坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

罪業感覚

2014年06月22日 | 坊主の家計簿
【たとえば戦後、四十年ぐらいに生まれた人が新婚旅行でフィリッピンへ行くとします。フィリッピンをまわって歩いて、現地の人がたどたどしい日本語で、「何をしにここへ来られましたか」と問うたとします。それで「新婚旅行で来ました。結婚を祝ってここまで来ました」という答えを聞いて、「私にもそういう時がありました。しかしその時を無慚にも壊していったのが戦争であります。なかんずく日本兵によって間をひきさかれ、楽しいはずである時が壊されました」というような話を聞かされた時に、「そんなこと私達に関係ありません。あんた、なに言ってるの、せっかく楽しみにここに来たのに、そんなこと私達には関係ありません。もしそれを言うなら日本政府に言ってください、その当時の人達に言うてください」とは言えないと思うのです。どれだけ乱暴な人でもそんなことは言えない。なぜならそこに感ぜざるをえないものがあるからです。
 それは日時的な時間からいえば無関係です。戦後四十年、三十五年以上経って生まれたのですから、関係ないと言えば関係ないのです。しかし、そういうふうに言われてみると、そこに感ずるものがある。それは罪業の感覚です。】
(平野修『末法の時 魔宮にあり』より。ただし平野修遺稿集『荒野の白道』50~51頁より)


 これは1990年10月6日盛岡市・明証寺公開講座で話された講義での平野先生の発言だが、この20数年間で「日本が右傾化した」というよりも罪業感覚の問題ではないのか?

http://mainichi.jp/opinion/news/20140622k0000m070077000c.html

最新の画像もっと見る

コメントを投稿