坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

寺の門首

2009年05月30日 | 坊主の家計簿
 昼寝してたら遠方の門徒さんがお参りに来たとの事。
 「突然ですいませんねぇ~」と、いかにも都市部の寺らしい挨拶をされる。
 せっかくなので一緒に勤行をする。「三帰依文から」と云う事だったので、三帰依文から勤行を始める。やったのは初めてだったけど、結構、場が引き締まってエエ感じ。
 勤行後に座談する。
 昨日から本格的にお参りを初めて、挨拶&新住職からのプレゼントで正信偈の意訳付きのやつを配っている。なので、今日来られた方にも「どうぞ」と渡したら、「あ、これ持ってます」との事。
 恐るべし。。。
 何やら意訳した戸次さんの寺にお参りに行った時に貰ったらしい。
 恐るべし。。。
 ついで(?)に諸々質問される。結構、専門的な事も多く、勤行本には『一枚起請文』まで入ってた。
 恐るべし。。。
 
 っちゅう事で、新住職二日目、本格お参りスタート二日目にして一緒に勉強してくれる人を見つける。
 ラッキー♪


 真宗寺院の住職は阿弥陀如来。ご本尊の御前での絶対平等である。御同朋である。よって『住職』といえども『門徒』に変わりはない。あくまでも『役割』『職分』でしかない。
 本山で『法主』が『門徒の首座』である『門首』に変わったのと同じく、真宗寺院での『住職』は門徒の中での『役割』『職分』でしかない。故に『偉い』わけがない。あくまでも『いち真宗門徒』にしか過ぎない。

【正直にいって我々の教団は、仏教の力を借りることにより、人間が人間を教育できるもののように錯覚し、それで人を教化しようとしてきたのでありますし、しかもそれによって教団自身のエゴイズムを満たそうとし、或いは教団の命脈を保とうとしてきたといわねばならぬものがあるのであります。そしてその結果が、今日の教団に見られるような、はなはなだし生命力の枯渇の事実であります。】(信国淳「呼応の教育」より)

 寺も同じや。

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