生・有志学生が衝突乱闘。[23]
14日 上智大で代々木系学生と反代々木系学生が乱闘。[24]
16日
東大駒場で、及び駒場東大駅ホームで革マル派と解放派が衝突。[25]
法政大で反代々木系と代々木系の学生それぞれ200人が乱闘。[26]
17日 - 東大駒場で反代々木系学生間でリンチ。[27]
24日 - 東大で全共闘と民青系(代々木系)の学生が乱闘[28]

1969年
発生件数208件、死者数2人、負傷数1143人(警視庁 1974)。

1月
9日 - 東大闘争勝利総決起集会後、民青系と全共闘が乱闘、重軽傷100人余。東大闘争での内ゲバで火炎瓶が初めて使用される[29]。
10日 - 東大駒場で全共闘と民青が乱闘[30]。また、東大本郷でも安田講堂を占拠する全共闘と民青の間で乱闘[31]。
9月
17日 - 中核派が埼玉大の反戦連合を襲撃[32]。
18日 - 芝浦工大で反戦連合の学生が中核派を襲撃し、埼玉大中核派学生が死亡。内ゲバでの初めての死者となった[33]。
11月
28日 - 日比谷野外音楽堂の集会で、中核派、解放派ら八派と革マル派が衝突[34]。
12月
14日 - 日比谷野外音楽堂、糟谷君虐殺人民葬で中核派、解放派ら八派に対し革マル派が襲撃[35]。

1970年
発生件数175件、死者数2人、負傷数525人。[36]

6月 - 豊島公会堂でのブント政治集会で各派が内ゲバ。[37]
8月 - 中核派による東京教育大学生リンチ殺人事件
1971年
発生件数272件、死者数4人、負傷数521人。[36]

4月28日 - 日比谷公会堂前でブント各派が乱闘。[38]
6月19日 - 沖縄人民党・民青による革マル派町田宗秀リンチ殺害事件
8月 - 京浜安保共闘による印旛沼事件
12月~1972年2月 - 連合赤軍による山岳ベース事件
12月 - 革マル派による関西大学構内内ゲバ殺人事件

1972年
発生件数183件、死者数2人、負者傷数338人。[36]

11月 - 革マル派による早稲田大中核派シンパ内ゲバ殺人事件

1973年
発生件数238件、死者数2人、負傷者数573人。[36]

9月
15日 - 革マル派が革労協(社青同解放派)を襲撃するも、革労協が反撃し革マル派東大生と革マル派国際基督教大生を殺害。神奈川大学内ゲバ殺人事件[39]
17日 - 革マル派と中核派が東京鶯谷駅で集団戦。国電鶯谷駅内ゲバ事件[40]
10月20日 革マル派が中核派のアジトを襲撃。中核派アジト襲撃事件。[41]

1974年
発生件数286件、死者数11人、負者傷数607人。[42]

1月
24日 - 東京で中核派が引っ越し作業中の革マル派東大生内4人を襲撃、2人(22歳、21歳)を殺害。[43][44][45]この事件後に出た中核派声明を立花隆は「暴力論の一つの極点として、歴史に残る文書になるだろう」としている。[46]
24日 - 中核派が革マル派神奈川大生(24歳)を満員の学生食堂内で殺害。横浜国大内ゲバ殺人事件[47][48]
2月8日 - 中核派が革マル派だとして琉球大生(21歳)を講義中の教室内で殺害。琉球大学内ゲバ誤認殺人事件[49][50]
5月13日 - 革マル派が中核派区職員(37歳)を東京で殺害。[51]
6月
7日 - 革マル派大阪産業大生(20歳)が大阪で殺害。[52] 
中核派による法政大学構内内ゲバ殺人事件
9月
10日 - 革マル派が中核派郵便局員(25歳)を東京で殺害。[52]
24日 - 革マル派が中核派大阪市立大生(25歳)を大阪で殺害。[53]
10月
3日 - 中核派が革マル派郵便局員(30歳)を東京で殺害。[54]
15日 - 革マル派が中核派工員を東京で殺害。[55]
12月1日 - 中核派が革マル派元高校教諭(30歳)を大阪で殺害。[56]

