【そういう時に、私たち真宗門徒として生きるというのは、一体どういうことなのかと。その時に、実はもう時間がありませんのではしょって言いますけれども。実はこのことは、今年の六月に大地の会の総会で、最後の日にお話したことですけれども。清沢先生の『絶対他力の大道』というのがございますね。「他力の救済」これは明治三十六年の四月に公にされた文章です。三十六年の六月にはもう清沢先生は亡くなっとるんです。満三十九歳。四十歳になる前に亡くなっておるんです。その二ヶ月前です。明治三十六年の四月に有名な「他力の救済」という文章が公にされています。
「我他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け、
我他力の救済を忘るるときは、我が世に処するの道閉ず、
我他力の救済を念ずるときは、我物欲の為に迷はさるること少なく、
我他力の救済を忘るるときは、我物欲の為に迷はさるること多し、
我他力の救済を念ずるときは、我が処するところに光明照らし、
我他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う、」
という有名な言葉ですね。それを京都の大地の会でそのことが問題になって、まとまらんまんまで聞いていただいたんですけれども。私たちはこの清沢先生の言葉を、亡くなられる二ヶ月前ですから、絶唱としてこれを繰り返し繰り返しいただいてきたんです。しかし、私たちのいただき方に根本的な一つの誤りがあったんじゃないか、ということに気がついたんです。それはどういうことかというと、「我他力の救済を念ずる時は」というところに力点を置いて言葉をいただいてきました。ということは「我他力の救済を忘るる時は」ということを深く受け止めることがなかったんです。「我他力の救済を念ずる時は、我物欲の為に迷はさるること少なく」「我他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明照らし」と、そういうところばかりを強調してきました。これは下手をすると恩寵主義になります。その恩寵主義の中にいつの間にか眠り込もうとしておった。「忘るるとき」ということが、せっかく言われておるのに、そのことが自分の問題にならなかった。「他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う」、忘るるときは、物欲のために迷わさるること多い。忘るるときに、その忘るるときと言われておる時を、何ぞげに読んできたんですね。これが先ほど言っております、清沢先生の信心というものが、一つの緊張関係を生きてきたということなんですね。常に目覚め、目覚めていくという。ということは常に眠り眠り続けていくという、その二つ。両方とも間違いのない事実ですね。
我々は眠り続けている自分を、問題にすることなしに、ただ目覚め続ける話ばっかり聞いて喜んできた。何かそういうことが私の胸に今年初めてこたえたわけです。一体他力の救済を生きるということがどういうことなのか。本願の呼びかけに呼ばれ、呼び帰され常に他力の救済を生き続けていく。そのことは同時に、生き続けるということは常に忘れ続けて居る、という事実があるからですね。そのことを、清沢先生が表白していらっしゃるのに、私自身がその言葉の半分しか聞いてこなかった。後のことは聞き流しておった。ということは私に、現に生きる清沢先生のような緊張関係がないということです。現実に生きるということと、真実に生きるということの間の避けることの出来ない緊張関係ですね。その緊張関係を失ってしまっておるということを思うんです。】
(和田稠『真宗門徒として生きる』より)
「我他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け、
我他力の救済を忘るるときは、我が世に処するの道閉ず、
我他力の救済を念ずるときは、我物欲の為に迷はさるること少なく、
我他力の救済を忘るるときは、我物欲の為に迷はさるること多し、
我他力の救済を念ずるときは、我が処するところに光明照らし、
我他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う、」
という有名な言葉ですね。それを京都の大地の会でそのことが問題になって、まとまらんまんまで聞いていただいたんですけれども。私たちはこの清沢先生の言葉を、亡くなられる二ヶ月前ですから、絶唱としてこれを繰り返し繰り返しいただいてきたんです。しかし、私たちのいただき方に根本的な一つの誤りがあったんじゃないか、ということに気がついたんです。それはどういうことかというと、「我他力の救済を念ずる時は」というところに力点を置いて言葉をいただいてきました。ということは「我他力の救済を忘るる時は」ということを深く受け止めることがなかったんです。「我他力の救済を念ずる時は、我物欲の為に迷はさるること少なく」「我他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明照らし」と、そういうところばかりを強調してきました。これは下手をすると恩寵主義になります。その恩寵主義の中にいつの間にか眠り込もうとしておった。「忘るるとき」ということが、せっかく言われておるのに、そのことが自分の問題にならなかった。「他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う」、忘るるときは、物欲のために迷わさるること多い。忘るるときに、その忘るるときと言われておる時を、何ぞげに読んできたんですね。これが先ほど言っております、清沢先生の信心というものが、一つの緊張関係を生きてきたということなんですね。常に目覚め、目覚めていくという。ということは常に眠り眠り続けていくという、その二つ。両方とも間違いのない事実ですね。
我々は眠り続けている自分を、問題にすることなしに、ただ目覚め続ける話ばっかり聞いて喜んできた。何かそういうことが私の胸に今年初めてこたえたわけです。一体他力の救済を生きるということがどういうことなのか。本願の呼びかけに呼ばれ、呼び帰され常に他力の救済を生き続けていく。そのことは同時に、生き続けるということは常に忘れ続けて居る、という事実があるからですね。そのことを、清沢先生が表白していらっしゃるのに、私自身がその言葉の半分しか聞いてこなかった。後のことは聞き流しておった。ということは私に、現に生きる清沢先生のような緊張関係がないということです。現実に生きるということと、真実に生きるということの間の避けることの出来ない緊張関係ですね。その緊張関係を失ってしまっておるということを思うんです。】
(和田稠『真宗門徒として生きる』より)
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