坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者

2013年02月16日 | 坊主の家計簿
 学習会から帰るとアイアンシェフで「人生ドン底天才シェフ」云々。録画してあったので観た。

 日々の日常。ごくごく「当たり前」になってしまう、「当たり前」にしてしまう日常に絶えきれなくなってしまう。
「天才」と呼ばれる人の中にはそういう感性を持って居られる人が多い様な気もする。

 昨夜、「11.25自決の日」という三島由紀夫の映画を観ていた。多分、三島由紀夫の最後の演説を全部映画化したのは初めてなのかな?ドキュメントではありそうだが。音声は聴いた事があるが、映画で、ああいう形でハッキリとした音声と映像で見せられると改めて諸々感じる。

 三島由紀夫の演説に何故自衛隊員は決起しなかったのか?それは侍でなく生活者だったからではないのか?生活者である自衛隊員にとって三島由紀夫はテロリストにしか過ぎなかったのではないのか?当然、『自衛隊員』といっても色々な考え方の方が居られる事だと思うが。三島由紀夫のアジテートに乗って、自分の生活を、家族を、自分の人生を『美しい死』で飾る事よりも、誰からも評価されなくとも、毎日の生活費を稼ぐ為に、生きる為に、生活する事の方が重大だったのではないのか?
で、そういう所からの連帯が、例えば東日本大震災での自衛隊員の命がけの救命活動に繋がっているのではないのか?
 私は東日本大震災の被災地に行った事はないが、新潟での震災後にラーメンツアーで行った柏崎市で「自衛隊の皆さん、ありがとうございました」的な事を避難所の外に書いてあったのは見た事がある。その他、報道を通じても知っている。阪神淡路大震災にしても。自衛隊員は動かないのではない。
 確かに上官からの命令があったからからも知れない。でも、それだけではない気がする。それこそ『国士』としての活動の側面も震災支援にあったのではないのか?

 自衛隊の幹部は知らないが、『自衛隊』というのは『生きる事に苦手な人』というか、低学歴(私もだが)の人だったりも多いと思う。今はさすがに声をかけられなくなったが、大阪・ミナミを歩いていたら自衛隊から何度も勧誘を受けた事がある。

 また、
は元々『警察予備軍』だったはず。治安維持の為の自衛隊ではないのか?「警察の天下り云々」のセリフがあったと思うが、三島由紀夫が思っている様な『侍』でなく、生活者の為の自衛隊員ではないのか?

 44歳になりました。年老いた…。年老いた中年親父としては、治安維持が弱者の為にある事がよく解る。当然、限界はある。その限界が以前は許せなかったが故に、治安維持云々も認められなかったが、治安維持がなければ『弱者』は今よりももっと酷い状況にあるのではないのか?治安をつかさどる、まあ、『権力』というものに対する批判は、今の政治体制なら、基本的な治安維持を認めた上での批判でないとアカンやろ。と、体力も精神力も衰えて、「文句あるねんやったら何時でもかかってこんかい」と、ミナミで言えなくなって来たりしている現状があってでんなぁ…。増々情けなくなって来たりしています。

 若松孝二は連合赤軍の映画を撮った時にラジオ番組で、「結果云々よりも、ああいう熱い時代があった事を伝えたかった」と云う様な事を喋っていた。で、傷痍軍人の映画の後は三島由紀夫。
 若松監督の映画の中の三島由紀夫は、新左翼の運動に刺激される。森田必勝も刺激される。で、「このままでいいのですか?」と。三島由紀夫が保守であるのなら、「このままでいいのだ」と言ってもらいたかったが、焦る三島由紀夫が描かれていた。

 三島由紀夫の作品は一つも読んだ事がない。それこそ、市ヶ谷での演説ぐらいである。

 右翼活動家と、左翼活動家は似た様なものか。それと反するのが、保守なのかも知れない。そういう意味で私は保守だ。保守になった。いや、保守であろうとしたい。

 活動家は大衆を啓蒙しようとする。オルグでもなんでも。「大衆を啓蒙する立場」というのはどういう立場なのだろうか?大衆を啓蒙するのではなく、大衆を尊敬し、というか、紛れも無く私自身が大衆である、という様な事が必要ではないのか?
 言い方を変える。「大衆に還る」べきではないのか?
 当然、その『大衆』の中には、いわゆる『世間』から排除された人達も含む。被差別者も含む。被差別者も含み、三島由紀夫も含み、天皇をも含む『大衆』に還るべきではないのか?

 三島由紀夫の思想云々は詳しく知らない。ただ、三島由紀夫が『美しい死』、つまり、『美しい人生』を歩もうと思って居られた事はなんとなく解る。侍であろうとした、侍であろうとなかろうと『平岡公威(三島由紀夫の本名)』という一人の人間として比べようもない『美しい人生』を送られた事に代わりはないにも関わらず、『侍』として生きようとした。そういう迷いの衆生としては、私と全く同じである。
 私だけでなく、『人生どん底』と呼ばれる様な人生を歩んでおられる方々、例えばホームレス状態にある方々とも全く同じである。同じ人間である。

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