先に訂正、っちゅか、お詫び。
え~、このブログはほぼ酔っぱらって書いていますし、数字以外の内容の事実性はほぼありません。「目指せ!Mー1グランプリ!」っちゅう気合で書いてますし。
ん?
ですから、3月2日の記事『ひな祭り』において
【「あんなものは国体を象徴するものです。何故ひな壇の敷布が赤いか解りますか?あれは夷の、アイヌの、琉球の、台湾の、朝鮮の、中国の、アジア諸国の人民の血で赤く染まっているのです。また、国体を守る為に犠牲になった我々人民の多くの犠牲者の血で赤く染まっているのです。」】
と書いたのは、如何にも左翼が云いそうな事&個人的にちょっと思っただけの話でして、歴史的意味合いは全くありません。
ちなみに元ネタは、17年程前に当時28歳だったはずの兄ちゃんが「日の丸の赤はウチナンチュウの血の色や」と、酔っぱらって云ってたのが元ネタでしてですね。。。
3月6日
雑費 缶ココア 120円
傘 499円
タバコ10(記入漏れ) 3000円
外食 卵焼きメシ磯辺揚げ 453円
食類 ミネラル水6 497円
野菜ジュース8 1194円
クラッカー 37円
合計 5800円
3月累計 19069円
っちゅう事で、本日も御仕事忙し、っちゅう事で公文サボリ。
ダルいので昨日借りて来た『いま、会いにゆきます』を観る。
これはお得である。YOU観たさに借りたら、ついでに市川実日子も観れたし、エエ感じ。
映画内容は、え~と、え~と。。。
お参り中の車の中ではAMラジオを聴いている。真面目なお坊さんなら移動中であっても御経のCDなんかを聴いているのだろうが、っちゅうか、そういうヤツは世の中に一人ぐらいしか今の所知らんが、まあ、FMよりニュースも多いし、音楽は眠くなるしやな、AMラジオを聴いている。
遺族外来っちゅう言葉を初めて聞く。なんか、埼玉の方であるらしい。
「坊さん頑張らんかい、仕事取られとるやんけ」
なんだが、自分も坊さんやってんやった。。。
読経してるとタンマに泣かれる事がある。
一番印象深かったのは学生時代にお盆の手伝いで行った先の娘さん。中学生ぐらいなんだろうか?お盆のスーパー忙しい中でスペシャル読経マシーンと化して見知らぬ土地で読経しまくっていたんだが、終わって帰ろうとしたら留守番してた娘さんが泣くじゃくっていた。
気持ちはなんとなく解る。葬儀の事を思い出したんだと思う。お爺ちゃんか、お婆ちゃんか誰か知らないが大切な人が亡くなった時、『死』っちゅう『別れ』の時を思い出して泣いていたんだと思う。え~。。。無茶苦茶忙しかったので話は全く聞かずに帰ってしまったが。。。
その後、すべての所で出来ているなどとはとても言えないが、でも、最近亡くなられた方が居られる所に行く事があれば(当然、殆ど住職が行きます)、出来る限り話を聞こうとは心がけている。まあ、出来ない事の方が多いのだが。。。
葬儀の時の話から、死ぬ前の思い出話しなんぞを聞く様にしている。っちゅうか、「している」もクソもなく、話題は自然にそうなるし。
そんな事がとっても大事な『仕事』だと感じたのは変な話ビハーラを学んでからだった。別に自然に殆どの坊主がしている事だし。
だから『遺族外来』っちゅう事を聞いても別に不思議には思わないのだが、え~。。。関東の坊主も月参りせえよな。。。
【死別が身体に及ぼす影響ですが、配偶者を亡くした54歳以上の男性の調査では、死別後6ヶ月以内の死亡率が配偶者のいない場合に比較して約40%上昇すること、死因の4分の3は心疾患である事を指摘しています[4]。女性も死別後3ヶ月は死亡率の高いことが指摘されています[5]。死別が精神に及ぼす影響ですが死別後1年以内に抑うつの兆候を呈する未亡人が47%にのぼり、対象群の8%と比較すると有意に高いことからが知られており、死別後1年以内の自殺リスク、女性で10倍、男性では66倍に上昇します[6]。】(http://mric.tanaka.md/2006/06/20/vol_12.htmlより)
こういうのを『祟り』とも呼んだりすると、確かカールベッカーやったかな?確か話して居てた。
『いま、会いにゆきます』の前半を観ながら、そんな事を考える。
