坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

大谷派へのラブレター

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
 ようやく食事して小休止。今日は、忙し、忙し。

 
「最大の愛は批判である」

 という言葉を見た。

 ふと、ジョアキン・モンテイロの『天皇制仏教批判』を思い出す。

【<天皇制仏教>に関する私の批判は、日本の既成仏教教団の代表的なものの一つである真宗大谷派との関係において成立したものである。真宗大谷派というものは、その表面的な進歩性にもかかわらず、日本における<天皇制仏教>の最も代表的なものである。大谷派の今日の既成の教学は重い戦争責任のある戦争犯罪者によって生み出されたものである。教団の枠内においてこの教学を批判することは、ほとんど不可能であるということは戦争協力に対する大谷派の自己反省の表面的な性格を物語っている。
 大谷派とすでに絶縁している私はこの教団に対する期待のすべてを放棄しているが、この問題性を思想的、論理的な次元においてはっきりさせることが私に残された義務だと考えている。】(同著1頁より)

【<近代教学>の戦争責任に対して沈黙し、その思想を正当化しようとしている菱木氏は、もちろん、反戦・反差別の願いに生きている人間だとは考えられない。】(同著30頁より)

 これって、「大谷派へのラブレター」というサブタイトルが似合うと思うのだが。

 あと、この本が出版されたのは1998年7月31日。
 
 近代の日本と仏教思想--真宗大谷派の「近代教学」再検討
 http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7080712-00?ar=4e1f

 が、2003年7月か。菱木のジョアキン評は、あ、プライバシー&次の仕事時間(笑)

清沢満之『宗教的信念の必須条件』より

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
【宗教的天地に入ろうと思う人は、形而下の孝行心も、愛国心も、その他仁義も道徳も科学も哲学も、一切目にかけぬようになって、始めて宗教的信念の広大なる天地が開かるるのである。(中略)ここに到ると、道徳を守るもよければ、知識を求むるもよし、商売するもよければ、政治に関係するもよく、漁猟するもよければ、また国に事あるときは銃を肩にして戦争に出かけるもよいのである。】(清沢満之『宗教的信念の必須条件』より。ただし、『清沢満之先生のことば』 大河内了悟・佐々木蓮麿共編より)

「こんなことなら、生まれてこなかった方がよかったのに」

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
【私達にとって一番悲惨なことは、その一生が空過することにあります。それは、「生マレテ活キテ死ンデイク」ことになる、その自分の一生を、「こんなことなら、生まれてこなかった方がよかったのに」と言って、自分自身の生きてきた、その一生をを受けいれられないで否定し、なかったことにして、消そうとすることです。悲惨な空過の一生ではなく、自分の一生を「すべて、これでよし」と言い切って、完全燃焼できる一生へとよみがえらせるのが、宗祖親鸞聖人によって示される、大乗の至極としての浄土真宗の教え、本願念仏の仏法です。】
(竹中智秀『「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と願って』より。大谷専修学院2005年度入学式院長告辞、願生第132号より)


和田稠『真宗門徒として生きる』より

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
【そういう時に、私たち真宗門徒として生きるというのは、一体どういうことなのかと。その時に、実はもう時間がありませんのではしょって言いますけれども。実はこのことは、今年の六月に大地の会の総会で、最後の日にお話したことですけれども。清沢先生の『絶対他力の大道』というのがございますね。「他力の救済」これは明治三十六年の四月に公にされた文章です。三十六年の六月にはもう清沢先生は亡くなっとるんです。満三十九歳。四十歳になる前に亡くなっておるんです。その二ヶ月前です。明治三十六年の四月に有名な「他力の救済」という文章が公にされています。

 「我他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け、
  我他力の救済を忘るるときは、我が世に処するの道閉ず、
  我他力の救済を念ずるときは、我物欲の為に迷はさるること少なく、
  我他力の救済を忘るるときは、我物欲の為に迷はさるること多し、
  我他力の救済を念ずるときは、我が処するところに光明照らし、
  我他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う、」