1975年
発生件数91件、死者数3人、負傷者数192人[57]。

3月
6日 - 東京の路上で、中核派が革マル派幹部(33歳)を殺害。革マル派機関紙発行責任者内ゲバ殺人事件[58]。
14月 - 埼玉のアパートで、革マル派が中核派の最高指導者(41歳)を殺害。中核派書記長内ゲバ殺人事件(本多延嘉氏)[59]。
20日 - 東京のマンションで、中核派が、革マル派郵便局員2名を(25歳、28歳)を殺害[60]。
27日 - 神奈川の路上で、中核派が革マル派川崎市役所職員(26歳)を殺害。川崎市女子職員内ゲバ殺人事件。[61]。
4月
1日 - 東京の喫茶店で、中核派が革マル派元全学連中央執行委員(27歳)を殺害[62]。
26日 - 東京の喫茶店で、中核派が革マル派政治局員ら(32歳、23歳)を殺害[63]。
5月
7日 - 鹿児島のアパートで、中核派が革マル派高校教諭(41歳)を殺害[64]。
25日 - 岡山大で、マル青同がノンセクトの岡山大生(18歳)を殺害[65]。
6月
4日 - 大阪市立大で、革マル派30数人と中核派約40人が衝突、革マル派の大阪経済大生3名(21歳、24歳、25歳)が死亡[66]。
19日 - 東京の路上で、中核派が革マル派郵便局員(22歳)を殺害。[67]。
24日 - 静岡で、革マル派が革労協数10人を襲撃、革労協の元九州大生(26歳)を殺害[68]。
10月
27日 - 革労協が革マル派東大生(22歳)を東京で殺害。[69][70]

1977年
発生件数41件、死者数10人、負傷者数47人[71]。

2月 - 革マル派による革労協書記長内ゲバ殺人事件
4月 - 革労協が、革マル派4人を自動車に閉じ込めて全員を焼き殺す[72]。浦和車両放火内ゲバ殺人事件。

1978年
発生件数32件、死者数7人、負傷者数45人[73]。

1979年
発生件数22件、死者数8人、負傷者数32人[73]。

5月 - 中核派による津市内内ゲバ殺人事件[74]。
11月 - 革マル派が東京、神奈川の革労協アジト3箇所を襲撃[74]。

1980年
発生件数15件、死者数8人、負傷者数32人[73]。

9月 - 革労協による東成区路上内ゲバ事件[75]。
10月30日 - 中核派が革マル派学生5人を路上で殺害。大田区南千束路上内ゲバ殺人事件[76]

1981年
発生件数9件、死者数2人、負傷者数6人[73]。

7月11日 - 革労協による7.11渋谷区本町内ゲバ殺人事件[77]。
1982年
発生件数6件、死者数1人、負傷者数7人[73]。

2月24日 - 革労協が革マル派1名を殺害。2.24荒川区南千住内ゲバ殺人事件[78]

1983年
発生件数3件、負傷者数5人[73]。

1984年
発生件数11件、負傷者数12人[73]。中核派が第4インターに対しテロを開始した。[79]。

1985年
発生件数12件、負傷者数22人[73]。革マル派が中核派に対し7年ぶりに攻撃姿勢に転じたとされる[80]。

2月 - 革マル派による和光大事件

1986年
発生件数9件、死者数2人、負傷者数10人[73]。

1月20日 - 革マル派が中核派京大生(25歳)を京大内で殺害。京都大学教養部構内内ゲバ殺人事件[81][82]。
9月 - 中核派が、革マル派だとしてJR組合幹部を殺害。真国労大阪地本書記長内ゲバ殺人事件[83]

1987年
発生件数4件、負傷者数4人[73]。

10月30日 - 革労協が革マル派だとしてJR東日本職員を襲撃。JR東日本赤羽駅構内内ゲバ事件[84]。

1988年
発生件数2件[85]。

3月 - 中核派によるJR東日本労組高崎地本委員長内ゲバ殺人事件

1989年
発生件数6件[85]

2月8日 - 中核派が、革マル派だとしてJR組合幹部を殺害。「東鉄労水戸地本組織部長殺害事件」[86]。
6月25日 - 革労協狭間派が元最高幹部を殺害。革労協元幹部内ゲバ殺人事件[87]。
12月2日 - 革労協狭間派が、革マル派だとしてJR組合幹部を殺害[86]。

1996年
5月14日 - 神奈川県で、革労協狭間派が革マル派学生を襲撃し、1名を殺害[88]。

1999年
5月 - 革労協狭間派が現代社派と赤砦社派に分裂し、以降殺人を伴う内ゲバの応酬を繰り返す。1999年は3名の活動家が殺害された。[89]。

2000年
2月 - 革労協現代社派と革労協赤砦社派の内ゲバで2名が殺害[89]。

2001年
5月 千葉県で、革労協赤砦社派が革労協現代社派の活動家を殺害[90]。

2003年
6月2日 - 東京の路上で革労協現代社派が革労協赤砦社派の活動家を殺害[91]。

その他、多数(合計1800件)の暴力事件

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/内ゲバ

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