坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

家族サービス

2010年03月29日 | 坊主の家計簿
 昨日、学習会から帰って来たのが0時過ぎ。そこから寺報作りが始まって、月末なので他の諸々の事もやらんとアカンし、それらもやりつつ、ふっふっふっふ。。。印刷&折り込みも完成したぜ。
 まだ月末までには日数があるのだが、明日は別の予定があるし、明後日、明々後日は家族サービスなのだ。ん?この『家族サービス』っちゅう言葉って、「ホンマはやりたくないねんけどなぁ。。。まあ、サービス、サービス」っちゅう感じを受けるから『家族サービス』ではないか。なんせ行きたい所を決めたのは結局私だったし、ママと娘にサービスされてパパは「家族サービスを『してやってる』」なんぞと威張ろう(笑)
 なので、月末2日、っちゅうか、明日も予定が入っているので、通信ももっと早く作りたかったのだが、講師の先生から昨日の学習会で講題の返事を聞けたので、っちゅうか、まあ、聞かんと4月号の寺報は『報恩講特集』っちゅうか、報恩講の案内も兼ねてになるので、講題が決まらんと書けない。
 一応、依頼した講題は『仏教の人間観』である。そのままにするのか、どうするのかを考えて頂いていたのだが、結局『仏教の人間観』に講師の先生からのサブテーマがつく形で決定。帰り道の自転車&ラーメン屋で諸々考えて、帰宅してから数冊本をチェックして一気に書き上げる。

 なので、今日は娘と殆ど遊べず。落ち着いたのが深夜だったし、落ち着いた頃には娘、寝てるし。
 
 娘は『つかまり立ち』っちゅうのだろうか?コタツの端なんぞにつかまって、コタツ上のモノで手の届く範囲のモノを物色する。ハイハイも力強くなって来ているので寝転がっているパパの背中でガードしていると、パパの背中を超えようと一生懸命になる。
 「おお、お前は早くも親父の背中を越えようとしているのか。しかし、娘よ、よく聞け。親父の背中なんぞ『越えよう』としなくても構わないのだ。なんせ君の親父は大したヤツではないし、また、君は君の道を歩けばいいのだ。」
 なんぞと思いつつ、それでも一生懸命に親父の背中を越えようとしている娘である。
 で、これがナカナカ気持ちいい。「もうちょっと下」とか注文を出すのだが、まだ言葉が通じない娘なので、仕方なくパパがずり下がったりしながら娘に背中を押してもらう。まだ体重が軽いので力は弱いのだが、非常に気持ちいい。

 しかし、この娘も、大きくなって「背中を押して」と言ったら、喜んで押してくれる時期もあるだろうが、そのうちに「じゃあ、10分100円ね」なんぞと言い出して、そのうちに「パパ、10分100円だったら労働基準法に触れるからパパの為に10分150円にしてあげる」になり、そのうちに「パパの背中なんて、なんで押さないといけないの?気持ち悪い」なんぞと言われたりするのだろう。。。等と、妄想が広がる。

 ちなみに、今さっき『仏教の人間観』っちゅう言葉で検索したら、橋本凝胤という法相宗の方が『仏教の人間観』というタイトルの本を書かれていたそうな。少し気になって調べたら天動説の人だった(笑)

 地動説か、天動説なのか、っちゅうのは思想の問題である。んなもん、数学的にはどっちでもエエねんやろ。「ややこしい」か、「ややこしくない」かぐらいの話やろ。
 ただ、天動説は自己中心である。自己中心的は問題なんだが、事実やろ。やっぱし「家族サービス」なんぞと言ってしまうし。そういう自己中心的価値観を問題にせん限り、つまり『自分』を問題にせん限り、学校で地動説を教えて貰って『良い子』を演じてたらしんどいぞ。