坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

聖火リレー

2008年04月07日 | 坊主の家計簿
 4月7日

 雑費  タバコ10         3000円
 外食  天ぷら蕎麦          326円
 食類  ウナギ弁当          200円
     海鮮盛り           200円
     豚肉             282円
     ピーマン           128円
     焼肉のたれ          130円
     キムチ鍋つゆ         100円
     DAKARA           100円

 合計                4466円
 4月累計             22211円

 何やら聖火リレーが大変らしい。
 っちゅうか、『聖火』ってなんやねん。火に対する信仰は、まあ色んな宗教であるのやろうが。。。仏教でも密教ならありそうやし。
 でも、中国にもあるのかな?よく知らん。よく知らんが、中共は「宗教はアヘンだ!」みたいなもんなんだろうし、だからチベット仏教に対する弾圧をしているのだろうが、だったら中共にとって『聖火』なんぞ宗教の極地ではないのか?と、ふと思う。
 「聖火?アホか。火は火じゃ。たいそうな儀式しやがって『聖火』だと?火は火でマッチでも、ライターでも付けたら同じやろうが。」
 と云うのなら別にエエのだが、御大層に聖火を守る為に必死になる中共っちゅうのは、中共の堕落ではないのか?
 と、これまた疑問に思うのだが、どうなのだろうか?
 例えば聖火ランナーが中国国内を走るのなら、中共は率先して「聖火なんぞは意味がない!」と、人民解放軍を使って聖火を消す為に武装集団を送り込むのが『中共』だと思うのだが。聖火信仰を持つ人達を武力でもって弾圧するのが中共の立場だと思うのだが。それが人民解放軍だと思うのだが。
 聖火に対する信仰を認め、聖火を聖火として中共が守っているのがよく解らん。。。
 まあ、政治利用なのだろう。所詮は。

 ついでによく解らんのが『国境なき記者団』。
 どこのテロ組織かと思えば『国境なき記者団』。
 まあ、「鯨を食べる日本人は野蛮だ!」の人達と変わらんのだろう。
 「鯨を食べる日本人は野蛮だ!」の人達が、日本の捕鯨船にテロ攻撃をしかけて来るのと同じやな。聖火ランナーを襲撃するのは。
 日本では阪神の星野SDも走るらしい。
 星野SDが聖火ランナーで走っている時に、国境なき記者団の人達でも、チベットの人達でも、まあ、何らかの政治的目的でもって襲撃したら、多分阪神ファンは黙ってないと思うのだが。阪神ファンは気が短いぞ。別に中国でのオリンピックなんぞどうでもエエが、星野SDを襲撃したら知らんぞ。特に星野SDはオリンピック日本代表の監督でもあるし、狙われやすいターゲットなんだろうが。
 
 もの凄く当たり前の事なのだが、聖火ランナー、例えば日本なら星野SDにも人権はある。それぞれの判断でもって聖火ランナーに参加する権利はある。
 当然、抗議するのも勝手だが、抗議は平和的に行え。『人権』を標榜して平和面しながら、他人の人権を蹂躙する事のどこが『人権』なんだ?単なる人権の政治利用だろうが。

 『行動する仏教』のティクナットハン。まあ、『行動する仏教』というよりも『関係を欲する』ぐらいのもんなんだろうが、『行動』が好きな人には『行動』という言葉をあえて使いたいのだろう。
 仏教は『法輪』だし、当然『輪』なのだから止まるべきものではない。止まれば、大乗仏教が差別用語で使う『小乗』になるわけだし。まあ、だから、大乗仏教徒が自己批判の意味合いで『行動する仏教』というのはよく解る。
 なんだが、このティクナットハン師は、『行動』が好きな僧侶にはかなり都合の悪い事を書いている。当たり前だ。仏教徒なんだから(笑)左翼運動家ではない。

【平和運動には、多くの怒り、欲求不満、誤解があります。
 平和運動に携わる人たちは、とても上手に抗議文を書くことができます。しかし、愛の手紙を書くことができません。
 相手が捨ててしまうのではなく、相手が読みたくなるような手紙を、アメリカ合衆国議会や、大統領に宛てて、書くことを学ぶ必要があります。
 あなたの話し方、理解の仕方、言葉の用い方が、相手にそっぽを向かせるものであってはなりません。大統領も、私たちの誰とも同じ人間です。
 平和運動に携わる人たちが、愛に満ちた言葉で話し、平和への道の模範を示すことができますか。
 このことは、平和運動に携わっている人たちが、平和を生きているかどうかにかかっていると、私は思います。
 なぜかというと、平和を生きなければ、平和のために何一つとして、することができないからです。微笑することができなければ、ほかの人たちが微笑する役に立つことができません。みずからが平和でなければ、平和運動に貢献することができません。
 平和運動に、私たちが、新しい次元を加えることを、希望します。】(ティクナットハン師『ビーイング・ピース』より)

 まあ、『平和運動』の中でも『行動』するが故に、『行動する仏教』であって、もの凄く当たり前の事なんだが、決して左翼のものまねをする事ではないし、左翼に迎合する事でもないし、既存の平和運動に迎合する事でもない。
 当然、『聖火ランナー』という1人の人に対して暴力をふるう事でもない。
 大義名分があれば暴力を許されるのなら、それは中国共産党と同じである。
 そんな事を認められるわけがない。
 
 過激な事は、過激派に任せておけばエエわけであって、仏教徒がリレーしていくべき事はあくまでも仏教でしかない。

【人間の生命は、いかなるイデオロギー、いかなる教条よりも大切なものです。
 相互生存教団は、ヴェトナムにおいて、戦争のさなかに生まれました。この戦争は、二つの世界のイデオロギーの争いでした。イデオロギーと教条の名のもとに、人々は殺し、そして殺されます。】(ティクナットハン師『ビーイング・ピース』より)

 怒りに任せての平和運動なら仏教徒は要らない。怒りは煩悩でしかない。
 当然、煩悩は人気がある。過激であるが故に人気がある。煩悩、欲望であるが故に人気がある。
 当たり前ながら、仏教は煩悩を自己の課題にする教えである。煩悩を肯定する教えではない。

【平和のための仕事とは、なによりもまず、平和を生きることを意味します。】(ティクナットハン師『ビーイング・ピース』より)

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