「お前等、一周忌の準備も、中陰参りもせえへんからそんな幻覚観るんじゃ。竹内結子を成仏させたれよな。」
「こら、なんで医者に相談しにいくねん。そういう時は葬式した寺の住職に相談しに行くもんやろ。」
とか思いつつ、全く仏教を無視したままで映画は進んで行く。
別に仏教は『死』を専門に扱うものではない。『苦』の中に『死』も含まれているだけの話だ。
『苦(思うようにならない)』っちゅう事の最たるものが自分の死であり、また親しい方々の死である。
よって、『いま、会いにゆきます』のように竹内結子が出て来たらアカンわけなんだが、まあ、でも、前半は「死者から望まれているもの」として観てた。あくまでも前半だけなんだが。。。
まあ、映画全体としては、「現実を引き受けられない事を散々美化したらこんな映画が出来ました。ほら、お前等も現実よりも妄想の方が好きやろ。よって、泣け!泣け!」っちゅう映画であって、ただ、YOUと市川実日子が変わらずよくって、&昨日は村のお婆ちゃんでお寺にもしょっちゅう来てたお婆ちゃんの葬儀やって、その事をもっと色んな人達と喋りたかった、思い出とかをもっと喋りたかった、けど、忙しさをいいわけに喋れなかった&「坊さん、ちゃんとせえや。布施貰っとるんやろ」&やっぱしもっと喋りたかったなぁ。。。っちゅう映画。
遺族外来と違って、村の坊さんでも、街の坊さんでも、村の、街の住人やし。
多分、多くの飲み屋でも同じようなもんやし。
そこからこぼれ落ちる人が多くなって来た、っちゅう事か。
と云う事で反動右翼になってしまいそうになるのだが、強制力や、圧迫感のない『ゆるやかな共同体』がエエな。別に昔を美化しても意味ないし。
え~、このブログはほぼ酔っぱらって書いていますし、数字以外の内容の事実性はほぼありません。「目指せ!Mー1グランプリ!」っちゅう気合で書いてますし。
ん?
ですから、3月2日の記事『ひな祭り』において
【「あんなものは国体を象徴するものです。何故ひな壇の敷布が赤いか解りますか?あれは夷の、アイヌの、琉球の、台湾の、朝鮮の、中国の、アジア諸国の人民の血で赤く染まっているのです。また、国体を守る為に犠牲になった我々人民の多くの犠牲者の血で赤く染まっているのです。」】
と書いたのは、如何にも左翼が云いそうな事&個人的にちょっと思っただけの話でして、歴史的意味合いは全くありません。
ちなみに元ネタは、17年程前に当時28歳だったはずの兄ちゃんが「日の丸の赤はウチナンチュウの血の色や」と、酔っぱらって云ってたのが元ネタでしてですね。。。
3月6日
雑費 缶ココア 120円
傘 499円
タバコ10(記入漏れ) 3000円
外食 卵焼きメシ磯辺揚げ 453円
食類 ミネラル水6 497円
野菜ジュース8 1194円
クラッカー 37円
合計 5800円
3月累計 19069円
っちゅう事で、本日も御仕事忙し、っちゅう事で公文サボリ。
ダルいので昨日借りて来た『いま、会いにゆきます』を観る。
これはお得である。YOU観たさに借りたら、ついでに市川実日子も観れたし、エエ感じ。
映画内容は、え~と、え~と。。。
お参り中の車の中ではAMラジオを聴いている。真面目なお坊さんなら移動中であっても御経のCDなんかを聴いているのだろうが、っちゅうか、そういうヤツは世の中に一人ぐらいしか今の所知らんが、まあ、FMよりニュースも多いし、音楽は眠くなるしやな、AMラジオを聴いている。
遺族外来っちゅう言葉を初めて聞く。なんか、埼玉の方であるらしい。
「坊さん頑張らんかい、仕事取られとるやんけ」
なんだが、自分も坊さんやってんやった。。。
読経してるとタンマに泣かれる事がある。
一番印象深かったのは学生時代にお盆の手伝いで行った先の娘さん。中学生ぐらいなんだろうか?お盆のスーパー忙しい中でスペシャル読経マシーンと化して見知らぬ土地で読経しまくっていたんだが、終わって帰ろうとしたら留守番してた娘さんが泣くじゃくっていた。
気持ちはなんとなく解る。葬儀の事を思い出したんだと思う。お爺ちゃんか、お婆ちゃんか誰か知らないが大切な人が亡くなった時、『死』っちゅう『別れ』の時を思い出して泣いていたんだと思う。え~。。。無茶苦茶忙しかったので話は全く聞かずに帰ってしまったが。。。