という有名な言葉ですね。それを京都の大地の会でそのことが問題になって、まとまらんまんまで聞いていただいたんですけれども。私たちはこの清沢先生の言葉を、亡くなられる二ヶ月前ですから、絶唱としてこれを繰り返し繰り返しいただいてきたんです。しかし、私たちのいただき方に根本的な一つの誤りがあったんじゃないか、ということに気がついたんです。それはどういうことかというと、「我他力の救済を念ずる時は」というところに力点を置いて言葉をいただいてきました。ということは「我他力の救済を忘るる時は」ということを深く受け止めることがなかったんです。「我他力の救済を念ずる時は、我物欲の為に迷はさるること少なく」「我他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明照らし」と、そういうところばかりを強調してきました。これは下手をすると恩寵主義になります。その恩寵主義の中にいつの間にか眠り込もうとしておった。「忘るるとき」ということが、せっかく言われておるのに、そのことが自分の問題にならなかった。「他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う」、忘るるときは、物欲のために迷わさるること多い。忘るるときに、その忘るるときと言われておる時を、何ぞげに読んできたんですね。これが先ほど言っております、清沢先生の信心というものが、一つの緊張関係を生きてきたということなんですね。常に目覚め、目覚めていくという。ということは常に眠り眠り続けていくという、その二つ。両方とも間違いのない事実ですね。
 我々は眠り続けている自分を、問題にすることなしに、ただ目覚め続ける話ばっかり聞いて喜んできた。何かそういうことが私の胸に今年初めてこたえたわけです。一体他力の救済を生きるということがどういうことなのか。本願の呼びかけに呼ばれ、呼び帰され常に他力の救済を生き続けていく。そのことは同時に、生き続けるということは常に忘れ続けて居る、という事実があるからですね。そのことを、清沢先生が表白していらっしゃるのに、私自身がその言葉の半分しか聞いてこなかった。後のことは聞き流しておった。ということは私に、現に生きる清沢先生のような緊張関係がないということです。現実に生きるということと、真実に生きるということの間の避けることの出来ない緊張関係ですね。その緊張関係を失ってしまっておるということを思うんです。】
(和田稠『真宗門徒として生きる』より)

願生第132号より

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
【今、皆さんの一人ひとりに、御本尊の前で、「新しく仏教徒として共同生活の中に真宗精神を体得すべく努力精進することを誓います」という、宣誓をしていただきました。私達、皆さんをお迎えする側も皆さんと同じように、あらためて宣誓をしたことです。
 この宣誓は、まず御本尊、具体的には阿弥陀如来と宗祖親鸞聖人との関係において、さらには、宣誓を同じくするその同志との関係において、宣誓された宣誓です。
 このことは、まず初めに私があって、その私が宣誓した宣誓ではないことです。なぜなら「まず初めに私があって」とされるその私は、いつでも自分自身のその利害、得失を中心に判断する私ですから、自分の都合によって宣誓したり宣誓しなかったりすることになりますから、たとえ宣誓したとしても、必ずそれは私的な宣誓になってしまいます。だから、そういう私的な宣誓ではなく、今、皆さんがした宣誓は、宣誓することによって、新しい私が生まれ出たことを示す、そういう宣誓です。
 それこそ、阿弥陀如来と宗祖親鸞聖人との関係において、それは呼び合い、応え合う呼応関係において成り立つ私、また、その宣誓を同じくする同志との関係において、それは呼び合い、応え合う呼応関係において成り立つ私、そういう全く新しい、公的な私の誕生を示す、そういう宣誓です。
 だから、御本尊の前での、皆さんの、その宣誓を、阿弥陀如来と宗祖親鸞聖人が一番喜ばれ、「よかったねえ」と、声をかけて讃嘆しているにちがいありません。】
(竹中智秀『「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と願って』より。大谷専修学院2005年度入学式院長告辞、願生第132号より)

くりくり輝く、小さなお坊さん

2013年08月06日 | 坊主の家計簿
くりくり輝く、小さなお坊さん 東本願寺・得度式
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130805000063


【末世の仏弟子親鸞という視点から少年親鸞の出家得度という事件を振り返るとき、少年親鸞が自らすすんで頭を丸めたかどうかはわかりませんけれども、とにかく少年に出家得度せずにはおかなかった時代社会の問題、また、母の死をめぐる家庭の状況、そして、資料では現われてこない諸事情があろうかと思うわけです。それらをすべて概括して覚如上人は一言で「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」ということなんだと言い切っておられるわけです。仏法興隆の因が働き衆生利益の縁が呼んだというわけです。この、因縁和合ということが生きるということの原点であると、このように、覚如上人は記されたわけです。
 (中略)
 親鸞の出家得度は、その少年の身には、ただ形ばかりの出家得度であったかは分かりませんけれど、そこに大乗の菩薩道の初めがあった。しかも、その内実は、人としてこの身を受けたことが必ず報土の真身を得証すべきいのちであったと、そのことを「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」という言葉に込めておられます。】
(狐野秀存先生『親鸞聖人行実⎯⎯⎯伝承の巻』大谷専修学院2007年スクーリング。青草194号より)

 
 おめでとう♪