坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

大法要前夜

2009年05月01日 | 坊主の家計簿
 御参り終了!のはずだと思うのだが、実際の所よう解らん。
 とは云え、『とりあえず』の気分的には今居る寺での御参りは終了である。
 「ふ~。。。」なんだが、残念(?)な事に明日から大法要である。
 なんせ大法要である。夕方に寺に行くと親しい先輩が来てて「あれ?何しに来はったんですか?」っちゅう感じなんだが、『組長』らしい。組長としてチェックしに来はったらしい。組長がチェックしに来るくらいの大法要である。
 
 打ち合わせ後に本山御差向の御使僧と住職と3人でメシ喰いに行く。2人は飲めないので私だけ酒を飲む。
 初対面の御使僧さん。っちゅうても年齢も近いし心安い。なんだが、話の途中とかでタマに『南無阿弥陀仏』と念仏申しはる。
 こういう人間に出会ったのは2人目。1人は今は御近所でもある10歳ぐらい年下の本願寺派の坊主。外見も多少似てたせいか、イメージがダブル。
 そして2人とも、絵解き説法であるとか、いわゆる『土の人』。どれだけ勉強してはっても『土の人』。
 とにかく『南無阿弥陀仏』と念仏申す人。念仏申す『場』だけで念仏申す私とは違う。それこそ、いつでも、どこでも、なんだろう。声に出して『南無阿弥陀仏』と念仏申す人。

 「皆さん、今から私と一緒にバカになって南無阿弥陀仏と念仏を10遍申して下さい。」
 やったっけな?そんな言葉を信国先生が云われた事があったと記憶している。

 御近所の10歳年下の本願寺派坊主から、それこそ10数年前に怒られた事がある。タマタマ用事があったので私が彼の携帯電話に電話したら、彼は『蓮如上人御影道中』っちゅうのに参加中だった。
 「何してるねん?」って聞いたら、彼は「これが念仏ですよ」と云った。
 思い出した。確か、運動系の会を作る為に電話したと思う。社会運動系の会。

 まあ、どっちでもエエと思う。
 んが、今日の御使僧さんが、それこそ居酒屋で、あるいは夜道で、本堂だけでなく、名号の前だけでなく、どんな所でも念仏申す姿は私にはない。
 私にはない、そういう御使僧さんの念仏を聞きながら、本当に「こういう人が居て良かった」と思う。
 きっと、御使僧さんも、本願寺派の彼と同じく、全国の色々な所で念仏申す人達と出会って来られたんだな、と思う。

 熊本に真宗寺という寺がある。丸山照雄という極左(?)が褒めちぎるような寺なんだが、この寺もとにかく念仏の寺。
 たまたま遊びに行った時が法要の時であって、講師の先生が「私と一緒に念仏申して下さい」と云った。私は念仏申さなかった。理由?単純である。エリート意識の差別意識である。
 まあ、『指示されるのがイヤ』っちゅうのもあったが、それも今思うと念仏の私物化である。『南無阿弥陀仏』と念仏申す事を私物化して、「この人達と一緒に念仏申すのはイヤ」っちゅう事であった。

 そんな事を、数百年続いて来た大法要前夜に思う。

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