その後、すべての所で出来ているなどとはとても言えないが、でも、最近亡くなられた方が居られる所に行く事があれば(当然、殆ど住職が行きます)、出来る限り話を聞こうとは心がけている。まあ、出来ない事の方が多いのだが。。。
葬儀の時の話から、死ぬ前の思い出話しなんぞを聞く様にしている。っちゅうか、「している」もクソもなく、話題は自然にそうなるし。
そんな事がとっても大事な『仕事』だと感じたのは変な話ビハーラを学んでからだった。別に自然に殆どの坊主がしている事だし。
だから『遺族外来』っちゅう事を聞いても別に不思議には思わないのだが、え~。。。関東の坊主も月参りせえよな。。。
【死別が身体に及ぼす影響ですが、配偶者を亡くした54歳以上の男性の調査では、死別後6ヶ月以内の死亡率が配偶者のいない場合に比較して約40%上昇すること、死因の4分の3は心疾患である事を指摘しています[4]。女性も死別後3ヶ月は死亡率の高いことが指摘されています[5]。死別が精神に及ぼす影響ですが死別後1年以内に抑うつの兆候を呈する未亡人が47%にのぼり、対象群の8%と比較すると有意に高いことからが知られており、死別後1年以内の自殺リスク、女性で10倍、男性では66倍に上昇します[6]。】(http://mric.tanaka.md/2006/06/20/vol_12.htmlより)
こういうのを『祟り』とも呼んだりすると、確かカールベッカーやったかな?確か話して居てた。
『いま、会いにゆきます』の前半を観ながら、そんな事を考える。
「お前等、一周忌の準備も、中陰参りもせえへんからそんな幻覚観るんじゃ。竹内結子を成仏させたれよな。」
「こら、なんで医者に相談しにいくねん。そういう時は葬式した寺の住職に相談しに行くもんやろ。」
とか思いつつ、全く仏教を無視したままで映画は進んで行く。
別に仏教は『死』を専門に扱うものではない。『苦』の中に『死』も含まれているだけの話だ。
『苦(思うようにならない)』っちゅう事の最たるものが自分の死であり、また親しい方々の死である。
よって、『いま、会いにゆきます』のように竹内結子が出て来たらアカンわけなんだが、まあ、でも、前半は「死者から望まれているもの」として観てた。あくまでも前半だけなんだが。。。
まあ、映画全体としては、「現実を引き受けられない事を散々美化したらこんな映画が出来ました。ほら、お前等も現実よりも妄想の方が好きやろ。よって、泣け!泣け!」っちゅう映画であって、ただ、YOUと市川実日子が変わらずよくって、&昨日は村のお婆ちゃんでお寺にもしょっちゅう来てたお婆ちゃんの葬儀やって、その事をもっと色んな人達と喋りたかった、思い出とかをもっと喋りたかった、けど、忙しさをいいわけに喋れなかった&「坊さん、ちゃんとせえや。布施貰っとるんやろ」&やっぱしもっと喋りたかったなぁ。。。っちゅう映画。
遺族外来と違って、村の坊さんでも、街の坊さんでも、村の、街の住人やし。
多分、多くの飲み屋でも同じようなもんやし。
そこからこぼれ落ちる人が多くなって来た、っちゅう事か。
と云う事で反動右翼になってしまいそうになるのだが、強制力や、圧迫感のない『ゆるやかな共同体』がエエな。別に昔を美化しても意味ないし。
「後を追うように」って言う言葉、数字的に証明されてるんですね。
『いま、会いにゆきます』YOU出てましたっけ?覚えてないです・・・当時付き合ってた彼女と映画館で見ました。彼女泣いてましたわ。ってそういう私も恥ずかしながらちょちょぎれてたの思い出しましたわ・・・
遺族外来の先生は4月に大阪に来るみたいですよ。
http://www.chiisanainochi.org/contents2/info1/20070210.html
http://mric.tanaka.md/2006/06/20/vol_12.html
でしか情報知らんねんけど、一応病院でやっている事になるのか?いや、精神科の中で勝手にやってるみたいな感じなのかな?
