くりくり輝く、小さなお坊さん 東本願寺・得度式
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130805000063
【末世の仏弟子親鸞という視点から少年親鸞の出家得度という事件を振り返るとき、少年親鸞が自らすすんで頭を丸めたかどうかはわかりませんけれども、とにかく少年に出家得度せずにはおかなかった時代社会の問題、また、母の死をめぐる家庭の状況、そして、資料では現われてこない諸事情があろうかと思うわけです。それらをすべて概括して覚如上人は一言で「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」ということなんだと言い切っておられるわけです。仏法興隆の因が働き衆生利益の縁が呼んだというわけです。この、因縁和合ということが生きるということの原点であると、このように、覚如上人は記されたわけです。
(中略)
親鸞の出家得度は、その少年の身には、ただ形ばかりの出家得度であったかは分かりませんけれど、そこに大乗の菩薩道の初めがあった。しかも、その内実は、人としてこの身を受けたことが必ず報土の真身を得証すべきいのちであったと、そのことを「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」という言葉に込めておられます。】
(狐野秀存先生『親鸞聖人行実⎯⎯⎯伝承の巻』大谷専修学院2007年スクーリング。青草194号より)
おめでとう♪
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130805000063
【末世の仏弟子親鸞という視点から少年親鸞の出家得度という事件を振り返るとき、少年親鸞が自らすすんで頭を丸めたかどうかはわかりませんけれども、とにかく少年に出家得度せずにはおかなかった時代社会の問題、また、母の死をめぐる家庭の状況、そして、資料では現われてこない諸事情があろうかと思うわけです。それらをすべて概括して覚如上人は一言で「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」ということなんだと言い切っておられるわけです。仏法興隆の因が働き衆生利益の縁が呼んだというわけです。この、因縁和合ということが生きるということの原点であると、このように、覚如上人は記されたわけです。
(中略)
親鸞の出家得度は、その少年の身には、ただ形ばかりの出家得度であったかは分かりませんけれど、そこに大乗の菩薩道の初めがあった。しかも、その内実は、人としてこの身を受けたことが必ず報土の真身を得証すべきいのちであったと、そのことを「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて」という言葉に込めておられます。】
(狐野秀存先生『親鸞聖人行実⎯⎯⎯伝承の巻』大谷専修学院2007年スクーリング。青草194号より)
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