坊主の家計簿

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『乙武さんは、親を恨んだことありますか? 』

2013年01月29日 | 坊主の家計簿
『乙武さんは、親を恨んだことありますか? 』
http://togetter.com/li/446417

【たとえば「ぞうさん」でしたら、〈ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね〉と言われた子ゾウは、からかいや悪口と受け取るのが当然ではないかと思うんです。この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。顔の四角い人ばかりの中に一人だけ丸い人がおったら、本来はなんでもない「丸い」っちゅう言葉が違う意味をもってしまう。われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうにくそうよ/かあさんも ながいのよ〉と答える。それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ。】(まどみちお『いわずにおれない』より)

あ、このマトメは乙武氏本人か。「身体障害者は親を恨んでいるはず」という裏にあるのは優生思想で苦しんでいる自分。

以前に天台宗で百日回峰行(?)をなさった方と直接話した事があった。まあ、坊主バーに来られたわけなんだが。その時に真っ先に話して居られたのが金の話だった。「あれ、結構お金かかるんですよ」と。百日回峰行を『行ずる』のは彼だったんだろうが、行じた彼は金の話、要するに彼が修行するにあたって多くの人達が動いてくれた、多くの人達がいなければ修行を完成する事が出来なかったという事を、彼が感じた「お陰様』という事を違う宗派の私に伝えたかったんではなかろうか?ちなみに彼ばビタ一文出して居ない。

いわゆる「がんばれ仏教」系って、何?頑張れるのも頑張れないのも御縁ではないのか?また、その頑張りの内容の尺度は自己を中心とするものではないのか?時代背景の支持があったとしても。

「あいつはダメや」という判断基準という煩悩。それは煩悩でしかない。その煩悩を肯定してしまう所の悲しさも含めての煩悩具足の凡夫ではないのか?

「後鳥羽はん。あんただって、私と同じ煩悩具足の凡夫でんがな。同じ煩悩具足のわれらでんがな。んな念仏者を弾圧したら、あんたはん、地獄に落ちまっせ。要するに、一生涯頑張って生きて、出来ない自分や他人を切り裁いて生きていかなアカンようになりまっせ」と安楽は言いたかったんではなかろうか?と。

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