そのうちにどっかの寺の入り口にも『遺族外来』とかかりそうな気が。。。
「遺族外来」を検索して
偶然たどり着きました。
映画は見ていないんでわからないんですが、
そうなんですか・・・
こういうことは
お医者様ではなくて、お坊さんなのですね。
実は身内をなくして月が浅く、
今非常に滅入っています。
果てしなく広がる不安やら悲しみ、
自分のことは把握できても
ほぼ初めて経験する身近な人の「死」。
あの人は、どうしているんだろう?
成仏できているのかな?
納得できない事いっぱいあったでしょ?
亡くなったのは私のせいなのじゃないかな?
幸せに楽しくやっているかな?
心配はつきません。
そう言う事でも答えがないから滅入るんですね。
周囲は、「鬱だよ、カウンセリングに行きなさい」って
言うんですが、
自分では、これは死別時の普通の反応だとか
思ったりしています。
また、
この様に、悩むのも
経験として「死」から学ぶ事も
必要だった(運命だった)のかな?とか、
自分で自分を変に納得させているんですが・・・
葬儀でお世話になったお坊さんは
物理的にも遠く
お付き合いも浅く
なかなか 気軽に相談など
した事がありません。
医者もそうでしたが、
お坊さんも
電話で何でも気軽に相談。。。って出来ないイメージです。(←繁忙、料金などで)
実際如何なのでしょうか?
それで
ぜんぜん 的外れな遺族外来に
行って、心を静めるしかないんでしょうかね・・・
仏の世界は、私達にはとても大きすぎて
全くと言っていいほど、
知らない事だらけなのですが、
もっとお坊さんに色々伺っても
良いのでしょうか?
>経験として「死」から学ぶ事も
>必要だった(運命だった)のかな?とか、
>自分で自分を変に納得させているんですが・・・
別に、自分で自分を納得させる必要はないと思いますが。。。
ただ、これは一般論でなく、書き込みを読ませて頂いて書き込んで居るのですが。
読ませて頂く限りでは、非常に冷静に自己観察をなされているみたいですし、逆にその『焦り』みたいな事も感じます。
>自分では、これは死別時の普通の反応だとか
>思ったりしています。
と御自身で仰る通りに死別時の個人的反応であるのなら、落ち込んで泣き叫ぼうが、食事をする気力がなくなろうが、精神的バランソを崩そうが、そんなもんですよ。
個人的には親しい人が亡くなったら、とり乱して『当然』だと思います。そんなもんだと思います。死別だろうが、生き別れだろうが。悲しい時は悲しいんだし、悲しい時に悲しまないのは不自然だとも感じます。
>もっとお坊さんに色々伺っても
>良いのでしょうか?
え~。。。人によりますし、同じ人でもその時々の状況によって変わります。人間ですし。
専門医は知りませんが、坊主だって人間ですから、その時々の気分で全然違いますし。落ち込む時は落ち込みますし、悲しい時は悲しいです。誰とも話したくない時も多々ありますし、心の中は泣いてても仕事にでは笑顔で居なければならない時も多々あります。ただ、仕事が終われば、別に無理に明るく振る舞おうとも思いません。
別に遺族外来が的外れだとは私は思いませんし、どちらにお住まいなのか、どういう生活状況にあるのかは解りませんが、遺族外来を尋ねてみるのも一つの手でしょうし、一般のカウンセリングもありでしょうし、親しい飲み屋があるのでしたらそこに行くのも手でしょうし、寺を尋ねてみるのも一つの方法だと思います。